19世紀オスマン帝国史から、現代の水道へ
オスマン帝国と聞くと、みなさまは何を思い浮かべるでしょうか。
異国情緒あふれる都市、東西の要衝イスタンブル、あるいはハレム。思い浮かべるものは人によって異なるかもしれません。
私が気になったのは、少し違うことでした。
「600年も続いた帝国のインフラは、どうなっていたのだろう?」
都が置かれたイスタンブルには、同時代の主要都市と比べて特徴的な点があります。大きな河川がなく、海に囲まれた都市ということです。
そのため、郊外から水をどう引き、どう貯め、そして人々にどう配分するかは、古くから重要な課題でした。
そんなイスタンブルにも、19世紀になると西洋化・近代化の波が訪れます。
近代的な衛生概念が導入され、都市を衛生的に保つための上下水道整備も課題となっていきました。
では、当時の人々は新しい知識や技術を、どこから、どのように吸収したのでしょうか。現代の都市計画や水道行政につながる制度が形成されていく19世紀に、オスマン帝国の官僚たちは海外の知識をどのように取り入れ、自分たちの都市に適用しようとしたのか。これが、大学院で私が取り組んだ研究です。
調べていくと、水道だけを見ていても水道のことは分かりませんでした。国際衛生会議、国際港として必要になる感染症対策、都市行政、住宅、人口増加、そして財政。19世紀後半にはオスマン帝国の国家財政が厳しくなり、海外資本を利用したインフラ整備も行われています。
水道という一本の管を追いかけていたはずが、その先には都市そのものがありました。
そして現在、私は衛星データを活用した水道事業に携わっています。
時代も国も、使う技術もまったく違います。
それでも現代の水道について調べていると、人口、都市構造、行政、財政、住宅、衛生、民間事業者との関係など、かつて研究していたものと重なる要素が次々と現れます。
整備されたインフラをこれからどう維持していくのか。限られた人員や財源をどう配分するのか。新しい技術をどう取り入れるのか。
19世紀の史料を読んでいた頃には、まさか自分が人工衛星やAIを使って現代の水道を見ることになるとは思っていませんでした。
では、歴史研究で身につけたものが、人工衛星やAIを使う現在の仕事にどうつながったのか。
その話は、また次回。