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大阪生まれの豪州育ち、その後神奈川西湘から湘南へ

大阪は住吉区の生まれ。近所には「3大住吉大社」の一つに数えられる住吉大社があり、大和川が流れる所謂下町で16歳まで過ごした後、豪州に留学。

留学先のバサースト(シドニーから西に250キロほど)という小さい町にある学校で、3年間の寮生活を経験。同校では、3年連続水泳(平泳ぎ)の学校代表選手に選ばれ、夏の間だけはヒーローのように扱ってもらったのが思い出の一つ。冬の一大スポーツはラグビーで、こちらでは活躍はできなかったが、これまでプレーしたスポーツの中で一番面白かったスポーツとして記憶に刻まれる。

その後NSW大学に入学。いつの間にやら移住してきた両親がシドニー近郊に購入した自宅から通いつつ、週末は当時ハワイを抜いた時期もあるほどの一大観光地であったシドニーの免税店やツアーガイドとしてアルバイトを経験。

大学在学中、日本に就職活動で一時帰国するも、就職氷河期に突入していたこともあり、帰国子女枠でもどこにも採用されず、敢え無く豪州に戻る。

卒業後半年くらい後に、ANAの現地社員として採用され、貨物部に配属されたことで物流マンとしてのキャリアが始まる。その後、ANAがシドニー線を運休したこともあり、会社都合での退職後、ANA当時お客様であったKWE(近鉄ワールドエクスプレス)の現地社員として採用され、カーゴマンからフォワーダーマンとしての経験を積ませて頂く。
ANAとKWEで主に営業、そして業務担当として感じたことは、物流とITの融合。その感覚を元に、IT業界への転職を模索し、行きついた先は日本での就職。1987年から13年ぶりに拠点を日本に移す。

IT業界で最初の職場は、物流システムの黒船と言われた米国資本のEXEテクノロジーズ。所謂外資系IT企業。IT知識ゼロに等しかった中、英語力と負けん気のみで何とか戦力として機能するレベルになり、その後は日系ITベンチャー企業を経て、サプライチェーンマネージメント系のパッケージシステムでは世界シェアNO.1のマンハッタン・アソシエイツに転職。プリセールスとして最前線で営業活動を行うと共に、導入部隊のディレクターとしてプロジェクト統括及びコンサルタントの管理。韓国、フィリピン、オランダ、タイ、中国など様々な国でプロジェクトを経験し、日系や中国系、韓国系や欧州系や米系など様々なクライアントとの折衝等の経験が大きな財産となる。

6年後、リーマンショックの煽りを受けて大幅な事業縮小で会社都合による退職後は、日系ITベンチャーにて古巣のマンハッタン・アソシエイツとの業務提携を行い、新規事業としてソリューションビジネスを立ち上げる。同ビジネスの成功を置き土産に、その後独立。個人事業主を経て、株式会社イノベーティブ・ソリューションを起業するに至る。