四方漱一の19歳から26歳まで
僕の事業の大先輩に19歳の頃に言われました。
「四方くん、事業はゴールのないマラソンだよ。
俺が事業をスタートした時は
絶対勝てないと思った先輩が前を走ってた。
俺よりセンスも才能もあるやつが横を走ってた。
走ってく中でどんどん後輩に抜かれてった。
でも走るのを辞めなかった。
1年、2年経って
同じくらいで走ってたやつがどんどん辞めていった。
3、4年経って
前を走ってたやつが休んだり、座ったり、違うところへ行ったりして行った。
5、6年経って後ろを振り返ったら
もう後ろに人がいなくなってて横にも人がいなかった。
そして10年経った今
もう前にも後ろにも誰もいなくなっていた。
だから、どんなことがあっても走れ。」
当時は本当かよ!!と思ってました、
しかし、間違いなく事実でした。
18歳、上京当時
「俺も起業するわ!」「俺も絶対起業するから!」
と言っていた友人、学生団体のメンバーは未だ誰も起業すらしていません。
19歳の時、僕より大きな利益を出していた人
僕に対して、「仲間とじゃなくて1人でやりなよ!もっと儲かるじゃん」と言ってくれた人。
誰もが今はfacebookの投稿すらしなくなってしまい
話を聞きません。(アカウントごと消えている人もいます)
20歳の時、尊敬した人、教わった人、かっこいいなと目標にした人
彼らは驕りだったり、欲望に飲まれて消えていきました。
ネットで有名になった人、とんでもない結果を出した人
センスがあった人、お金があった人、チャンスを掴んだ人
いろんな人がいましたが、今となっては
どうなってしまったのか分からない人が99%です。
これは外部だけではないです。
内部の身内だった人間も、継続できない
欲に目が眩んでしまった、よかった場所がなくなった
諦めてしまった、いろんな人がいました。
僕の力不足だなって思う人もたくさんいます。
多くの信頼した仲間を失ったと思っています。
その数だけ、僕は傷ついて
次は救えるようにって努力して来たつもりです。
しかし、救うって言葉がおこがましい。
人は自分でしか自分を救うことはできない。
見捨てないといけない時も
他の仲間のために必要で
それでもまた人を信じて。
それを繰り返して僕はやって来ました。
きっとこれからも
僕は多くの人が消えていくのを見ていくのだと思います。
それでも人を期待するのは辞めないです。
それでも、全員の目標を叶えられる四方で
いようと思います。
なのでお願いです。
あなたには消えずに
夢を目標を追い続けてほしいのです。
変わり続けてほしい
チャレンジし続けていてほしいのです。
夢を追うこと
事業をすること
人より良い人生を歩むということは
人と違うことをするということ。
人よりハードな道を走り抜けるということです。
誰でもできると信じていますが
簡単な道ではないのです。
そのマラソンを走るという覚悟を
新年最初の一日目だからこそ、胸に刻んでください。
僕の8年間を振り返っても
簡単ではなかったと思います。
18−19歳の1年
何をしても空振りで、奨学金、クレカ、全てのお金が尽きても
セミナーに通うことも新しいチャレンジをすることも諦めなかった。
19−20歳
人前で話すようになって、自信も正解もわからないけど
毎回毎回、何度も練習して講演をした。
若いってハンデを克服するくらい質の高いコピーを書いた。
書いたコピーを何十回も見直したし、声に出して読んだし
コピーの勉強のため写経をペンだこができるまでした。
20−21歳
取締役に裏切られ会社のお金がなくなった。
それでも支えてくれる信じてくれる仲間がいたから
立ち向かえた。お金なんてなかったけどやるしかなかった。
21−22歳
チャレンジの連続、最初から上手く行ったことなんて
何もなかったけど上手くいくまでやった。
スクール事業でマネジメントや教育、苦手だったけど
部下からも学んだし、毎日本を読んだ。セミナーにどれだけ行ったかわからない。
22−23歳
出張続きで体調も壊したし、毎日セミナー。インフルエンザでもセミナーをした。
23−24
1000人セミナーをするって何もかもわからなかった。
不甲斐ない俺でごめんって何回思ったかわからない。
24−25
新しい人生の指針。上手くいってても変えないといけない。
変化がないと次の世界を創れない。
26−27
さあ、またチャレンジをしよう。