優しい社会をつくる。
「2020年4月までに起業を目指し、3ヶ月ごとにご縁で繋がった企業を回りながら経験するという仕事の旅しています!」
ぼくは端的にそう説明しています。
だけど、決して
「お金持ちになって高級車や時計をしたいから起業したい。」
わけではなく、
「なんでもいいから起業したい。」
というわけでもありません。
ひとつの理由は、自分自身が信じる理想、その夢や目標を叶えるため。
もうひとつは、自分を表現し続けたいからです。
ぼくの信じる理想の世界。
人と人とが協力し、手を取り合い、補い合い、困ったときは手を貸し、「おめでとう」「ありがとう」の言葉が溢れる世界。
人が人らしく、思った事ややりたい事、好きな事、楽しい事をし続けられる世界。
歌うように、踊るように、自分の想いを表現しながら生きる人が溢れる世界。
そんな世界のことを、ぼくは「美しい世界」だと思っています。
だけど、どうでしょう。
今の世界、ベーシックな生き方や成功が常識や正解と言われる強烈な社会重圧、同調圧力を感じます。
既得権益を守る大人がいて、
資本主義経済から生まれたルールや常識が、
経済成長のために整備されたルールが、
人間としての生き方の首を絞めているような感じ。
ぼくはそんな世界に「濁った」イメージをもっています。
行動をしてからぼくはいろいろな人と出会ってきました。
そこで出会った人たちは、総じて優しく、総じて頭が柔らかく、「じゃあこうした方がいいよね!」と前向きな人がたくさん。
「この世界にそんな人が溢れたら、世界はより良くなって、この世界がより美しくアップデートされるんじゃないかなっ。」
そう思いました。
自分を表現したい。
それは「認めて欲しい」「生きる証が欲しい」とも言えます。
ぼくの中でいっちばん奥底に眠る記憶は、運動会のかけっこで一等賞をとった思い出。
あの時に受けた声援なのか、喝采なのか、具体的には思い出せないけど、とにかく気持ちよかった。
そして学校に行きました。
授業を受ける教室では、うまく自分を表現出来ませんでした。
だけど、その分自分を表現できたのは、部室とグラウンドだけでした。
教室では自分をだせずにくすんでいたけど、自分を表現できる場所や人の前の自分は誰よりも輝いていた。
どっちの自分も自分だけど、部室やグラウンドにいた自分の方が圧倒的に楽しく輝いていた。
きっとみんなもそう。
自分らしく、自分を表現するコトは誰にでも出来る。
そして、誰しもがみんなどこかにそんな場所があるという事。
「居場所」
「待ち合わせ場所」
「表現する場所」
この3つがあれば、人は幸せになれると思っています。
人間が人間らしく生きていける世界へ
それはまるで子どものように。
それはまるで歌うように、踊るように。
思うがままに、心が動くままに、想いを大切に、表現して生きていける社会をつくりたい。
それが未来の子どもたちの為になるから。
ぼくは社会を明るくしたい。
どうせ人は死ぬし、どっちみち後悔する、いやな事もあるだろう。
だから一度きりの人生。
チャレンジする。