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青春コンプレックス

小学校では地元の少年野球団に6年間所属していた。ポジションは主にピッチャーとセンターを務めていた。ピッチャーの際に球速の遅かった私は長所獲得のため変化球を覚えた。その成果もあってかチームは北海道ベスト16まで勝ち進んだが、変化球を投げすぎた私は肘を故障した。
中学校では故障をきっかけに以前から興味のあったバスケットボールに転向し、部に所属した。部は中々勝てなかったが球技経験のあった私はバスケットボールにすぐに順応し、1年生からレギュラーの座をつかんだ。勉学も両立し高校は進学校へ進んだ。
高校では引き続きバスケットボールに所属したが、私の人生の中で暗い時間であったと感じる。中学時代に簡単にレギュラーを掴んでしまったせいか自信過剰となってしまい、顧問やチームメイトと衝突し、公式戦に出場したことはなかった。そのストレスからか部外で交友関係を積極的に持つこともなかった。勉学は怠らなかったため指定校推薦枠を勝ち取り、法政大学へ推薦入学を決めた。
大学では高校時代の生活を反省し、積極的に交友関係を築き、様々なことに挑戦した。1年生時には学内の人脈を広げるために、所属人数が学内で最も多い学校祭実行委員に所属した。高校生活の苦い経験をトラウマに感じていた私は極端な行動を心がけようと実行委員約200人全員と合宿内で話しかけ交流を深めた。2年生時にはアメリカに留学をした。英語力の乏しかった私は他の留学生に引けを取らないよう留学先の大学の日本語学部に独自にアポイントを取り、私が日本語学部の学生に日本語を教えてもらう代わりに彼らに英語を教えてもらうという関係を構築した。留学から帰国後は学生団体と人材業界のインターンに参加した。そこでは大学外の人脈を広げ、営業、企画、イベントの運営を学んだ。その活動に夢中になった私は大学を半年間休学し、更なる自己成長を求めた。