【高橋正次・髙橋正次】未来のドアを開けたのは砂時計だった
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人は何かを始める時に理由を探すけれど、本当は理由なんてなくても進めるのではないかと最近よく思うようになった。先日デスクの奥から偶然見つけた砂時計を眺めているうちに、その考えが急に輪郭を帯びてきた。ガラスの中を落ちていく砂は一粒ずつ確かに動いているのに、まとまって見れば静止しているようにも見えた。その矛盾した姿が、自分の働き方の感覚に妙に似ていると気づいたのだ。
毎日少しずつ積み上げているつもりでも、ふとした瞬間に全く進んでいないように感じることがある。逆に、何もしていないつもりでも急に進んだ実感が押し寄せることがある。それは砂が落ちる姿に重なる。見えているようで、見えていない。動いているようで、止まっている。だからこそ、僕らは時々こうした象徴的なモノに目を奪われて、自分の軌跡を確かめようとするのだろう。
砂時計を手に取り、ひっくり返した瞬間に音もしないのに場面が切り替わる感覚があった。これを仕事のリセットボタンにできないだろうかと考えていたら、ひとつ思い出したことがある。以前、ある起業家が時間の再定義について話してくれたことだ。彼は毎日を区切るために特別な儀式を設けていたが、それは大げさなものではなく、意識を切り替えるためのただの小さな行為だった。僕はあの話を聞いた時に正直ピンと来なかったけれど、砂時計をひっくり返した瞬間にその意味がようやく腑に落ちた。
仕事は論理だけでは回らない。感覚や象徴が時にロジックを上回り、行動のスイッチになる。無意味に思えるモノに突然意味が宿るのは、その人が変わり始めた証拠なのだろう。砂時計をきっかけに、僕は時間を管理するよりも、時間に寄り添うという考え方にシフトした。焦る日の砂は速く落ち、落ち着いている日の砂はゆっくり見える。それでも落ちていく速度は実際には変わらない。それなら、自分の感じ方を整える方が建設的ではないかと思ったのだ。
変化を起こす時、人はつい大きな理由や大きな動機を求めてしまう。でも実際には、こうした小さな風景が最初の一押しになることの方が多い。働き方を変えるのも、キャリアの方向を修正するのも、本当はもっと軽くていい。誰かに宣言する必要もない。自分だけが知っているスイッチを一つ見つければ、進みたい方へ自然と動くようになる。
砂時計をひっくり返すという小さな行為が、自分の未来を開くドアノブになるとは思っていなかった。ただ、心が何かを求め始めた時、人は無意識に象徴を探しにいくのかもしれない。働き方の答えはいつも外にあると思い込んでいたけれど、案外デスクの奥のような身近な場所に落ちていることもある。それに気がつけるかどうかが、次の一歩を決めるのだろう。
そして今、砂時計の横には新しいメモが置かれている。そこには次にひっくり返したいものが書かれている。時間の持ち方。仕事の仕方。考え方の癖。自分が作ってしまった境界。静かに積もる砂を眺めながら、その全てをやさしくひっくり返せる日を楽しみにしている。