お金は手段?目的?
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皆さん、こんにちは。ストーリーを開いてくださり、ありがとうございます。
目次
自己紹介
はじめに
目的
対象
お金の正体って...?
お金は無力である
社会全体のお金の量を増やしても、価値は増えない
お金はものやサービスに対して支払われるのではない。
さいごに
ひとりごと
自己紹介
私はプロジェクトマネージャを目指し、日々システムエンジニアとして就業しています。
「塵も積もれば山となる」という言葉をモットーに、「1.01の法則」を信じて日々資格勉強や業務での知識・経験習得に努めています。
はじめに
皆さんは「お金」についてどのような印象を持っていますか?
「お金があれば問題は解決する」「お金持ちになることを目標に頑張ってる」「お金がすべてだ」というような印象を持っている人は多いと思います。
私もその印象は強く、「お金って権力と同じようにそれ自体に力がある」と感じてしまいます。
今回は「きみのお金は誰のため」という書籍を通して、「お金に対する考え方」を哲学的な観点から考察します。
目的
下記を目的としています。
- お金を哲学的で本質的な観点から考察する
対象
下記を対象としています。
- お金の正体に興味を持たれている方
お金の正体って...?
私の考える「お金」とは下記のとおりです。
- お金は無力である。
- 社会全体のお金の量を増やしても、価値は増えない
- お金はものやサービスに対して支払われるのではない。
以上から、「お金に価値を見出し、お金を過信することは本質的に誤っている。」と結論付けられます。
そして、お金は人と人をつなぐための手段でもあり、実は暖かいものでもあります。
では、上記について深堀りしてみます。
お金は無力である
換言すると、お金自体に権力などの力は存在せず、お金は結局紙切れ同然の価値です。
つまり、お金自体に価値はないとも結論付けられます。
例えば、下記の事例で説明します。
ジンバブエでは、2000年ごろインフレが発生しました。
これによって、お金は紙切れ同然と化し、多くの札束を積んでも十分なものやサービスを購入できません。
インフレとは物価が継続的に高騰することを言います。
ご存じの方も多いと思いますが、ジンバブエでは、インフレの対策として「マネーサプライの増加」を実施しました。その結果、ハイパーインフレとなったのです。
では、なぜマネーサプライの増加で解決せず、むしろ問題が深刻となったのでしょうか?
その1つの答えが、「お金自体に価値がないから」です。
お金自体に価値があれば、マネーサプライの増加で解決します。しかし、解決しませんでした。
では、どうすれば解決できるのでしょうか?
その1つの答えが、生産量の増加です。つまり、お金を増やすのではなく、「お金を使って購入できるもの」を増やす必要がありました。
まとめると、お金自体に価値がないため、お金の量を増やしてもインフレは解決しません。本質的な解決は「労働者/生産量の確保」でした。
以上から、「お金は無力である」と考えております。
コラム
皆さんは無人島に何を持っていきますか?「お金」を持っていく人はいないと思います。
なぜなら、「お金を使って購入できるもの」が存在しないからです。無人島には人がいません。
そのため、労働者がいません。
すると、ものを生産できません。
したがって、「お金を使って購入できるもの」が存在しません。
ゆえに、「お金を持って行ってもなんのメリットもない」のです。
社会全体のお金の量を増やしても、価値は増えない
上記「お金は無力である」で一部紹介しましたが、ジンバブエでは市場のお金の量を増やしたことでハイパーインフレを引き起こしました。
この構造を図で簡単にご紹介します。
物価が正常だった市場が、何らかの理由(生産量不足など)によって、インフレが発生します。
このインフレで、国民はお金が欲しいと感じます。それにこたえようと、国が多くの紙幣を印刷し、市場に投下します。
資金が市場に投下されたは良いものの、依然として物の生産量は不足しています。
したがって、供給量は増大する反面、需要量は低いです。
これにより、数少ないものを大金を積んで購入しようとします。そして、ものの値段のみ跳ね上がってしまいます(ハイパーインフレ)。
この場合、需要量が増大しなかったことが根本的な原因です。この根本原因を解決せず、お金を過信していたことが要因だと考えられます。
このように、お金の総量を増やしても、ものの総量が変わらない限りはインフレによる紙幣価値の低下を招きます。目を向けるべきは「お金」ではなく、「労働者/生産量」です。
お金はものやサービスに対して支払われるのではない。
述べてきた通り、お金自体に価値はなく、お金を過信してはいけません。
さて、お金自体に価値がないのであれば、なぜ私たちはお金を必要とするのでしょうか?
それは、お金は何かしらのものやサービスを得るために必要な手段だからです。
手段は手段でしかなく、手段を得ることを目的としてはいけません。なぜなら、手段は活用しなくては何の意味もないからです。
ただ、上記の回答は少々視野が狭いように思います。もう少し視野を広く持つと下記のような構造が見えてくると思います。
お客さん(一番左)がお金をもって、パンを買おうと思っています。そのため、お客さんはお金を店員(左から2番目)に渡し、店員はお客さんにパンを渡します。
そして、店員はパンを仕入れようと思っています。そのため、店員はお金をパン職人(右から2番目)に渡し、パン職人はパンを店員に渡します。
そして、パン職人は小麦粉を仕入れようと思っています。そのため、パン職人はお金を農家(一番右)に渡し、農家は小麦粉をパン職人に渡します。
上記の構造をまとめると、支払ったお金は、向こうの人(パン職人や農家など)にもいきわたります。
つまり、お金はものやサービスに対して支払われるのではなく、お金はモノやサービスを「作っている労働者や労働力」に支払われます。
つまり、感の良い方はお気づきかもしれませんが、お金は人と人つなぐための手段と定義できます。
さいごに
ひとりごと
プロジェクトマネージャ試験の勉強を進めていましたが、最近プロジェクトマネージャとは違う分野(上記のような内容)に興味を持つようになりました。
そのため、最近は様々な分野の知識を吸収できる書籍を読み漁っていますが、欲が抑えられたらプロジェクトマネージャ試験の勉強に戻ろうと思っています。
その結果、不合格となってもそれはそれでよいのかな・・・?合格すればラッキーというような感じで考えています!
ちなみに、今のところ、プロジェクトマネージャ試験の後は情報処理安全確保支援士(セキュリティスペシャリスト)を目指す予定です!