安寧の地を去りフリーランスを名乗って生きています
私は、愛媛の最東端の町に暮らすしがないライターです。
子供のころから漠然と「文章に関わりたいな」という夢がありました。
さまざまな事情から高校卒業後は就職を余儀なくされ、何やかんや30年間地元で働いてきました。
20代は「なんとしても自分で何か表現したいんだ私は」という熱が高じ、同人誌を出したり個人サイトで小説を連載したり、けっこうアクティブだったと思います。
同人誌は二次創作、個人サイトは二次創作から一次創作へ移りました。書いた小説は未完、総文字数は27万文字ほどだったと記憶しています。作品への熱が入り過ぎてしまい、想定していたエンディングを書くのがつらく、個人サイトは未完のまま閉鎖しました。このことは今でも小さな棘となって心に刺さっています。
30代は創作から足を洗い、事務職や介護職の経験を積みました。40代半ばにかけて放送大学を卒業したり、専門学校で学んだり。国家資格をいくつか取得し、食うに困らないだけの基盤もでき「二度と国家試験は受けたくないぜ(笑)」なんて思っていました。
このころは文章への未練もなく、未完小説が残した棘の痛みもすっかり消えていました。
そんな2022年、年明け間もないころのことです。
当時40代後半、デイサービスで生活相談員をしていた私は、出勤早々「コロナの感染拡大が起こった施設にヘルプに行ってください」と上長から要請を受けました。
デイサービスの業務はストップし、私を含めた職員はその瞬間からヘルプ要員です。自宅に戻って荷物をまとめ、指定されたホテルでの生活が始まりました。感染防止のため、ヘルプ要員の多くは家族との接触も禁じられたのです。
私はおひとり様でしたが、身内と暮らしていました。そのため、自宅からの出勤ができずホテルで暮らしたのですが……その時ノートパソコンも持ち込んでいたんです。
ヘルプ勤務の間は、施設とホテルの往復のみ。食事は支給されていました。暇を持て余していた私は、パソコンでひたすらYouTubeを見続けます。そこに偶然流れてきたのが副業Webライターの紹介動画でした。
そう、世は空前の副業ブーム。さまざまな副業系の動画が流れてくる中、Webライターの動画は私の心を一瞬で奪います。なぜなら「文章に関わる仕事」だったからです。
経験がなくとも、地方にいてでも文章の仕事ができるのか。
私には天啓のように感じられました。
この仕事をやってみよう。そう決めるのに、1日もかかりませんでした。
時が経ち、コロナ禍も落ち着いた2024年。とある介護施設で相談員として働く私は、立派な副業Webライターになっていました。
が、物足りなさが日に日に募っていきます。
もっと書きたい。
もっと文章を生みたい。
私はもともと強欲で自分に優しいタイプです。ダイエットしていたって「今日はチートデイだから」が何万回あったかわかりません。
当然それは、仕事に対しても同じことです。やりたい仕事にはすべて挑戦してきました。
まして、ライター業は幼いころに夢見た「文章に関わる仕事」そのもの。コミットしない選択肢など、ないと思いました。
ちょうど職場内で軋轢が生まれ始め、相談員としての在り方に疑問を抱き始めたときです。Webライターのお仕事が殺到し、私はパンクしてしまいました。この手痛い経験が、独立の大きなきっかけです。
2025年現在、私は母校のICT教育支援員の非常勤として働きながら、フリーランスとしてライターの活動もしています。
行政機関で療育指導員として働いた経験もあり、そのときから「子どもの育成に関わるのもいいな」と感じていました。今は4時間という短い時間ですが、母校の職員室で学校のサイトを運用しながら、早朝と夕方以降はライター業に専念しています。
フリーランスだから、いろんな仕事してもいいじゃないか。
そんな風に思っています。
「ライターであるからには、ライターの仕事だけすべき」という意見はあるでしょうし、私も最初はそう思っていました。
しかし、学校の仕事を始めて思ったのです。記事作成に広い視野は必要だなと。
私の書くものは、介護福祉や転職に関わるものがほとんどです。どちらも経験があるので「書くのが苦しい」と感じたことはありません。
しかし、どのような記事も必ず掲載する場があります。
そして、その場に訪れるのは年齢も性別も、バックグラウンドも違う人たちです。画一的な記事では読む人の疑問を晴らせないし、心を満たせません。
自分ひとりの経験則と決まったテクニックで書いた記事が、どこまで通用するのか。
それを考えると、どうにも怖くなりました。
私たちの仕事は、記事を通した価値提供であり、売上への動線であり、何よりも読者の満足感を高めることです。
それは、自分の感性や価値観、経験値から生み出せるのか?そんな疑問がずっとあります。
今、学校の仕事とライターを掛け持ちしていますが、やはり自分では気づかなかった視点がたくさんあります。それは先生方との会話からだったり、生徒との会話からだったり。
異なる領域、異なる年代の人との関わりが、自分の文章を深くしてくれている。今はそう感じます。
相談員として福祉職に就いていたときほどの安定感はないものの、私は今、心から仕事を楽しんでいます。文章を通して人に安心や意欲を与えられるこの仕事が、天職である、そうであれ、と、毎日思っています。
これを読んでくださった方とのご縁が結ばれれば嬉しいです。
どうかお役に立てますように。