「上に立つ」とは、
何だろう。
偉くなることか。
指示を出すことか。
判断することか。
もちろん、
それも仕事の一つだと思う。
一般的に管理職の役割とは、
組織全体を見ながら、
チームの成果を最大化し、
部下を育成し、
自分自身も成長していくこと。
そんなふうに書かれている。
正しい。
でも、
実際に人の上に立ってみると、
そんな綺麗な話ばかりではない。
むしろ、
毎日の仕事の大半は、
もっと泥臭い。
人と人とのトラブル。
誰かの不満。
誰かの失敗。
誰かの落ち込み。
時には、
ご機嫌取りみたいなことまでやる。
そんなことをやっているうちに、
自分の仕事をする時間なんて、
どんどんなくなっていく。
だったら、
放っておけばいいじゃないか。
本人たちで解決させればいい。
そう思うかもしれない。
ところが、
不思議なもので、
これをやらなくなると、
会社の業績は落ちていく。
人間関係も、
少しずつおかしくなっていく。
私は長く会社を経営してきて、
「上に立つ」ということについて、
少し違う考えを持つようになった。
本当に上に立つと、
どちらが上なのか、
分からなくなってくる。
これが、
現実なんじゃないかと思う。
みんなが帰ったあと、
誰かがやった小さなミスを、
本人には分からないように直しておく。
仕事とはまったく関係のない、
家庭や人生の相談に、
延々と付き合う。
困っている人がいれば、
自分の仕事を止めてでも、
一緒に考える。
「社長がそんなことまでやるんですか」
と言われるようなことも、
普通にやる。
でも、
なぜか。
こんな状態になっていくと、
会社は強くなる。
そして、
利益も出るようになる。
私は会社をつくる前、
7年間サラリーマンをしていた。
周囲には、
私なんかより遥かに学歴の高い人、
難しい資格を持っている人、
専門分野を究めてきた人たちが、
たくさんいた。
最初は、
こんな人たちの中に、
自分がいて大丈夫なのかと思った。
みんな、
とにかく優秀だった。
ところが、
その会社は、
私が退職した後、
大きな波に飲み込まれ、
なくなってしまった。
一方、
私がつくった会社に、
そんなスーパーエリートが、
たくさんいたわけではない。
ごく普通の人たちが集まった、
ごく普通の中小企業だった。
それでも、
長い間、
会社を続けることができた。
その違いは、
何だったのだろう。
私なりの答えがある。
始めから完成された人なんて、
必要ない。
才能があるかないかなんて、
それほど重要じゃない。
「俺はまだ本気を出していない」
なんていう人もいるけれど、
じゃあ、
いつ本気を出すんだろう。
本気は、
貯金しても増えない。
私は冗談で、
自分の経営を、
「マフィア型経営」
と言うことがある。
もちろん、
反社会的という意味じゃない(笑)。
私が言っているのは、
仲間に対する結束のことだ。
血がつながっていなくても、
兄弟のように考える。
仲間に何かあれば、
絶対に守る。
だから、
安心して仕事をしてくれ。
その代わり、
みんなで豊かになるために、
みんなで利益を出そう。
一人で戦うんじゃない。
チームで戦おう。
そんな関係だ。
私が思う、
「上に立つ人」の仕事は、
この関係をつくることなんじゃないかと思う。
上に立ったから、
偉くなるんじゃない。
上に立ったからこそ、
誰よりも人の面倒を見る。
誰よりも責任を取る。
誰よりも、
最後まで逃げない。
「社員に優しくしすぎたら、
会社が緩むんじゃないですか」
と言われることもある。
でも、
私は必ずしもそうは思わない。
優しさと甘さは、
同じではない。
本当に守ってくれる人がいる。
失敗しても、
最後まで向き合ってくれる人がいる。
そう思えた時、
人は安心して力を出せる。
そして私は、
人には必ず、
何か一つくらい、
良いところがあると思っている。
それを見つける。
伸ばす。
本人すら気付いていないものを、
引っ張り出す。
少々時間がかかってもいい。
それが、
上に立つ者の仕事だ。
何でも80点できる人を探すより、
たった一つでも、
誰にも負けないくらいの力を、
100%近く出せる人を育てる。
そんな人が、
会社の中に2割、
3割と増えていけば、
組織は、
ものすごく強くなる。
人の上に立つとは、
人を上から動かすことではない。
むしろ、
下から支えることなのかもしれない。
みんなが気持ちよく走れるように、
泥をかぶる。
誰かが転びそうになったら、
手を出す。
誰かが転んだら、
一緒に起こす。
そして、
何かあった時には、
最後は自分が前に出る。
そうしているうちに、
どちらが上で、
どちらが下なのかなんて、
分からなくなる。
たぶん、
それくらいで、
ちょうどいい。
それが、
私が長い経営の中で知った、
「上に立つ」
ということだと思っている。