元美大生が知床へ引っ越し、図書館の地域おこし協力隊がしていること
斜里との出会い
こんにちは。栃木県出身で、2024年5月から斜里町地域おこし協力隊の岩村朋佳です。
私は、東京の武蔵野美術大学に通っていましが、3年生の辺りから「どうして大学の近くに住んでいるのだろう」と思い、そのアパートを出て静岡県や四国、北海道などいろいろなところで働いたり、働かなかったりしながら大学卒業まで暮らしていました。
その旅中で、静岡県在住の写真家さん(2019年に、斜里町立公民館・ゆめホール知床にて展示を行った西野壮平さん)のところで1週間ほど住み込みバイトをしました。その次は北海道に行く予定だったので、西野さんに軽くお話ししたところ、「斜里の農家さんを紹介するよ!」と言って、その場で電話をかけてくださいました。
しかし、その農家さんは小麦の収穫で忙しい時期だったので、その農家さんの知り合いの写真家さんご夫婦を紹介していただきました。
そうして、初めての1人北海道で、名前も知らない斜里町に行くことになり、その上、顔も素性も知らない人の家に泊めてもらうことになったのです。
当時、亡き祖父のフィルムカメラを持って好きだと思うものを撮っていました(宗谷岬)
札幌、登別、旭川、稚内、利尻島、網走と巡り、待ち合わせであるウトロのコンビニに行きました。
すると、そこにいたのは居候だという大学生の女の子で、「どゆこと?」と思いながらウトロ高原の家に行き、美味しいご飯を食べさせてもらいました。
その家は古いけれど生活の温もりがあり、こういう場所に住んでみたいな〜と憧れた記憶があります。その後も彼女たちとの交流は続き、不思議な力に惹かれながら毎年斜里に遊びに行くようになりました。
斜里での衝撃
大学4年生の夏、木工職人になりたい!と思い、旭川の木工工場へ1ヶ月ほどインターンに行きました。結果、なったとしても途中で挫折しそう!と、ふらふらと斜里に遊びに行きました。
すると、友達と誰かが「葦の芸術原野祭」というものをやっており、なんか変なことしてる〜と思った記憶があります。その夜、「黒と白と幽霊たち」というバストリオが行う公演を観てみると、これは普通の芸術祭ではない!と五臓六腑に衝撃を受けました。
観劇後、脳みその毛穴が開いて、何かがドクドクと流れ続けました。私は演劇とかパフォーマンスというものに興味も関係もないと思っていましたが、彼らのしていることは生きていること、死ぬこと、生活していること、そして今、近く、遠く、全てだ!と思いました。
その衝撃と違和感を抱えながら、大学に戻り、突き動かされたように卒業制作をつくると、学科の優秀賞をいただきました(毎年何人かいます)。
よし、このまま生きてみよう!と思い、就職せず、在学中にお声がけいただいた会社さんと一緒にものを作ったり考えたり、自分の展示をしたりと、大学卒業後から地域おこし協力隊になるまでの2年間、夏は1~2ヶ月ほど斜里に滞在し、葦の芸術原野祭に参加していました。
満員御礼「葦の波」!数年前までパフォーマンスは興味がないと思っていた私が公演に参加しています
会場什器として、流木と図書館で使われていた棚板を使い、テーブルを作りました
今年は金魚倶楽部の先輩たちに大変お世話になりながら、フクロウねぷたを作りました
通って4年目の斜里!図書館で勤務
2024年の1月〜3月、斜里に住む友人の手伝いで、住み込みの下請け仕事をしました。初めての雪国長期滞在では、1日中ストーブをつけっぱなしにすることや、雪道の運転、家に籠る生活…様々なことが新鮮に感じました。
その仕事が終わる頃、ずっと人の家にお世話になった反発、斜里に一軒家を持つ憧れ、地域おこしの仕事へのお誘いなど色々なことが重なり、5月から図書館所属の地域おこし協力隊になりました!
また、3月に1日だけ手伝った農家さんから一軒家をお借りすることになり、一気に生活が駆け抜けていきます。
仕事が始まると、すぐに「図書館みらいキャンパス」(以下、「みらキャン」と略)の運営を、同じく地域おこし協力隊の浅香さんと行うことになりました。みらキャンの運営方針や対象年齢などは決まっていましたが、ビジュアルや具体的な動きは自分たちで決めていきます。
私は、工作関係が得意なので、みらキャンのポスターを作ったり、ワークショップの企画、チラシ制作をし、浅香さんは勉強が得意なので、子供たちと一緒に宿題をしたり、苦手克服のためのアドバイスを行うなど、お互いのできることを活かして活動しています。
現在は基本的に、火曜日から木曜日の15時〜18時、土曜日の13時〜17時、図書館会議室の一角で、小学5年生から中学3年生を対象に勉強をしたり、最近のことを聞いたり、工作をしたりと、来た子によって柔軟な対応ができるよう心がけています。(2024年12月現在)
図書館テラスに植えた野菜の成長を観察中
仕事をして感じたこと
ここに来るまで、子どもと話す機会がほとんどなかった私ですが、日々接するうちに子どもたちへの偏見や緊張が解け、「自分が楽しい!」と感じていることは、子どもたちも一緒に楽しんでくれるのだと気が付きました。
倫理観や社会的感性が未熟な子どもに対して、大人はよく説教臭く語ってしまうものですが、それも自分が本当に考えたり、思っていなければ子どもにも伝わりません。
そう思うと、自分が子どもに伝えたり、教えられることなんて何もないと思いますが(だって、いくら歳を取っても何かしらの悩みや苦しみがある!)、私が今まで行動してきたり、確かだと感じてきたことは伝えることができます。
それが、私にとっては「ものをつくること」「ものを拾うこと」です。
野菜や花を植えるためのプランターに絵を描いたり
海ビンゴワークショップを実施し、今まで私が拾ってきたリストを見てもらったり
(ビンゴの内容は、「かわいいと思ったもの」「丸いもの」「変だと思ったもの」など)
やったことなかったけど、唐突に紙すきのワークショップしてみたり
焚き火のワークショップで小枝を削ったり(館長楽しそう)
大人とも焚き火をして木を削ったり
川村喜一さんを講師に招いて、土から土器をつくるワークショップをしたり(私は象形文字クイズを出題中)
土器の焼き上げをしながら、図書館テラスで放課後フリー焚火をしたり
大学受験で使い、持て余したアクリル絵の具を使ってもらったり
こんな感じで、隙があれば何かを作っているか、木を燃やしています。
クリスマスはアイシングクッキーのワークショップをして、来年は、木材でテーブルを作るワークショップ、石コレクション(仮)、解体ワークショップ(仮)を企画したりと、自分の好きなことを多くの人と共有できるように工夫して、働いています。
また、子どもたちにみらキャンでやりたいことを聞いて、少しずつ実現しています!
土地の力
こうして色々動けたり、たくさんの人と繋がりながら生きているのは、この土地の持つ厳しさと、人々の強さのように感じます。
知床連山から続く山々と斜里岳、オホーツク海に囲われたこの土地は、いつもどこかで生き物のことを試しているような気がして、東京にいたときに感じた「自分が何者か」という不安感は薄まり、こうしたい、ああしたいという気持ちが自然と行動につながって、自分が生きていることを手元で感じられます。
また、斜里には「語り継ぐ女の歴史」という郷土史があり、この地で生きた女性たちの開拓の記録を読むことができます。壮絶な体験を軽やかな口調で語る女性たちがここで生きていたという事実が、この地の地層を厚くし、ただ立っているだけの体も、しっかりしなきゃと軸が直される気持ちがして心地良いです。
私はここに来るまで、数ヶ月後はどこにいるか分からない生活をしていました。
しかし、この8ヶ月間斜里に住んで、数年後の自分や周りのことが少し想像できるようになりました。というより、生きている間に自分ができることはきっと少ないのだから、きちんと選択して生きていこうと思い始めました。
好きなことを企画として実現できる環境、少し顔を出しただけでいただくたくさんの野菜、早朝4時の海釣り、朝にリビングの窓いっぱいに広がる雪景色、子どもたちと一緒にものづくり。
ここでの仕事と生活のおかげで、学んだり、受け取ったものがとてもたくさんあります。全てはまだ自覚できていませんが、今後もぽつぽつとたくさん湧き出てくる気配を感じています。
2025年の4月、私は昔からずっと憧れていた古道具屋さんと喫茶店を自分の家でやるというのをやってみるため、相方のいる長野県に引っ越します。
なので、地域おこし協力隊は来年3月いっぱいまでの勤務となりますが、自分で色々動こうと自信がついたのは斜里での生活や、自分の好きなことを他者に受け渡す機会、お世話になっている人々のおかげだと感じています。
生きている間、私は何度も斜里町のことを思い出して、何度も誰かに会いに来ると思います。本当に好きな場所です。
2025年4月、峰浜の家で1週間ほど展示をする予定です(入場無料)。詳細が決まり次第、またお知らせします。ぜひ遊びに来てください。今感じていることを形にしたいと思っています。
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