焼きそば泥棒
まず、タイトルが間抜けな文、真面目なメッセージから申し上げたいのが、
AIは人間の創造性を代替するものではなく、強力な『ツール』として共存していくべき、ということです。
実は、初めはAI生成という言葉に嫌悪感を持っておりました。
画像、動画、漫画、音楽、いずれのAI生成も、過去のクリエイターたちの膨大な作品を学習して成り立っているものです。この事実は決して忘れてはならず、先駆者たちへのリスペクトは不可欠です。しかし、一度進化した技術を人間の感情だけで止めることは困難です、これからの創作活動においては、この進化を最大限に活用していくしかない、と思うのです。
先日、同僚に趣味を聞かれ、「音楽制作です」と答えました。中学校2年生の頃からシンセサイザーに興味を持ち、ステップレコーディングを始め、今もDTM(デスクトップミュージック)を楽しんでいます。すると同僚は「実は僕もSuno、始めようと思ってるんです」と一言。「も」? Sunoで音楽を作るのとDTMは、果たして同等なのだろうか……しばらく心にモヤモヤが残りました。
しかし、一歩引いて考えてみれば、そもそも楽器がほとんど弾けない私が、パソコンを使って音楽を作っていること自体、昔のミュージシャンから見れば「一緒にしないでくれ」と思われても仕方がないことでしょう。これもまた、文明の進化なのだと認めざるを得ません。
こうしちゃいられない、ということでUdioで作った曲が下記の「焼きそば泥棒」です。
https://youtu.be/XDt-QptIgks
YAKISOBA
Cheiro do mar, brisa leve Noite de verão
(夏の夜の海の香り、そよ風)
焼きそば泥棒…
Meu coração bate forte Quando penso em nós
(あなたを思うとき、私の心は強く鼓動する)
お腹いっぱい…
Luna cheia no céu
(浮かぶ満月)
からの、前科一般。
Já se sabe, dor no bom Onde cai pai Coração sem queixas vem
(それは知られている、美しさの中の哀しみ 父が教えてくれた場所で 不満のない心がやってくる)
A vida é tão bela quando Estamos juntos aqui
(私たちがここにいるとき 人生はとても美しい)
Flores do campo, perfume Dança no quintal Já se sabe, dor no bom
(野の花の香り、庭での踊り それは知られている、美しさの中の哀しみ)
Teu sorriso é luz Que ilumina tudo Onde cai pai
(あなたの微笑みは光 すべてを照らす 父が教えてくれた場所で)
Sonhos de amor real Coração sem queixas vem
(真実の愛の夢 不満のない心がやってくる)
…ポルトガル語と日本語の歌詞を混ぜこぜに入れて「ボサノバ風」といれるだけでこの楽曲が出てきます。
(先日の記事同様、ガチャ要素はありますが)
しかし、ここで一つの疑問が浮かんできます。AIが作ったこの曲を、「私が作ったボサノバです」と胸を張って言えるのだろうか、と。
これは、イラストや文章でも同じことが言えます。その作品が自分自身の手で再現できるものでなければ、「AIに作ってもらいました」「AIにいろいろお願いしたら、なんかこれが出てきました」としか言えないのが現状です。
クリエイティブな仕事にはまだ、「人と人とのやり取り」が残っています。この点に、これからのAI活用のヒントが隠されている気がしてなりません。例えば、音楽であれば「この曲のキーを変えたい」「楽器の編成を変更したい」といった要望が、必ず出てくるでしょう。そこを補うのは、やはり人間の技術であり、感性です。
……と、言って締めたいところですが、SunoやUdioの技術は今も急速に進歩しており、すでに楽器ごとのパート分けやキー指定も可能になり、より複雑な指示も可能になりつつあるのです!
AIは待ってくれません。どうやら私たちは、仕事を奪われない方法を考え続けなければならないようです。