今朝の横浜のマリーナは、随分と人が多く騒がしかった。
今日から今年のクルージングヨット教室が始まるので、マリーナにはヨット教室を受講する生徒さんたちがいっぱい集まって来ていて、いつもは静かなマリーナの敷地内が騒々しいようだ。
生徒たちの間をかき分けて、麻美子は隆と一緒に自分たちのヨットに乗った。
「夕方から生徒たちの引き渡しだから、午前中は少しだけ海に出て帆走してこよう」
船長である隆が、麻美子に言った。
あんなに大勢の生徒さんたちがヨットに乗りに来てくれるのだったら、来週からは別に私が隆と一緒にヨットに乗りにこなくても、隆もさみしくないわねと麻美子は思っていた。
「来週からは、私がヨットに来なくても大丈夫よね」
麻美子は、隆にそう伝えようと思いつつも、ずっと言い出せずに言いそびれていた。
午前中、ヨットで海に出航して、昼過ぎにマリーナへ戻って来て、キャビンでお昼を作って、デッキで昼食を食べているときも、麻美子は隆にそのことを伝える機会を逃していた。
「そろそろ各艇に生徒さんたちを振り分けますので、オーナーさんはクラブハウスへお集まり下さい」
マリーナの職員さんが、各艇のオーナーさんに伝えていた。
「生徒さんたちを迎えに行ってくるの私が行こうか」
隆は、午前中、セーリングをして来たヨットの後片付けに忙しそうだった。お昼ごはんの後片付けを終えた麻美子は、隆に提案した。ヨットのセイルを折りたたんでいた隆は、黙って麻美子に頷いた。
麻美子がクラブハウスに行くと、他にも多くのヨットオーナーさんたちが生徒たちのことを迎えに来ていたのだった。その中に、ウララの松浦オーナーの姿もあった。
「松浦さんのところも、生徒さん取られるのですか」
麻美子は、この冬の間ずっとヨットに乗りに来ていて、すっかり顔見知りになってしまったウララの松浦オーナーに話しかけた。ウララは、隆の乗っているラッコのヨットとは、まるっきり違うタイプのヨットで、ヨットレースで速く走ることだけに特化して造られているヨットだった。
「え、これがトイレなんですか」
麻美子は、以前、ウララの船内を覗かせてもらった時、速く走れるようにと船体を軽くするため、ほぼ何もない空っぽの船内に、パイプベッドが両サイドに4個備え付けられており、カセットのガスコンロ1個とバケツが置いてあるだけの船内を見せてもらったことがあった。
ただの青いバケツがウララのトイレで、そこへ用を足して海に流すのだそうだ。
「それでは、生徒さんたちを振り分けます。自分の船の名前を呼ばれたら、オーナーさんは教室の前方にいらして下さい」
教壇の先生が、教室の後ろの方に集まっていたヨットのオーナーさんたちに声をかけた。
「ウララさーん」
先生に呼ばれて、オーナーの松浦さんは、教室の前方に移動した。先生がウララに振り分けられる生徒さんたちの名前を呼んで、呼ばれた生徒さんたちも教室の前方に移動して、これからお世話になるヨットのオーナーさんと対面した。レース艇のウララに振り分けられる生徒さんたちは流石に皆、若くて力のありそうな男性たちばかりだった。
「うちのヨットには、どんな生徒さんたちが振り分けられるのかな」
麻美子は、自分が呼ばれるのを待ちながら考えていた。さっき、ロープの結び方がよくわからずに私が教えてあげた女の子って素直で可愛かったし、うちのヨットに振り分けられるといいな。
「ラッコさーん」
教壇の先生に呼ばれた。麻美子は、慌てて返事をすると教室の前方に移動した。
「永田さん、柏木さん、中村さん、鈴木さん」
麻美子が教室の前方に移動すると、先生は、今度はラッコに振り分けられる生徒さんたちの名前を順番に呼んでいた。先生に名前を呼ばれる度に、呼ばれた生徒さんが返事して前方に出てくる。
最後に、鈴木さんと呼ばれた生徒が教室の一番後ろから返事して、教室の前方に歩いて来た。麻美子がさっきロープワークを教えてあげたあの可愛い女の子だった。
「彼女、うちのヨットに振り分けられたんだ」
麻美子は、彼女の名前が呼ばれたとき、なんか嬉しかった。
主な著作「クルージングヨット教室物語」「プリンセスゆみの世界巡航記」「ニューヨーク恋物語」など