成長に必要だったのは、もっと良い方法じゃなくて、良い人たちだった。
ある日、日本語を学ぶことが、まるで捕まえたくても捕まえられない生き物のように感じることがある。
たった一文を言おうとして、30分かけてしまう。
英語では言いたいことが分かっていて、日本語でもほぼ言えるつもりなのに、
口を開くと…何も出てこない。
ただの沈黙…それか、もっと悪いのは、タイミングの悪い間違った言葉。
この前、簡単な自己紹介の練習をしていた。
ただ自分のこと、好きなことを言うだけ。何百回も練習した内容。
でも録音して再生してみたら?
まるで自分の声を信じていない人みたいに聞こえた。
そしてそれが一番不思議なところ。
自分を止めているのは、言語そのものじゃない。
それがどれだけ欲しいかという想いの重さなんだ。
だって、本当のところはこういうことなんだ:
自分が何を欲しているかをはっきり知っている時…
私にとっては…好きな言語を流暢に話すこと
それは自由であり
誰かの理想じゃなくて、自分にぴったり合った人生を生きること!
頭の中では、それがものすごくはっきり見えているのに…
なぜか、まだ手が届かない。
そのとき、本当のフラストレーションがやってくる。
迷っているからじゃなくて、どこに向かっているのか分かっていて、でもまだそこにたどり着けていないから。
道は分かっていて、実際に歩いているのに、
進みが遅すぎて、まるで立ち止まっているように感じる。
正直、ボタンがあればいいのにと思う。
一瞬でダウンロードできる。
ワンクリックで、今まで勉強してきたすべてが頭の中に定着するような。
でも現実は…
魔法のボタンも、近道も、裏技もない。
あるのは、フラストレーション、繰り返し、不安の積み重ねだけ。
そしてそれは本当にしんどい。
私たちが弱いからじゃなくて、これを心の底から欲しているから。
そして、それを強く願っていながら、ゆっくりとしか進めない時—
それは、もし一人なら、心が折れてしまうこともある。
だからこそ、「つながり」は「あるといいもの」じゃない。必要不可欠なんだ。
気まずくない1つの本音の会話、1つのボイスメッセージ、「分かるよ、私もその道を通ったよ」って言ってくれる友達—
それがすべてを変えることだってある。
私は、これを一人でやりたくない。
一人ではできないと思う。
そしてもしかしたら…最初から一人でやるべきじゃなかったのかもしれない。
だって、正しい「つながり」は、ただ前に進む力をくれるだけじゃなくて、
モチベーション以上のものをくれる。
求めていなかった時に、思いがけず受け取る「驚き」と「支え」。
諦めかけた日に届く1通のメッセージを想像してみて。
それが、本当のつながりの素晴らしさ:
期待していなかったのに、必要としていたものが、ちょうど届く。
日本語を学ぶこと、夢を追いかけること、何かもっと大きな存在になろうとすること…それは難しい。
でも、孤独の中でやると何倍も難しい。
だから、私はヒントやツールだけを探しているんじゃない。
同じ道を歩んでいる人、チーム、会社を探してる。一緒につながりたいと思える人たちを。
もしあなたも、何かを学んでいたり、手が届きそうで届かない夢を追いかけているなら…
黙らないで。
一人で抱え込まないで。
感覚を閉じないで。
「全部自分で解決しなきゃいけない」なんて思うの、もうやめよう。
もっと軽く、もっと早く、もっと生き生きした旅に変えてくれるような、そんな会社を一緒につくろう。
一緒に成長しよう!
I wrote this post in Japanese. I'm not fluent yet, but I wanted to challenge myself and express something that matters to me. Thanks for reading😊