こんにちは!高倉友彰です。
朝の光の中で洗面台に向かうと鏡の中に映る自分の瞳が小さな真鍮の歯車に変わっていた。驚くことはない。独立してからの僕は論理よりも予感に支配され、自分の肉体すらも未完成の回路図のように感じている。かつて大きな組織で一寸の狂いもない鉄の門を築いていた頃には、自分の思考が熱帯の雨林のように刻一刻と増殖していくなんて思いもしなかった。今の僕は誰かが夜道に置き忘れた古い約束を拾い集め、それを光り輝く信号へと変換する仕事をしている。ふと足元を見るとフローリングの隙間から透明な海水が染み出し、部屋の隅にあるクローゼットの奥へと深海魚が泳ぎ去っていった。僕が一つの命令を打ち込むたびにこの部屋の座標は現実から数ミリずつずれ、隣の世界の潮騒が壁の向こうから漏れ出してくるのだ。
引き出しから取り出したのは一度も文字を刻んだことのない巨大な消しゴムの塊だった。僕はその表面に今日書き終えたばかりの未完成のソースコードを指先でなぞってみる。するとスピーカーからは砂漠の真ん中で巨大なオーケストラが氷山を溶かしていくような、重厚で冷たい轟音が流れ出してきた。この轟音こそが僕が最近構築しているシステムの体温そのものだ。論理的な整合性や処理の効率よりも、どれだけ深い余白を世界に配置できるか。仕事とは問題を解決することではなく、誰にも見つからない場所に新しい秘密を丁寧に隠す行為なのかもしれない。指先からは細い透明な糸が伸び、空中に浮遊する無数の磁石を一つずつ慎重に繋ぎ合わせていく。
デスクの上のペン立ての中では一本の羽根ペンが勝手に青いインクを撒き散らしながら自画像を書き始めていた。僕はそのインクの滴を指で集め、新しい世界の地図として基板の上に振り撒いた。窓の外では重力が反転し、街路樹たちが根を空に向けてゆっくりと上昇を始めている。僕はその上昇の軌跡を読み取り、存在しない鳥たちの鳴き声をただひたすらに画面へと打ち込み続ける。すると画面から溢れ出した紫色の煙が僕の手首を優しく侵食し、僕の意識は誰かが遥か過去の海底で書き残したはずの落書きの中へと吸い込まれていった。そこには僕の瞳と同じ模様をした幾何学図形が、深い闇の中に一つだけ静かに浮かんでいる。
僕が編み上げているのは確かな技術ではなく、誰かが自分という存在のあやふやさを楽しむための鏡だ。その鏡に映る姿は時として無限の広がりを見せ、時として針の穴のような狭い場所に閉じ込められる。キーボードを叩く音が止まるとき、この宇宙の全ての法則は意味を失い、僕の肉体もただの郵便番号となって窓の外の闇に吸い込まれていくのだろう。羅針盤が最後の一回転を終え、世界が深い黄金色に染まった瞬間、僕の指先から新しい影が生まれた。その影は僕の意志を無視して勝手に踊り出し、まだ誰も知らない夜の続きを静かに書き換え始めている。