オフィスのデスクの片隅で、三年間ずっと沈黙を守り続けていた小さなサボテンがいます。彼は水もほとんど欲しがらず、日光の当たる場所でただ静かにそこにいました。しかし昨日、私はふとした瞬間に彼と目が合い、とてつもない罪悪感に襲われたのです。それは、彼を「単なる緑色の置物」としてしか扱っていなかった自分への嫌悪感でした。私はデザインという仕事を通じて、誰かのために価値を作り、課題を解決しているつもりでしたが、実は身近にある命の機能や存在理由すら見落としていたのではないか。そう思うと、居ても立ってもいられなくなったのです。
サボテンに謝罪しながら、私は思いました。ビジネスの現場でも、私たちはこれと同じ過ちを繰り返しているのではないか。例えば、数字を追い求めるあまり、その数字の向こう側にいる生身の人間を、ただのデータとして扱ってはいないか。あるいは、効率的なシステムを作る過程で、使い手の感情という大切なトゲを、無理やり削ぎ落としていないか。私が提供したい「売上に貢献するデザイン」とは、決して冷徹な計算式だけで作られるものではありません。むしろ、そこにある熱量や、時には不器用なほどのこだわりを、いかにして形にするかという対話の連続です。
サボテンがトゲを持っているのは、自分を守るためだけでなく、厳しい環境で生き抜くための意志の表れです。私たちの事業やサービスも同じです。どこにでもある滑らかな解決策ではなく、あえてトゲを残し、他とは違う違和感を持たせることで、初めて誰かの心に深く刺さる存在になれるのです。私は昨日まで、クライアントの要望を完璧に丸く整えることが正解だと思い込んでいた節がありました。しかし、サボテンの静かな佇まいは、個性を殺して調和を装うことの危うさを教えてくれました。
これからのクリエイティブに必要なのは、洗練された美しさ以上に、血の通った対話です。それは植物に水をやるような、地味で根気のいる作業かもしれません。相手の言葉の裏にある真意を汲み取り、時には誰も気づかないような細部にまでこだわりを注ぎ込む。そうして生まれたデザインこそが、長い年月をかけて誰かの支えになり、結果として大きな実を結ぶのだと確信しています。私はサボテンの鉢に、いつもより丁寧に水を注ぎました。彼は何も答えませんが、そのトゲは昨日よりも少しだけ誇らしげに見えました。
私たちは、つい目に見える成果ばかりを急いでしまいます。でも、本当に価値のあるものは、目に見えない対話と、相手を尊重する心からしか生まれません。デスクの上の小さな命に謝ることができた昨日から、私の視界は少しだけ新しくなりました。誰かの人生に深く刺さり、長く寄り添うような仕事をしたい。サボテンのような強さと、繊細な優しさを併せ持った表現を追求したい。そんな決意を胸に、今日も私は真っ白な画面に向き合います。次に私がデザインするのは、単なる見た目の綺麗さではなく、そこに生きる人たちの体温が伝わるような、魂の通った景色なのです。