久しぶりに名刺入れを開けたら、そこにいる自分が少し知らない顔をしていた。肩書きも、会社名も、役職も、もう少し前の自分に貼りついたままだ。まだその名刺を配り歩いていた頃の僕は、自信よりも“かたち”を持っていた。名刺を出すたび、誰かの目に映る「肩書きの自分」に助けられていた。
だけど不思議なことに、最近は名刺を出すことが少し怖い。名刺入れを開くと、今の自分と、印刷された自分の間に微妙なズレが生まれている気がする。あの頃よりもたくさんの人と関わり、迷い、失敗して、それでも笑ってきた。肩書きは変わっていないのに、中身だけが違う人間になっている。
仕事って、結局のところ「名刺の中の自分」をどれだけ更新できるかの積み重ねなんだと思う。印刷物の情報はすぐに古くなる。でも、会話の中で生まれる温度とか、目の奥に映る覚悟とか、そういうものは常に最新の自分を映し出す。だから最近は、名刺よりも先に、自分の声で自分を紹介するようにしている。
昔は「何をしている人ですか?」と聞かれるのが怖かった。説明できない仕事をしている気がしていた。でも今は、少し違う。説明しきれないことこそ、自分らしい気がしている。肩書きに収まらない活動、役割、挑戦。そういう曖昧な部分にこそ、ほんとうの仕事の輪郭が滲むのかもしれない。
名刺入れを閉じるとき、ふと考える。人は、自分の“肩書きの外側”でどれだけ動けるかで、仕事の意味が変わるんじゃないかと。名刺を出す勇気も、出さない選択も、きっとその人の今を映している。だからこそ、古びた名刺が出てきても、焦らず笑えるようになりたい。
名刺入れの中には、かつての自分たちが眠っている。だけど、それは過去の証拠ではなくて、未来の余白でもある。名刺がくたびれていくほど、きっと僕たちは“更新され続けている”のだと思う。