バブル時代の消費意識/有宗良治
日本経済が絶好調だった1980年代末のバブル時代、香港で観光客が目にする大きなネオンサインのほとんどは日本企業のものでした。
欧州メーカーのものは、ほとんど目立ちませんでした。
とはいえ、日本企業の広告だけが存在していたわけではありません。
当時の日本企業は、「デザインはとくかく目立つことが重要」だと考える傾向がありました。
今のようなゼロ成長期・成熟期における日本の広告セオリーとは、大きく異なっていたのです。
バブル期の日本経済は、世界的に拡張していこうとする風土が強く、企業にとっても規模拡大が大きな命題になっていました。
それに比べて、歴史の古いフランスやイタリアの企業は、ブランドイメージが既に確立していたこともあり、あまり目立つ必要性はありませんでした。
特別な記号としてのブランド
一方、バブル期の日本の消費社会では、商品としての良しあしとは別に、ブランドがある種の記号として確立していました。
たとえば、ルイ・ヴィトンを持っている人は「丈夫だから」という理由を挙げる人が多かったです。
しかし、実際のところは、特別な意味を持つ記号だから持っている人も大勢いたのではないでしょうか。
本来、ぜいたく品には「排他的」「珍しい」「希少価値」「高い」という定義がありました。
ところが第二次世界大戦後、大衆消費社会になるにつれて定義が変わってきました。モノを買う喜びが世界中に広がりました。
それに伴い、贅沢(ぜいたく)品を作っていた企業は、生産能力の限界を超えて生産し、しかもイメージを保たねばならなくなりました。
ルイ・ヴィトン
かつて2軒しか店がなかったルイ・ヴィトン社は、1990年ごろには、140店、6工場、従業員2000人に膨らみました。
しかし、だれもが贅沢品に手が届くとなると、「贅沢とは何なのか」という疑問が生まれるようになりました。
それでも、人々はブランド商品を買うことで、何らかのアイデンティティーを求め続けました。
バブル期の日本は、記号としてのブランドの価値が極限まで膨れ上がった時代だったといえるでしょう。
有宗良治