人の役に立ちたいという原点を持って、医療からITの世界へ
私が理学療法士を目指した理由は、中学・高校とスポーツを続ける中で、自分自身がケガに悩まされることが多かったからです。
思うように体を動かせないつらさを経験する中で、将来は誰かの役に立てる仕事がしたいと考えるようになり、理学療法士の道を選びました。
理学療法士として最初に勤務した大江整形外科病院では、整形外科疾患や手術後の患者さんへのリハビリ、スポーツリハビリ、精神疾患の既往を持つ方への整形外科リハビリなど、幅広い業務に携わりました。
新人教育にも関わりながら、患者さんごとに必要な支援を考える日々を過ごしていました。
当時は、新しいことを学び、それを現場で活かし、患者さんが少しずつ良くなっていくことに大きなやりがいを感じていました。
毎日のようにリハビリの練習や勉強を続けていたのも、その仕事が本当に好きだったからだと思います。
一方で、理学療法士として長く働いていく将来像には不安もありました。体を使う仕事だからこそ、何歳まで今と同じように働けるのか、収入面も含めて将来を考えるようになっていきました。
その後、川越整形外科病院の理学療法士の方から声をかけていただき、より給与面が良く、スポーツリハビリにも多く関われる環境に魅力を感じて転職しました。
川越整形外科病院では、日々のリハビリ業務に加えて、学生のスーパーバイザーや地域の高校の部活動生のコンディショニングにも関わりました。
また、宮崎県のアスレティックトレーナー資格も取得し、より現場で役立てる知識や技術を増やしたいという思いで学び続けていました。
ただ、その頃から母の病気が悪化し、医療費の負担も大きくなっていきました。
家庭の事情もあり、より収入面や時間の融通を考える必要が出てきた中で、整体院ひなたから声をかけていただき、業務委託という働き方に挑戦することにしました。
整体院ひなたでは、マンツーマンで整体を行いながら、売上づくりや集客にも関わりました。
SNSを使った集客やポスティングも行い、売上は月100万円を継続して維持し、多い月では160万円に達することもありました。
施術だけではなく、数字を見ながら改善していくことや、自分で工夫しながら結果につなげることの面白さを知ったのもこの時期です。
働き始めてまもなく、母が余命数か月と診断されました。
少しでも支えになりたいという思いから、ほとんど休まず夜遅くまで働く日々を送りましたが、その後母は亡くなりました。
父もすでに亡くなっており、自分にとって家族の存在や時間の重みを強く考える出来事でした。
その後、整体院ひなたの熊本店出店に伴い、熊本店の店長として新店舗の運営に関わることになりました。
新しい環境で挑戦できたことは大きな経験でしたが、一方で、働く中で自分が大切にしたい価値観とのズレを感じる場面も増えていきました。
売上だけを優先するような考え方に違和感を持つようになり、自分はどんな仕事をしたいのか、どんな働き方をしたいのかを改めて考えるようになりました。
また、父も母も50代という若さで亡くなったことから、自分自身もいつまで時間があるかわからない、だからこそ本当にやりたいことに挑戦したいという思いが強くなりました。
もともとIT、デザイン、プログラミングには興味があったため、熊本にいながら新しい領域に挑戦できる仕事を探し、ワークスアプリケーションズに転職しました。
現職では、ITの基礎や会計業務などを研修で学んだ後、クラウド利用料に関する業務に携わっています。
AWS、Azure、OCIの請求データ取得や集計、月次利用額の整理、前月比の増減確認、関係部署へのヒアリングなどを通じて、数字をもとに状況を整理し、実態を確認していく仕事を経験しました。
クラウドや開発、コンサルなど、さまざまな部門の仕事を知ることができたのは大きな学びでしたし、ChatGPTやGeminiなどの生成AIを業務の整合確認や手順整理に活用することにも関心を持っています。
ただ、実際に働く中で、自分が本当にやりたいのは、単に運用や確認を続けることだけではなく、もっと誰かの役に立つ形でものづくりに関わったり、価値を生み出す仕事に挑戦することだと感じるようになりました。
私はコードを書く実務経験があるわけではありませんが、これまで一貫して、人のために考えること、現場の課題を整理すること、学びながら改善することを大切にしてきました。
これからは、これまでの医療現場、店舗運営、事業会社での業務経験を土台にしながら、業務改善、DX、AI活用、そしてものづくりに近い領域にも挑戦していきたいと考えています。
限られた時間の中で、本当に納得できる仕事に向き合いたい。その思いを持って、次のキャリアを考えています。