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実務で活躍することができるエンジニアを目指す

簡単に今までの人生の人柄を説明させていただきます。

(小学校時代)
休み時間はサッカーやドッジボールをして遊んでいました。
クラスで走るのが早くマラソン大会では小学校6年間一番でした。
とにかく運動が好きでとても活発な子でした。

(中学時代)
走ることが得意であるため陸上部に所属。市内では負けることがなく、3年間県大会に出場することができた。しかし、県大会ではあまりいい結果を残すことができず、次に進むことができなかった。
目標は全日本中学陸上競技選手権大会の出場を目標にタイムを設定していたが、思うように伸ばすことができず、県大会止まりで終わった。
家庭では思春期ということもあり親に反抗する日々が続いていた。そんなある日一日中ゲームに没頭していたときのことである私は全く勉強しなかったため、親にゲームデータを削除された。ブチギレた私は更に勉強しなくなり、親とはご飯を食べるとき以外一緒に過ごすことなく生活した。

(高校時代)
勉強はあまり得意ではなかったため、定期テストのたびに友達と学校に残りテスト対策を行うことで乗り切る事ができた。
高校も陸上部に所属し、インターハイを目標に毎日努力した。中学時代には何が足りなかったのかを深く考え睡眠時間、栄養、練習量が足りていないと考え、具体的に計画し実行した。ある日のことである。親に私の陸上に対する。本気度が伝わっておらず、大会の前日の夜ご飯に餃子を出してきた。そして私はブチ切れる。(日頃頑張っているからという理由らしい)
※餃子など油の多い食べ物は消化しにくく、次の日に影響するため。
私はその夜親の作ったご飯を食べることなく、コンビニで消化のいい食べ物を購入しエネルギーをつけた。睡眠、栄養、練習量を見直して2年ほどだった高校3年生の頃、驚くほど記録が伸び始めた。しかし、目標としていたインターハイには一歩届かなかった。高校で陸上は最後と決めていたので、とても悔しかった。

(大学1年生〜現在大学2年生)
大学1年生はリモートの授業ばかりで課題の日々、友達はゼロという生活を送っていた。
高校の陸上部を引退したあと、とても大きな喪失感が合った。陸上中心に生活していたため、何をすればいいのかわからなかったのだ。なにかしようと思いとりあえず免許を取ってみたが何も変わらなかった。次はITパスポートという資格をとってみた。しかし、何も変わらなかった。次はプログラミングスクールに通った。初めてプログラミングをしたのは大学での授業だったが楽しいわけもなくつまらなかった。しかし、プログラミングスクールでのプログラミングは実際にwebをサイトを作り、動かすことを習い、初めてプログラミングの面白さを感じた。それから、プログラミングスクールを卒業してからというものweb制作に没頭した。喪失感を埋められた感じがしたのだ。そして時間はかかったが案件を獲得することができ、更に成長を感じることができた。

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