教室の片隅で──ひとつの風景が生まれる瞬間
教室の片隅で──ひとつの風景が生まれる瞬間
午後の光が、ゆっくりと傾きはじめるころ。
教室の窓際には、柔らかな影が落ちていた。
その影のなかで、一人の少女が紙に向かっていた。
彼女はまだ十歳にも満たない。
けれど、色を選ぶ指先には、
大人にはもう思い出せない種類の“確信”が宿っている。
パレットの上で、青と黄色が触れ合い、
淡い緑がそっと息をして生まれた。
その瞬間、彼女は小さく微笑む。
まるで世界の秘密をひとつ取り戻したかのように。
私は声をかけずに、その背中を見守った。
アートとは、本来こうした“誰にも邪魔されない発見の時間”に宿る。
教えることより、寄り添うことの方がずっと大切だと
この五年が教えてくれた。
少女は、しばらく筆を止めて
窓の外の光をじっと見つめていた。
それは、次の色を探している沈黙だった。
その沈黙は彼女だけのものではなく、
教室全体をひとつの呼吸のように包んでいった。
やがて彼女は、迷いなく紙へ手を伸ばした。
緑のすぐとなりに、ためらいのない赤を置く。
その赤は、夕方の光と溶け合い、
紙の上で静かな鼓動のように見えた。
「どうしてその色を選んだの?」と私は聞いた。
彼女は少し考えて、
「ここがあったかい場所になる気がしたから」と答えた。
その言葉に、胸の奥がふっとゆるんだ。
アートとは、何を描くかより、
“どの場所をあたためたいのか”
たぶんそれを探す旅なのだと思った。
作品はまだ完成していない。
けれど、その途中にこそ、
いちばん大切な光が宿っているように見えた。
私はそっと窓を開け、
流れ込む風が紙を揺らすのを見守りながら、
心の中でひとつだけ願った。
どうか彼女のこの沈黙が、
これから先の長い時間を照らす灯りとなりますように──と。