男には、稼ぐ責任がある。——20歳で「安定」を捨てた元自衛官の決断
15歳で陸上自衛隊に入隊し、周りが高校生活を楽しむ中、僕は厳しい規律と責任のど真ん中にいました。厳しい訓練を乗り越え、自衛官として安定した道を進んでいましたが、20歳の時、人生観をガラッと変える出来事に遭遇しました。
相手は、心から尊敬していた7歳上の先輩。以前は毎週飲みに誘ってくれていましたが、結婚後パッタリと誘いがなくなりました。
当時は少々煽りながら理由を聞くと、先輩からはこう教えてくれました。
「結婚して、お小遣いが2万円になったから、誘いたくても誘えないんだよ」
安定した仕事で家族を養っているはずの先輩が、まさか経済的な理由で「人を誘う」という小さな自由さえ失っているなんて、大きな衝撃でした。
「自分の意志で断るならまだいい。でも、誘いたくても誘えない人生は、絶対に嫌だ」。この出来事を機に、「男には、愛する人を守るだけでなく、自分の未来を自分で選べる経済力を稼ぐ責任がある」と強く確信しました。
最初の挫折。そして「エンジニア」という逆転の発想
この信念を胸に、まずはお金の勉強からスタート。FPや投資などの勉学に励んだ結果、長期的な自由を勝ち取るには、「起業」が最も確実な道だと判断しました。
戦略を練るため、僕はすぐにアクションを起こしました。Instagramで起業家を名乗る人に片っ端からDMを送り、対面アポを依頼。結果、13人の現役の方から話を伺うことができました。多くの起業家の方からお聞きしたこととして、「会社員として働きながら、副業で事業を立ち上げる」ということ。僕も当時同じ道を進みたかったですが、自衛隊は副業禁止ということがあったので、20歳で安定した自衛隊を辞め、人生のターニングポイントに立ちました。
退職後、会社員としての転職活動を始めますが、いきなり壁にぶつかります。起業には営業力は必須だと考え、第一希望は営業職。しかし、当時の僕はコミュニケーション能力が皆無で、何社受けても内定をもらえなかったです。これが最初の大きな挫折でした。
そこで戦略を切り替えました。
第二希望はエンジニア職。理由は、「パソコンを使いこなせるようになること」です。仕事のできる人は、みんなパソコンでサクサク作業しているイメージでしたが、当時の僕のPCスキルは人差し指でキーボードを触るのが精一杯のレベル。
「仕事をしながら、必須スキルであるPCスキルが徹底的に磨ける仕事は何か?」と考え、エンジニアの道を選びました。
「怪しい」と言われた副業が、1年で本業の給料を超えた理由
エンジニアとして働きながら、副業として人材営業(転職・キャリア支援)に挑戦しました。
最初の3ヶ月は紹介も報酬もゼロ。特に難しかったのは、伝え方です。現状に不満がある社会人に対し、僕の熱意だけで「稼ぐ責任」や「年収アップのための努力」を訴えても、「マルチっぽい」「怪しい」と批判されたり、「若いのにすごいね」と上辺だけ褒められて終わり、行動には全くつながらなかったり。
「想いだけでは人は動かない」という現実を痛感し、泥臭く改善を重ねました。
当初の収入源はシンプルな紹介営業。転職希望者をキャリアアドバイザーに繋ぎ、成約したら2万円の報酬をもらう仕組みでした。
ここから僕は戦略を変えました。紹介を続ける中で、仕事内容やノウハウを徹底的に学び、単なる紹介ではなく、「履歴書・職務経歴書の添削からキャリア支援まで、付加価値の高いサポートをした上で繋ぐ」形に切り替えたのです。
この戦略的転換により、紹介料の単価交渉に成功し、一人当たり10万円までアップ。副業開始からちょうど1年で、本業である会社員の給料を超える成果を達成しました。稼ぐ責任は、熱意ではなく、具体的な戦略と行動で果たせると確信しました。
現在、僕はその経験と実績を基に、若い世代のキャリア支援事業を立ち上げています。
不器用でも、失敗しても、具体的な行動と努力は、必ず結果に結びつく。人は必ず変われる。
この身をもって経験した事実があるからこそ、僕は今、学生や若手社会人一人ひとりと本気で向き合い、彼らが経済的な自立と自己実現を果たすための「机上の空論ではない、超具体的な戦略」を伝え、背中を押し続けています。