助手が見た、坂本の挑戦。「ボディメイク≠大会」と書いた私が、選手のマネージャーとして決戦に帯同した話。
【導入】なぜ私は、彼の「マネージャー」になったのか
前回の記事で「ボディメイクのゴールは人それぞれ」だと熱弁した私が、今回は真逆とも思える「ボディビル大会への帯同」について書くことに、きっと驚いている方もいるでしょう。
私にとって、この帯同は単なるイベントではありませんでした。トレーニングをこよなく愛し、一度は競技から離れながらも、再び大舞台を目指す共同代表・坂本の挑戦を間近で感じることで、今後のキャリアで目指す「アスリートマネジメント」のリアルを学びたかったという、私自身の強い願望がありました。
そして、坂本自身も、大会直前の最も過酷な時期を任せる相手として、同じ競技経験者であり、彼が最も辛かった空白の時期から共に歩んできた私(橋本)を選んでくれたのです。物理的なサポート(会場までの移動手段の確保など)も必要とされていた中で、私の役割は単にトレーニングを指導する「トレーナー」ではなく、彼の思考と判断のノイズを全て取り除く「マネージャー」兼「助手」であることを明確に自覚しました。
この記事で描くのは、華やかなステージの裏側、選手とマネージャーが一体となって戦い抜いた、決戦前日と当日の最も濃密な舞台裏です。
【第1章】決戦前夜。マネージャーの仕事は「環境」になり、「器」になること
大会前夜、私のミッションはただ一つ。坂本が最高のコンディションで当日の朝を迎えられるよう、物理的なサポートと精神的な安定の両面から、彼という「器」を最大限に支えることでした。
彼自身、長年の競技経験とトレーナーとしての知識があるため、食事や水分調整は全て彼が管理していました。私がすべきは、その彼が決めた計画を滞りなく実行できるよう、完璧な環境を整えること。計量済みの食事を準備し、車での送迎を手配し、外部からの連絡やメディア対応といった、彼が「指定したこと」以外のあらゆる判断と行動を巻き取りました。彼の疲労を最小限に抑え、思考をトレーニングとコンディションだけに集中させる。それが私の徹底した仕事でした。
その日の彼は、「遠足前の子供」のようでしたね。コンディションの良さからくる興奮と、大舞台への緊張が入り混じり、ソワソワが止まらない様子。しかし、翌日に疲労を残してはならない。私はその高揚感を鎮め、しっかりと休んでもらうため、彼が話すことに耳を傾けました。
そこで彼が語ってくれたのは、空白の期間に味わった絶望、ボディビルから離れた心境、そして再起のきっかけとなったパートナーへの感謝の想いでした。日体大ボディビル部を退部し、ベンチプレス60kgも上がらず、心が筋トレを拒否した時期。そんな彼を救ったのは、年下のパートナーの存在だったと。「僕のことを好きじゃない人のことで費やす時間なんてない。僕は僕を好きでくれる人を大好きでいるのに忙しすぎるからね」というスヌーピーの名言 に救われ、再びトレーニングを始める内発的な動機を見つけたエピソードは、彼の人間としての深さを改めて感じさせました。彼の言葉を聞きながら、「この人についていきたい」という想いが、さらに強固なものになったのを覚えています。
【第2章】大会当日。生命の限界で戦う男と、マネージャーの痛恨事
決戦の朝。起床後、彼は体を少しずつ動かしながらスケジュールの最終確認を行い、朝食を摂った後にヘアセットのためにヘアサロンへ。全てが順調に進んでいるように見えました。しかし、会場へ向かう車中で、前夜の私の懸念が現実のものとなります。
前日のソワソワで全く眠れていなかった坂本は、水分や糖質をコントロールしたダイブ枯渇状態で、極度の疲労に襲われていました。車中、突然「体の疲労を抜かないと…寝る」と呟き、意識を飛ばすように眠りに落ちたのです。その時、私は彼が生命の限界ギリギリで戦っている状況を目の当たりにし、その覚悟と精神力に改めて圧倒されました。会場近くで「少し疲労が抜けた、ありがとう」と言って起きた彼の姿は、まさにアスリートのそれでした。
会場に到着後、まず向かったのは岩塩の購入でした。過去の経験から、汗を流した際に失われる塩分の補給が重要だと彼は知っていたからです。その塩を持って会場入りすると、すぐに「名門のオキテ!」の撮影が始まりました。
ここで、マネージャーとしての私の痛恨の判断ミスが生まれます。インタビューの場所が、猛暑日で直射日光が容赦なく当たる場所だったのです。脱水症状のリスクを高めてしまう環境。結果的に問題はなかったものの、「あの時、私がもっと強く言って場所を変えさせていれば、彼に無駄な疲労を蓄積させずに済んだのではないか」という後悔と、マネジメントとしての学びが深く胸に刻まれました。
バックステージには入れなかったため、私は客席から彼の戦いを見守りました。動画でも紹介されていたように、彼は大学の先輩である私を「助手」と紹介してくれましたね。そして、全日本ジュニアボディビル選手権という、23歳以下の全国チャンピオンたちが集う大舞台で、彼は「気持ちで押し通す」と語り、一切ブレない表情で審査に挑みました。その姿は、かつて部を去り、心が筋トレを拒否した彼とは別人。まさに「復活」を告げるものだったのです。
【第3章】開戦の時。トロフィーを約束した男を見送って
バックステージへは入れないため、私は会場の入り口で彼と別れました。その時、彼が私に放った言葉は、今も鮮明に覚えています。
「さあ、次会う時には優勝トロフィーを持って帰ってくるよ」
その力強い言葉は、彼の揺るぎない覚悟と、私への信頼が凝縮されていました。彼をステージへと送り出した後、一人になった私は、彼の勝利を信じ、その後の「ブランド戦略」をまとめていました。これもまた、マネージャーとしての私の、もう一つの戦いだったのです。
結果は、準優勝。優勝トロフィーは惜しくも手にできませんでしたが、彼はステージ上で約束通り、最高の笑顔を見せてくれました。彼が「元気な姿を見せる」 と誓った通り、その笑顔は多くの人々に勇気を与えたことでしょう。
大会後、彼と合流した時の言葉も印象的でした。「神様がお前は世界選手権に行っちゃいけないって多分言ってます」と、悔しさの中にも次への意欲を見せていました。そして「僕を信じてくれた、君は本当に全てのことやったよ」と、私のサポートを労ってくれました。その言葉一つで、この大会の全てが報われた気がしました。
【結論】伴走者が見た「本質」。だから、私の軸はブレない
坂本の挑戦をマネージャーとして間近で支え、極限状態を共有したことで、私の中にあった「ボディメイクとは何か」というモヤモヤは完全に晴れました。ステージ上の彼は、優勝という目標に向かいながらも、最終的にはただ無邪気に「競技」を、そして「トレーニング」そのものを心から楽しんでいました。スポーツは楽しまなければ意味がない、という原点を、彼が改めて私に教えてくれたのです。
かつて、部を去る彼を「潰れて欲しくない」と心配し引き留めた私。しかし、苦難を乗り越え、大切な人のために、そして自身のためにステージで輝く彼の姿を見て、当時の自分の迷いが完全に晴れました。
この経験を通して痛感したのは、人の悩みや、その人が本当に求めている「本質」は、言葉だけでは分からないということです。そして、「この人になら頼ってもいい」と心から思われる人間力を日々磨くことこそが、本当の意味でのサポートに繋がるのだと。
だからこそ、私のトレーナーとしての軸は、これからも一切ブレることはありません。それが「健康的な体づくり」であれ、「大会での勝利」であれ、私の役割は変わらない。目の前の人が心に秘めた「なりたい姿」という本質に寄り添い、その実現のために最高の環境を用意し、全力で伴走する。
この経験は、アスリートマネジメントに限った話ではありません。プロジェクトマネジメントや部下の育成、顧客への価値提供など、あらゆるビジネスシーンに通じる「伴走力」の本質が、この決戦の舞台裏にはありました。
最後に
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
準優勝という結果以上に、私たちが手にしたもの。それは、「どんな困難な挑戦にも、共に乗り越えられる」という確固たる信頼関係でした。
あの日、マネージャーとして彼の戦いを見届けた私は、確信しました。「この熱量を、一過性のものにしてはならない」と。
次回、ついに始動します。あの決戦の舞台裏から生まれた、私と坂本の共同事業「やるしかないプロジェクト」。その名に込めた想いと、最初のブランド「ALEA」の全貌をお話しします。個人の物語が、チームの物語へと変わる瞬間を、ぜひご覧ください。