「人が書けば人間らしい」は本当か?
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住太陽さんの最新ニュースレターで、この問いが投げかけられていました。朝一番のメールチェックの最中に思わず手を止めて読みこんじゃいましたよね。
住さんのコンテンツの向き合い方、好きなんです。静かに淡々と「僕はこう信じている」という感じでお話になる一言一言が奥が深いというか…。
「ああ、この人は体感として本当にそう感じてるんだなぁ」というのが心に響くというか…。
住さんのニュースレターの内容は、
人間らしさとは、書き手が人間かAIかではなく、コンテンツに含まれる要素「独自の視点、感情的なつながり、非合理的な判断」で決まるという話でした。
まさに住さんの姿勢そのものなんじゃないかなと思うのと同時に「自分はどうだろうか」と深めの思考の谷へ…。
最近の自分の毎週のワークフローを振り返り、コンテンツをどう作っているか思い出すと…。
1.自分が考えていること・思ったこと・感じたことを箇条書きにする
2.一番書きたい内容のアウトラインを作って肉付けする
3.AIにレビューさせて、自分が伝えたいことが伝わる文章になっているかチェックさせる
4.指摘事項を元に読み直し、反映する場所を取捨選択
5.自分でリライトして読み直して投稿
先週、AI検索時代のコンテンツ最適化について書いたとき、FBは一言「自分の言葉が足りない」でした。たしかに「記事の紹介」にとどまっていて「それであなたはどう感じたのか」という視点が不足。読んでいて「ふーん」で終わる文章でした。
そこで、自分でリライトしたら、原形をとどめない文章に…。
「なんだまだその程度か」という冒頭の一言。「浅慮かもしれませんが」という自信のなさ。「初心に立ち返る」という締め。全部、リライトで入ったもの。
「これでいいかな」で終わった文章には、この「揺れ」がなかった。
住さんの記事で言う「非合理的判断」がまさにこれなんじゃないかと思います。AIに任せていたなら「浅慮かもしれませんが」なんて書かないでしょう。読者に弱みを見せるのは、合理的ではないから。「これでいいか」で出してもなあなあな文章で終わっていた。
AIを使って少し立ち止まる。「もういいか」をしないで、自分自身の人間らしさを入れる。読んでくれた誰かはそこに私の人間臭さを感じる。
だから私は「コンテンツ制作にAIに関与させる」のをやめるつもりはないし、「人間が全部書く」に戻るつもりもない。
AIにレビューさせて、最後に自分の「揺れ」を入れる。この段階が、今の私にとっての「人間らしさの設計」です。
皆さんは、AIと人間の境界線、どこに引いていますか?
住さんのニュースレターはこちらから
https://motoharusumi.theletter.jp/posts/3c47e7a0-df2e-4859-a527-7f68ddcd493a