世界最強のパスポートを持ちながら、私たちが「外」に出ない本当の理由
日本のパスポートは、世界でも有数の強さを持っています。ビザなしで渡航できる国の数は世界トップクラスであり、私たちが望めば、地球上のあらゆる場所にアクセスできる切符を、国から与えられているようなものです。
しかし、その一方で衝撃的な統計があります。現在、有効なパスポートを持っている日本人の割合は、わずか17%程度に過ぎません。実に8割以上の人が、世界へ繋がる扉を閉じたまま暮らしているのが現状です。
私は大学3年生の時にイギリスへ留学を経験しましたが、この数字を見ても、全く驚きませんでした。なぜなら、日本を離れる前の私自身が、まさにこの「17%の外側」にいる人間、つまり海外に対して完全に心を閉ざしている典型的な人間だったからです。
当時の私は、英語が全く話せませんでした。それどころか、両親からは留学の提案に対して強い反対を受けていました。裕福な家庭ではなかったため、大学受験だけでも大きな金銭的負担をかけてしまっていた背景があり、海外に行くためのお金の心配が常に頭を離れませんでした。
そして何より、心の奥底では「日本に留まることこそが、最も安全で賢い選択だ」と盲目的に信じ込んでいたのです。
では、なぜこれほど多くの日本の若者が、海外へ一歩を踏み出さないのでしょうか。そして、かつての私のように、自ら可能性を狭めてしまうのでしょうか。私の実体験と、留学を通して見えてきた日本の現状から、その理由をいくつかの視点で紐解いていきたいと思います。
私たちの足を引っ張る、目に見えない7つの障壁
日本の若者が海外に行かない、行けない理由は、単純な経済問題や語学力不足だけではありません。そこには、日本の社会構造や教育、文化的な背景が複雑に絡み合っています。私が考える主な理由は以下の7つです。
1. コミュニケーションを置き去りにした英語教育
日本の英語教育は、長年にわたり「試験で点数を取るため」「受験を突破するため」のツールとして機能してきました。文法や長文読解には何年も時間を費やすものの、自分の言葉で想いを伝え、他者と対話するための実践的なトレーニングは圧倒的に不足しています。その結果、「学校で英語を勉強したのに、いざとなると一言も言葉が出てこない」という強烈な苦手意識だけが若者の心に植え付けられてしまうのです。
2. 円安による経済的なリミッター
近年の急激な円安は、若者が海外に目を向ける上での決定的な打撃となっています。海外での学費、生活費、渡航費のすべてがかつてないほど高騰しており、普通の学生にとって、海外での体験は「努力すれば届くもの」から「いくら望んでも手が届かない贅沢品」のように感じられるようになってしまいました。
3. 安全で快適すぎる日本という環境
日本は世界で最も治安が良く、インフラが整い、サービスが洗練されている国の一つです。どこに行っても美味しいご飯が安く食べられ、夜中に一人で歩いても命の危険を感じることはほとんどありません。この「完璧な快適さ」に慣れ親しんでしまうと、言葉も通じず、治安の保証もない海外へ行くという不確実性が、単なる冒険ではなく「無謀な危険」のように錯覚されてしまうのです。
4. 探求よりも「安定」を美徳とする教育
私たちは幼い頃から、周囲と同調すること、レールから外れないこと、そして「安定した未来」を確保することを重視されて育てられます。不確実な世界へ飛び込んで自分だけの道を切り拓く「探求」よりも、リスクを最小限に抑えて現在のポジションを守る「安定」こそが正解であると、社会全体から刷り込まれている側面があります。
5. 親世代の「リスク回避」という優しさの罠
親は誰しも、子どもに苦労をさせたくないと思うものです。そのため、前例のない挑戦やリスクを伴う海外留学に対して、過剰に心配し、ブレーキをかけてしまうことが少なくありません。「わざわざ危険な思いをしなくても、日本で普通に就職すればいいじゃないか」という親の守りの姿勢は、若者の挑戦への芽を摘む静かな要因となっています。
6. 文化に深く根付いた「失敗への恐怖」
日本には「一度レールから外れたら戻れない」という、失敗に対して極めて不寛容な空気感が漂っています。新卒一括採用の文化や、年齢に応じたキャリアのステップが固定化されているため、若者たちは「もし海外に行って何も得られなかったら人生が終わるのではないか」「同級生から遅れてしまうのではないか」という、過剰な失敗への恐怖に怯えています。
7. 「日本が最高」という思考停止
多くの若者は、日本の外の世界を体験しないまま「日本がすでに住むのに最高の場所であり、わざわざ他国を見る必要などない」と本気で信じています。確かに日本は素晴らしい国ですが、他の選択肢を一切比較検討しないまま、現状維持を肯定するための言い訳として「日本最高論」が使われている側面は否定できません。
イギリス留学で突きつけられた、圧倒的な「生き方」の差
このような障壁に囲まれていた私ですが、あるきっかけから意を決してイギリスへ留学することになりました。しかし、待ち受けていた環境は決して甘いものではありませんでした。
私が通ったのは、日本の大学の現地キャンパス。つまり、周囲は日本人学生ばかりという、一歩間違えれば英語を全く使わずに生活が完結してしまう環境だったのです。意識して自ら外へ飛び出さなければ、日本にいるのと何も変わらない。その過酷な現実を前に、私はそれまでの「安全志向の自分」を捨て、現地のコミュニティや、世界中から集まってきた学生たちの輪へ必死に飛び込んでいきました。
そこで私が最も衝撃を受けたのは、彼らの「英語の流暢さ」ではありませんでした。本当に打ちのめされたのは、彼らの「人生に対する考え方」、すなわち「生き方のスタンス」だったのです。
現地の学生たちは、信じられないほどの熱量で毎日を生きていました。 昼間、クラスメートたちは容赦のないほどの集中力で学問に打ち込み、図書館にこもって激しい議論を交わしていました。しかし、一歩キャンパスを出て夜になれば、彼らは全力で笑い、旅をし、お互いの人生観やアイデアをぶつけ合い、まったく異なる国籍や背景を持つ人々と深い友情を築いていたのです。
そして何より新鮮だったのは、「誰も自分の人生を完全にコントロールし、把握しているわけではない」ということでした。
彼らは、自分の将来に対してガチガチの正解を持っていませんでした。 ある人は大学に入ってから「何かが違う」と専攻をあっさりと変え、ある人は自分の進路を見極めるために1年間のギャップイヤー(休学期間)を取って世界を旅していました。在学中に自分でビジネスを立ち上げる人もいれば、チャンスを求めて国境をまたいで引っ越していく人もいました。
彼らは決して、完璧な計画の元に動いていたわけではありません。ただ単に、「やってみたいから、打席に立って挑戦する」という意欲と覚悟が、日本の若者とは桁違いに強かったのです。
障壁の正体は、お金でも才能でもない
この光景を目の当たりにしたとき、私はハッとさせられました。 日本の若者が海外に行かない最大の障壁は、英語力ではありません。才能の差でもありません。そして、時にはお金の不足ですらないのです。
本当の障壁の正体は、「恐怖」でした。
- 今まで自分が育ってきた、馴染みのある快適な環境を離れる恐怖。
- 親の期待を裏切り、周囲の大人たちをガッカリさせることへの恐怖。
- 自分の選択が間違っていて、将来後悔することへの恐怖。
私たちは、まだ見ぬ未来の失敗を恐れるあまり、自分で自分の足元に鎖を巻き付け、動けなくなっているだけだったのです。
私は、日本にいるすべての若者が今すぐ留学に行くべきだ、などと言いたいわけではありません。人にはそれぞれの事情があり、日本国内で果たすべき使命や、国内だからこそ磨ける才能も確実に存在します。
しかし、「まだ世界の広さを見ていない段階」で、あるいは「挑戦することへの恐怖から目を背けるため」に、「自分には海外なんて合わない」「日本にいるのが一番だ」と決めつけて可能性を遮断してしまうのは、あまりにももったいなく、残念なことだと思うのです。
世界の皆さんへ、そして一歩が踏み出せないあなたへ
私は留学を通して、4か月という短い期間ではありましたが、TOEICのスコアを310点から750点まで引き上げることができました。しかし、得られた最も大きな資産は、そんな数字の証明ではなく、「自分の人生を、自分の意志で選択して生きる」という精神的な自由と強さです。
ここで、日本国外で暮らす皆さんに問いかけたいことがあります。
あなたの国では、若者たちが世界を探検しようとする際、どのような障壁が存在しますか? 日本と同じように、やはり恐怖や社会的なプレッシャーが彼らの足を引っ張っているのでしょうか?
そして最後に、海外に行ってみたい、新しい世界を見てみたいと心の中では願いながらも、過去の私のように「最初の一歩」を踏み出す恐怖に足がすくんでいる日本の若者たちへ、どんなメッセージやアドバイスを届けますか?
世界は私たちが想像しているよりも広く、そして同時に、飛び込んでしまえば驚くほど寛容です。
失敗を恐れて安全な檻の中に留まり続けるのか、それとも、不確実だけど無限の可能性が広がる外の世界へパスポートを開くのか。その選択の自由は、いつでも私たちの手の中に握られています。
皆さんの率直なご意見や、温かいアドバイスをぜひお聞かせください。