佐渡島の限界集落に3年住んでわかった3つのこと
1. 価値観のリセット
豊か、便利、正しさってなんだ?
息子が小学校に上がった年、ちょうどコロナ禍が始まりました。世田谷の公立小学校では、先生たちも子どもたちも常に緊張し、何か違うことをすると注意される日々。親も疲れ切っていました。
そんなときに出会ったのが「佐渡の離島留学」。小中あわせて生徒10人未満の学校に転校できる仕組みで、刺激に飢えていた佐藤家はすぐに体験に行くと、学校からも集落からも手厚く温かい歓迎を受け、すぐにコロッといきました。
佐渡島は意外と大きく、S字型の島の中央「国仲」エリアにはミスドもコンビニもあり、子どもも多く、都会と大きな違いはありません。その学校があるのはその中心部から車で1時間ほど北に行った、面積0.24km²、人口100人弱の最北端の集落です。ちなみに世田谷1丁目は約0.278 km²、人口6,384人。
現在一番若いのは高校生男子が一人。次はずっと飛んで40歳くらいの男性、その次もまた飛びます。つまり子どもがいないので外から呼んで学校を存続させる取り組みが離島留学なのです。
最寄りのスーパーまで1時間問題はネットとアマゾンで意外にそれほど困りませんでした。
ここでは、食材はほぼ頂き物で賄えます。カニは1杯ではなくバケツ1杯で届き、味噌を頂いた時も「無くなったら言ってね」と。やさしすぎる!
今ではいちいち買いに行かないと何もない東京のほうが不便な気もします。
飲み屋も無いけれど、漁師さんの家飲みが最高。お金を出しても食べられない魚や料理、そして漁師さんのこれまた豪快な下ネタ混じりの大爆笑トーク。世界中に配信したいです、無理だけど。
もう都会のおいしいだけの店では満足できないかも。
そして、何よりも学校が素晴らしかった。生徒2人に対して先生が1人。受け身ではなく、全員が主役。先生は“お兄さん・お姉さん”のようで、親とも距離が近い。
見学のときに外につないで待たせた犬を、寒いからと校内に入れてくれた時は常識が砕かれました。大勢いるとよく考えずに遠慮して出来ませんが、ここでは冷静に正しいかどうかをみんなで考えることが出来ます。私はそこで行かせようと決めました。
生徒は多いほうが良いと思い込んでましたが、思考停止してたとつくづく思い知りました。
2. 「集落」
住所や町内会とは違う社会システム
私は福島出身で、田舎も都会も知っているつもりでしたが、佐渡の「集落」という仕組みは別格でした。町内会が“ゆるいサークル”なら、集落は“ガチな部活”。住民票を置いただけでは入れず、申請と承認が必要。入れば「構成員」となります。最初はびびりました。
集落には独自の会議体や選挙制度があり、自治が非常に強く、農業や漁業の経済活動も含めると、まるで“会社”のようです。街に住みながら会議のために片道1.5時間かけて通う人も。世代で感覚は少し違うようですが、仕事や家族よりも重要視してるように感じます。
島自体よりもこの集落というグループにカルチャーショックがあり、慣れない私はたまに地雷をふんでお互いびっくりしましたが、私も集落も少しづつ慣れた気がします。
集落の仕組みの一番良い点として治安が良いことだと思います。警察や役所のある 街から遠く、その道路が通ったのもここ数十年だとか。村をまとめるには強い仕組みが必要だったんだと思います。消防団や防災訓練などもかなり本格的で、道路の痛みやインフラの状況などは細かく把握しています。
それと信用されると本当に助けてくれます。私の地域おこし協力隊の活動も、最初は相手にされず落ち込んだものの、2年目には皆さんと一緒に、オリジナル演歌でダンス動画まで制作できました。
https://www.youtube.com/watch?v=39JUQeKPknE
もちろん、しっかりしているがゆえの煩わしさもあります。特に若い人は一度出ると戻らないかもしれません。でも、心強い素敵な若手も確実ににいるのでこれからが楽しみです。
3. 現実としての社会課題
未来ではなく「今」そこにある問題
少子高齢化、耕作放棄地、人手不足、漂着ゴミ……社会課題を「いつか来る未来」と思っていた私にとって、佐渡ではすべてが“今ここにある”ものでした。
1年目100人いた人口も2年目は2桁に減ったり、小中学校が留学生だけになったり、米作りの名人が引退したり。バスが減便し予約運転になり、景勝地にはゴミが増え、雑草と竹が侵食してくる。ニュースやグラフではなく、目の前で起きている現実でした。
だからこそ、ここで見たことを忘れずに、今後の仕事や暮らしに活かしていきたいと思っています。この島に、いつかまた息子が戻って来たくなるように。