ドリフ大爆笑の台本をくれた謎のお爺さんの話
僕はドリフ大爆笑の台本を2冊持っている。
これは子供の頃から僕の宝物だ。
僕が子供の頃、近所に不思議な物を集めているお爺さんがいた。
そのお爺さんの家は僕が通っていた小学校の近くにあって、いつもの通学路で歩かない正門を左手に新山通りの方に行くとあった。
お爺さんは住んでいる新し目の家の前に、三角屋根の小さな小屋を作って色々な珍しくて不思議なものをコレクションしていた。
紺色の作務衣に、紺色の鉢巻を頭に巻いて、痩せこけた顔に大きめの眼鏡を掛けていた。
お爺さんと会った日は日光が温かく感じた春だったと思う。お爺さんは小屋の整理をしていたのか、道端に古くて珍しく僕の興味を擽る面白い物ばかりが並んでいた。僕は子供の頃から古いものに大変興味があって、古いものはこの世に残しておかなければならないとても大事なものだと思っていた。
僕は足を止めてそれらをじっくり見ていたんだと思う。お爺さんは僕を小屋の中に案内してくれて色々な物を見せてくれた。小屋の中はとても狭く、物に四方を囲まれていた。古い木の棚の匂い、埃がが扉から射した光に舞っていた。
錆付いた軍刀、レコード、古い本、何かの古道具達。お爺さんは昔仲間と一緒に古い物を集めていたと言っていた。
お爺さんは僕に色々な物を見せてくれて触らせてくれた。僕はとても楽しい場所を見つけた。そこから何日かお爺さんの所に訪ねに行って古い物の世界を楽しんだ。
魅力的で何時間でもこの場所に居たかった。まるでグーニーズや映画の世界の様でとても楽しい時間だった。
お爺さんの小屋から見える学校の桜の木は立派で、柔らかく綺麗な花が心いっぱいに咲いた。
この謎のお爺さんは一体何者何だろうか。僕はそんな事はどうでもよかった。お互いに好きな物や好きな世界が似ていたのかも知れない。だから何度も訪ねに行っても色んな物を見せてくれたのだと思った。
お爺さんの小屋にまた遊びに行くと小屋を壊す事にしたからお別れだと言われた。
僕はとてもショックだった。
お爺さんと僕は友達になれた気もしていた。お爺さんはどんな人間だったのかよく知らなかったけど、仲良くし過ぎることが自分にとっていいことにならない事もある事をお爺さんは分かって生きていたのかも知れない。そう思ったもの僕が大人になってからだけれども、何か事情があってのことだったと思う。
お爺さんはお別れに僕にプレゼントをくれた。日本軍の双眼鏡入れとドリフターズの台本を2冊。僕はドリフと志村けんが大好きだったので目を輝かせて喜んだ。
何でドリフ大爆笑の台本を持っているのか聞いたら、お爺さんは刺青の彫り師と言っていた。ドリフの撮影に行っていたのだそうだ。「刺青なんか入れるんじゃないぞ。」そう言われたのをはっきり覚えている。
子供の頃志村けんが大好きでコメディアンになりたいと思ったし、この台本を本当に大事にしていつも机の本棚に入れて眺めていた。この時は台本を読んでも意味が分からなかったけど、大人になってこの世界の仕事をする様になって大変貴重な教科書を頂いたとお爺さんに感謝している。この台本は僕の原動力の一部だし子供の頃手にした台本を、今では自分で書く事もあるから運命的な物を感じる大事な宝物だ。
志村けんが昨日新型コロナウイルスで亡くなった。
心に喪失感がある。大好きな一番面白いおじさんが亡くなったのだから。
人々に笑いを届けた偉大なコメディアンを讃えて冥福を祈りたい。