無骨な日常に、小さな『愛おしさ』を。
昔、フレンチブルドッグを飼っていた。 名前はムーチョ。
わが家の窓にはブラインドが掛かっていて、彼のルーティンはその隙間からベランダへ出て、街の平和を確認することだった。 「この街は俺が守っている」と言わんばかりの凛々しい顔。
ところがある朝、部屋に戻ろうとした彼の首に、ブラインドの紐が引っかかった。 前に進めず、ベランダに戻ると自由になれる。それを何度も繰り返し、最後にはジッと僕を見つめて固まった。 「オイラ、動けないんだけど、どうすればいい??」 さっきまでの威厳はどこへやら。そのトホホな表情が、今も忘れられない。
そんな記憶を呼び起こしたのは、仕事場に置いた二鉢の塊根植物だった。 成長が遅く、なかなか大きくならない。だが5月になり、その無骨なトゲだらけの枝から、驚くほど小さな葉が芽吹いた。腰ほどの高さがあるその姿には、およそ似合わないほど小さな、小さな葉だ。
僕の仕事場は、多くが病院だ。 救命救急センターでは、突然失われる命がある。 一方で、何十時間という手術を乗り越え、繋ぎ止められる子どもの命がある。 「助かりたい」と「助けたい」という強烈な意思がぶつかり合う、極限の場所。
そんなヒリつくような現場に身を置いているからだろうか。 紐に絡まった犬の困り顔や、不格好な植物から出たばかりの小さな葉っぱ。 そんな、なんてことのない「可愛らしさ」が、たまらなく愛おしく感じる。
張り詰めた空気の中で、ふっと心を緩めてくれるもの。 その小さなリズムがあるからこそ、僕はまた、命の重みと向き合うカメラを回し続けられるのだと思う。
※ストーリーでは政策の裏側や視点を公開しています。こうした感性やアプローチに共感いただける方と、新しいプロジェクトをご一緒できるのを楽しみにしています。