1
/
5

人格形成に影響をあたえたものたち

 自然豊かな山奥で平和な幼児期を過ごしました。雪山と白樺の白さ、春のフキノトウとヨモギにツクシ、たまにキタキツネやアオダイショウ、そんなものたちが原風景です。100年前ならアイヌコタンで、200年前なら日本ではない土地柄です。したがって私の人格中核部は、国家もふくめたいかなる人工物にも先立って、大自然に属して存在しています。(といっても子供時代にはレゴもファミコンも週刊少年ジャンプも存在していました)

 高等教育段階にいたりようやく外の世界へ目が向き始め、国際交流や旅に目覚めます。直系の師匠筋にあたる建築家清家清、およびWalter Gropiusとバウハウス経由で20世紀モダニズム建築や、ヨーロッパの建築家・芸術家・思想家たちから相当影響を受けます。一例としてはLevi-Strauss『悲しき熱帯』を読んで強烈な眩暈を体験します(17歳の夏)。数学よりは人文系の本や語学を愛好しておりNHKラジオ語学講座を7か国語聴いていたことがあります。

 このころ初めてプログラミング(BASIC)を履修しますが、iMacなど自分のアルバイト代では高嶺の花で、20歳過ぎにようやく(奨学金で)自分のラップトップを購入します。
21歳の時、MIT media lab石井先生の講演に圧倒されます。職業的建築家として自分の適性はいまいちかもしれないとモヤモヤしていたこの頃から、数学とプログラミングへの関心がますます上昇します。線形代数やトポロジーの先にある数学、Ramanujanとかゼータ関数とかリーマン予想とか、Alan Turingらの存在を知り、数学とは解くだけではなく創作していいものだということに気づいてからがぜんやる気を出し始めます。建築とITを横断する学際領域を模索し、William J. Mitchell『シティ・オブ・ビット』なんかを題材に学士を終えて卒業に漕ぎつけます。

 就活に出遅れたため、派遣で英文事務などしながら東京で生計を立て始めます。リーマン・ショックによる派遣切りや東日本大震災、疾病などにより職場はちょくちょく変わりつつ、IT業界の姿が見えてきたころLinuxをいじり始めてオープンソースの世界にはまり始めます(これだけのものが無料でつかえるのか!と)。

 こういう経歴のため、実務家としてはLinuxやOSSに関わり続けたく、巨大プロジェクトのマネジメントや大金を動かす事よりは、個人DIYとしての小規模建築とIoTという組み合わせに手を動かすことを喜びとし、旅行は好きだがさほどの物欲はなく、現代数学の最前線にはまだまだ追いつけないだけに憧れがあるという次第です。

 ギリシャを起源に西欧で発達した科学、およびその産業的応用として現代シリコンバレーやMITあたりから世界へ拡散され続けているテクノロジーという、自らの肉体にとって外来の刺激と向き合い続けるなかで、自らの生活体験の中で血肉化した、あるいはご先祖から受け継いだ肉体に土着の日本文化・東洋的なもの・自然界に対する受動性についても同時に考えざるを得ない日々を送っています。近年あらためて日本や自らのルーツを考えるようになり、白洲正子、南方熊楠、中上健次、宮本常一、鈴木大拙、平家物語、古事記などの古典、寺田寅彦、岡潔、萱野茂、宮澤賢治、石牟礼道子などのほか、中国やインドの古典も愛読しています。
 両者が必ずしも対立するものではなく、ちょうど登山のように、出発地点や進行速度、ルートやそこから見える風景は各自各様であっても、目指す山頂は同一であるように、いかなる生い立ちの者にも真善美の探求は無明のごとく備わっている欲求と考えており、科学技術と自然が相互矛盾せずに存在できるバランスだとか、その境地に存在するはずの美であるとか、万人にとって正しいものは存在するのかとか、相違よりは共通事項が気になるタチなのです。