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服と私と


 最近のもっぱらの楽しみは、衣替えとともに、シワっとなっていたブラウスやスカートを一枚一枚丁寧にアイロンがけをして、息を吹き返らせることだ。ラックにかけるときは変な折り目がつかないように注意をはらいながらかけていく。「あ、こんな服そういえばあったな」「あ、これあれと一緒に着たら絶対可愛いじゃん」とか、来たるワクワクの外出に向けて妄想を膨らませていく。(写真は私のハンガーラック)

 服を選ぶ時って、実は環境の変化や自分の気持ちを度外視にできなくて、それを考える中で自分自身を再認識していくことって結構面白い。

 私たちを取り囲んでいる空気中は、様々な物質で満たされている。それらの物質と空気が接するところ(境目)に出来る「面」には、それぞれ固有のテクスチャーが提供されている。また、この「面」は、私たちの視野(見るところ)によって様々に切り取られ、見る時間、角度、光の当たり方などによって、そのものに対する感じ方は人それぞれ違ってくる。服において、この微妙な感じ方の"ずれ"こそが感性であり、みんながみんな同じ服を見ても違う印象を受ける一つの要因であると考えている。

 でも、コロナの影響で直接的に同じ空間を共有できなくなったことで、今まで当たり前にあった互いの距離感が遠ざけられた。人に対面で会わなくなった昨今、家にいる日は着る服は適当になり、とりあえず着替えなきゃ!と思ってただただ洗濯して乾いた服を着る、または一日中パジャマでだらだら過ごすということもしばしばである。それは、その場の空気や気分が特に変化せずに現実味がないまま過ぎてゆく時間を過ごすことが多くなったからだと思う。

 そして、これはコロナの影響に限らず言えることだけど、「この人はこんな人であろう」と、人の個性を捉えて印象付けていく中で、服の見られ方は結構ざっくりになっている気がする。特に意識しないと細部は見落とされ、大まかな部分でなんとなくの雰囲気で捉えられてしまいがちであるように感じる。

 私自身、既成の服にちょっとだけ刺繍を施してみたり、ボタンにこだわってブラウスを選んだりする。でも、「あれ、私結構ここにこだわったのにみてもらえなかったかぁ」と少し悔しく思ったりすることもかなりある。

 このちょっとしたこだわりは、実は誰にでもあると思う。私の父は、服を選ぶのが面倒くさいから、何枚も全く同じシャツをストックして着回していて、一見すると、コーデが毎日同じ感じで服に対して無頓着に見える。しかし、違う見方をすると、自分はこれが一番しっくりくる、という自分のスタイルをこだわりぬいているともいえる。自ら服に手を加えることはなくとも、誰しもがほんのちょっとでもこだわりを持って服を着ているのではないだろうか。

 非日常の時間を過ごし、いままでの当たり前が当たり前じゃなくなった今こそ、ぼやけたフォーカスにピントを合わせ、私たちは服をどう選び、どう身に付けていたかを考え直してみるチャンスだ。