「無私の精神」
「無私の精神」
故人となったが、有能な実業家があった。非常に無口な人で、進んで意見を述べるというような事はほとんどない、議論を好まない、典型的な実行家であった。この無口な人に口癖が二つあった。
一つは「御尤も(ごもっとも)」という言葉、一つは「御覧の通り」という言葉である。
だれかが主張する意見には決して反対せず、みんな聞き終ると「御尤も」と言った。
自分の事になると、弁解を決してしない、「御覧の通り」と言った。
彼には、人を説得するのに、「御尤も」と「御覧の通り」の二言あれば足りたわけになる。
実行家として成功する人は、自己を押し通す人、強く自己を主張する人と見られがちだが、実は、反対に、彼には一種の無私がある。空想は孤独でも出来るが、実行は社会的なものである。
有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。
だれかが主張する意見は、たとえ当人の私利私欲、偏見や誤解を含んでいる可能性があるにせよ、ひとつの現実に出てきた見解なのだ。無私の世界にいるのならば、まずはよく聞き「御尤も」と素直に受け止めるのが正しい。
そして、自分の行動を評論された時も、自分が意識したようには他人は見ているわけではないから、「御覧の通り」と言って、他人の見方と自意識の偏見の差を確認した方が有効である。
反論には自己都合が含まれるので、現実の判断を誤る可能性が高くなる。反論に無駄なエネルギーを使うよりも、様々に言われたことをよくよく意識し、考慮した上で判断する。そして実行する時は自意識の空想(=理想)を殺す。すなわち自己主張や弁解で作りたいあげたい空想よりも、客観的な物の動きの方が現実だと受け止める方が、正しい判断と行動ができる。
昭和 35 年 1 月「読売新聞」掲載(小林秀雄著より抜粋)
・・・そのような人で在りたいものだ。