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ボクのストーリー。




映像ディレクターの平林です。

こんにちは。 映像ディレクターの平林です。
私ごとですが、2019年7月に勤めていた映像制作会社を出て、
フリーランスとなり、Wantedlyを始めました!
プロフィールページには書き切れなかった自己紹介を、
ストーリーに書いてみましたので良かったら読んでみてください。


競馬と漫才と映像。

改めまして、私、平林健一(ひらばやしけんいち)は、
1987年生まれの32歳です。
青森県に生まれましたが、生後間もなく千葉県に来て、
そのまま成人を迎えました。

現在は東京都文京区に住んでおり、
ディレクターとデザイナーと3人のユニットを組み、
渋谷にあるシェアオフィスを借りて、
仕事に励んでいます。

幼少の頃は、父が大の競馬好きだったこともあり、
ボク自身も愛読書は種牡馬辞典と週刊Galopという、
オジサン臭い子供でした。
父と共に関東近郊の競馬場にもよく足を運びましたし、
夏休みには北海道で牧場巡りをしたりと本当に競馬が大好きでした。
(※ボクと共に写真に写っているのは、名馬・メジロマックイーンです!)

転機となったのは16歳の時。
ハメを外しすぎて(笑)高校を中退したのを機に、
友達と漫才コンビを組んで、
約4年間、色んな場所で漫才をさせてもらいました。

因みに担当はツッコミとネタ作り。
事務所には所属はしておりませんでしたが、
本気でプロを目指して頑張っていました。

次の転機が訪れたのは20歳の時。
ふとしたきっかけで、友人たちと自主映像作品を制作することとなり、
見よう見まねで作った作品を、
自分達の漫才コンビが主催するライブで発表したところ、
漫才がドンズべりして、映像作品が大ウケ(苦笑)

漫才師として生きていく決意を粉々に砕かれました(笑)
これが他ならぬ、映像制作の道へ進むキッカケとなった出来事です。

しごとドキュメンタリー。

21歳の頃、広告代理店に、
撮影・編集補助のアルバイトとして入社したことが、
映像業界での最初の一歩になりました。

そこで働きながら大検(高等学校卒業程度認定試験)の、
勉強に励み、高卒資格を獲得。
その後一年間、美術の予備校で受験勉強をして、
22歳で多摩美術大学映像演劇学科に入学しました。

在学中は、大手芸能プロダクションの映像スタッフとして勤務しながら、
大学内外で仲間を募ってサークルを創り、
MVや短編映画、映像コンテスト用の作品などを制作。
その幾つかで、運良く賞をいただいたりもしました。

大学卒業と同時に、
Enjinという会社に映像ディレクターとして入社します。
在籍中は、
主に経営者や各界のトップランナーを取り上げる人物フォーカスのものや、
企業の取り組みを紹介系などを中心に、
日経CNBCやTOKYO MX放送のテレビ番組を約30本、
Web番組を約100本、企業VPを約20本ほどを、
ディレクターとして担当させていただきました。
全てに共通しているのは
「しごとのドキュメンタリー」であるということです。

ちょっと“堅め”のコンテンツばかりでしたが、
元来、漫才師だった頃から、
人の言葉遣いなどを考察したり、
他人の体験談を脚色してネタを書いたりしていたので、
人の内面に踏み込んでいくドキュメンタリーは、
性に合っていたのだと思いますし、
ビジネス系の番組制作も初めは苦労したものの、
独立願望があったボクにとっては、
経営者の方々のマインドや、
企業の取り組みに触れられる事の意義深さに感化されるなど、
とてもプライスレスな仕事をさせていただいたと思っています。


社内サークル結成と、映画制作。

Enjinでのキャリアも4年目となった頃、
ボク自身が現場に出る事は減っていき、
いつしかディレクターの管理・教育業務がメインとなっていました。

今思えば、そうした毎日が、
作ることへの情熱の「消化不良」を引き起こしたのかもしれません。
くすぶっていたボクは、
「仕事で作れないものを作ろう!」と号令を出して、
同僚達と共に社内サークルを立ち上げて映画を作ることを決めました。

メンバーそれぞれが企画を持ち寄ってプレゼンテーションを行い、
その末に多数決をもって、一つの企画が採用されました。
それが、ボクがプレゼンした、
ドキュメンタリー映画「今日もどこかで馬は生まれる」の企画だったのです。

この企画の概要は、
引退した競走馬の多くが進むキャリアの少なさから、
若くして命を終えているという、
競馬業界が抱える課題を軸に「人と馬の共生」を描く、
ドキュメンタリー映画です。

前述の通り、幼少の頃から大の競馬ファンだった僕は、
競馬業界が長らく抱えるこの課題が、常に心のどこかにつかえていました。
それが起因となって、この企画が生まれたのだと思います。

会社は撮影スタジオや機材などの使用協力を約束してくれましたが、
勿論、制作費については自分たちで捻出しなければなりません。
どんなに厳しく見積もっても、
制作費として170万円を捻出する必要があると分かったボクたちは、
クラウドファンディングに初挑戦する事となりました。

知名度もノウハウもないボクたちでしたから、
このテーマに興味をもってくれそうな方々が集まる場所に、
足しげく通って企画のプレゼンをしたり、
時には競馬場の前でビラ配りをしたりと、
地道な活動を積み重ねる他ありませんでした。

しかしそうした活動が身を結んで、
最終的には当初の予定を大きく上回る、
2,697,000円を集めて、見事クラウドファンディングは大成功しました。
そして晴れて、映画制作がスタートしたのです。


映画の完成と、初めて抱いたキモチ。

ご支援をいただき、大きな期待を背負って映画製作が幕を開けました。
全くコネがなかった僕達が、
業界が長らく抱える課題に斬り込んでいくという行為は、
正直、想像以上に困難で、
ある業種の方々には50回以上も取材を断られるなど、
制作は非常に難航しました。

そうした中でボクたちを助けてくれたのは、
他ならぬクラウドファンディングの支援者の方々でした。
僕たちは制作過程を事細かく活動日記として皆さんと共有していたのですが、
例えば「馬の出産を撮らせていただける牧場様が見つからなくて困っている」と書くと、
支援者の一人が、知り合いの牧場を口説き落として取材の約束を取り付けてくれたりと、
単なる資金援助にとどまらない、無償の支援を沢山していただきました。

こうした方々に助けられたボクたちは、
諦めずに業界の方々にアプローチを重ねて、
結果的には予定していた取材の倍以上となる、
1道5県で全12シーンを18日間かけて撮り終えることが出来ました。

最初は後ろ向きだった競馬関係者の方々にも、
撮影の進行と共にボクたちを信頼をしていただけたのか、
「●●は撮らないの?紹介しようか?」と言っていただいたりと、
大きなご協力をいただきました。

ボクたちの気持ちが一人の人に伝播し、
その気持ちがまた一人、更にまた一人、と伝播していく。
無名の社内サークルが立ち上げた企画にも関わらず、
気付けば大きなうねりを持って突き進んでいっている、
その感覚は、これまでの仕事や人生において、
体験した事のない、大変貴重なものでした。

うまく言い表せませんが、家族や友人以外から、
これほどまでに思いやりをいただいたのは、
30数年生きてきて初めての経験でしたし、
僕自身、これほどまでに
「自分以外の誰かのために作りたい」
と心から思えたのも初めての経験でした。
今思い返すと映画制作期間は、ずっとその循環の中で生きていて、
それは言葉にできないほど崇高で幸せなものでした。
本当に大切な経験をさせていただいたと、心から感謝しています。


つくるの先へ。

作品が完成し予告編が公開されると、いくつかのメディアで取り上げられ、
JRAの広報施設や、競馬場、カフェ、イベントホールなどで、
上映及びトークイベントが行われるなど、
有り難い事に、支援者や競馬ファンを中心に話題になっていきました。

そして作品を観た方々からは
「この作品を世に広めてほしい」、
「この作品の力で一頭でも多くの馬を救われて欲しい」、
というような声が多数寄せられるようになりました。

幅広い競馬関係者の方々が、
引退競走馬について赤裸々に語っている同作を観る事は、
この課題の現状を知ることができると評価していただいています。

これまで僕の仕事は「映像を作ること」でしたが、
今回初めて「つくるの先」を意識しました。
作品を完成させ公開して終わり…
必ずしもそうでは無く、その先があるのだと考えさせられました。

そこでボクたちは決めました。
「映画普及を軸に引退馬支援のムーヴメントをつくる。」
そう題して、
映画特設サイトの設置から、DVD販売、劇場公開、
上映とシンポジウムをセットにしたイベントの主催と、
そこで出た意見をJRAにアーカイブとして提出する仕組みづくり、など、
ボクたちが出来る引退馬支援活動を展開する為に、
2回目のクラウドファンディング挑戦に打って出たのです。

2019年6月。
314人の方々から、目標額を大きく上回る、3,270,000円をご支援いただき、
二度目のクラウドファンディングを終える事が出来ました。

まさかこの短期間に2度もクラウドファンディングに挑戦する事になるとは、
思ってもみませんでしたが、
改めて多くの方々の気持ちが「うねり」となっている事を、
身を以て感じる事が出来ました。

挑戦が成功して、大変嬉しく思うと共に、
新たに大きな責任が生まれたわけですから、
気が引き締まる思いです。
ご協力いただいた方々、本当にありがとうございました。

もっともっと挑戦したい!

2019年7月。
僕はフリーランスのディレクターになりました。
今後も映画復帰を軸とした引退馬の支援活動は、
ライフワークとしてこれからも続けていきたいと思っています。

加えて、今回の映画制作のように、
どんなに困難だったとしても、
自身が持つ力が社会の役に立ち、
人から感謝していただけるような仕事に、
もっともっと挑戦したい!

という思いから、
長くお世話になった会社を出てフリーランスになることを決意いたしました。

前職のEnjinには、会社に在籍しながらも二度のクラウドファンディングと、
有給休暇消化による映画制作という大変非常識な挑戦を認めていただき、
最後までサポートしていただいたことに、心より感謝しています。

そして実は現在も、外部コンサルタントとして契約してくださって、
引き続きお世話になっております。
本当に感謝してもしきれません。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!
気付けば、生まれてから今日までの、
32年分の長い“ストーリー”になってしまいました(苦笑)

素晴らしい映像ディレクターはゴマンといる中で、
選んでいただくのは、決して容易な事ではないと思いますが、
もし何かお役に立てる事があれば、
お気軽にお声がけいただければと思います。

Wantedlyを通じて、皆様に素敵な出会いがありますように…
今後とも、宜しくお願いいたします!


令和元年 8月7日
映像ディレクター・平林 健一