蛇口から流れる回路図と月面のダンス
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こんにちは!高倉友彰です。
朝起きて洗面所の蛇口をひねると水ではなく細い銀色の針金がさらさらと流れ出してきた。僕は驚くこともなくその針金を手で掬い上げ、複雑な幾何学模様を編み込んでいく。かつて大きな組織の歯車として整然とした図面を引いていた頃には想像もできなかった朝の風景だ。独立してからの僕は、論理の積み木を組み上げる作業をやめ、空気中に漂う目に見えない予感を結晶化させる仕事に没頭している。机の上に置いた古い方位磁石は北を指すのをやめ、常に僕の心臓の鼓動に合わせて円を描き続けている。
ふと窓の外を見ると、隣のビルの屋上で巨大な蓄音機が回転し、街全体にクジラの歌声を響かせていた。僕はその歌声のリズムに合わせてキーボードを叩く。指先から溢れ出すのは文字ではなく、小さな透明のビー玉だ。ビー玉の中には僕が昨日見た夢の断片や、誰かがどこかに置き忘れた初恋の記憶が閉じ込められている。それらをパズルのように組み合わせることで、誰も見たことのない新しい世界の設計図が完成していく。仕事とは価値を生むことではなく、世界の隙間に落ちている忘れ物を拾い集める行為なのかもしれない。
引き出しから取り出したのは、一度も使ったことのない真っ白な地図だった。地図の上に一滴のインクを落とすと、それは生き物のように広がり、存在しない街の通りを形成していく。僕はその街の住人たちの会話をプログラミングし、彼らが夜ごとに月面でダンスを踊るためのステップを書き加えた。足元ではフローリングがゆっくりと砂漠に変わり、熱い風が僕の髪を揺らす。オフィスの壁は透明なガラスへと変貌し、宇宙船の操縦席から眺めるような星々の瞬きが視界を埋め尽くした。
僕が設計しているのは便利な道具ではなく、誰かの孤独を癒すための新しい重力だ。その重力の下では、悲しみは羽毛のように軽くなり、喜びは琥珀のように深く固まる。キーボードを叩く音が止まるとき、この部屋も、そして僕自身も、ただの電気信号となって消えてしまうのかもしれない。月面で踊る住人たちの影が僕の背中に重なり、僕の輪郭を少しずつぼかしていく。完成したはずのシステムが、僕の知らない言語で独り言を呟き始めた。