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ツキヒホールディングス株式会社 |executive producer 企業の新規事業企画やブランディング全般を行っています。 上場企業・ナショナルクライアントからのコーポレートブランディングや経営改善コンサルティングを個人で行う傍ら、2020年7月15日よりツキヒホールディングス株式会社にジョインし、現在新規事業構築や商品開発を行っています。 現在は、新しい不動産のカタチを体現する”Glambase”の商品開発とブランディングを行っており、近々リリース予定。他にも2021年様々なプロダクトをローンチ予定しています。
小原 拓也
Takuya Ohara Tsukihi Holdings Co.,Ltd. Subsection Assistant Manager 25-year-old, born in Shonan. I started playing baseball in the lower grades of elementary school. When I was in junior high school, I received recommendations from dozens of schools as a scholarship student and began to think about becoming a professional baseball player. Entered a private high school in Yokohama City, I got on the bench in the summer of the first grade, and the desire was getting stronger. However, I learned that there were Shohei Otani in the same generation, and despaired of the difference of ability. Still I couldn’t give up on baseball and went to an university in Hokkaido. Finally I gave up baseball and decided to become a police officer. Joined the Metropolitan Police Department in 2017. I focused on a police checkup with the guts that I have built up playing baseball, and won the award for the third succsessive year. In 2020, I left there to joined Tsukihi Holdings Co.,Ltd., for the fun and challenges. It’s a completely different business from the police work, so I can try new things and every day is exciting. I’m working with a lot of stimulation every days. ツキヒホールディングス株式会社 営業部アシスタントマネージャー 湘南生まれの25歳。 小学校低学年から野球を始め、 中学時代は、数十校から特待生での推薦を受け、プロ野球選手になることを意識。 高校は横浜市の私学へ入学。1年生の夏からベンチ入りを果たし、更にプロ野球を意識。 だが同世代に大谷翔平らがいることを知り、レベルの差に絶望。 野球を諦めきれず、北海道の大学へ。 大学4年で野球を諦め、警察官になることを決意。 2017年、警視庁に入庁。 野球で培った根性を武器に職務質問に力を注ぎ、3年連続で賞を受賞。 2020年に警視庁を退職し、 楽しさとやりがいを求め、現在のツキヒホールディングス株式会社に入社。 公務員からの転職で180度違う業種ですが、新しいことにどんどん挑戦できる環境なので、毎日が新鮮で周りからたくさんの刺激を受けながら日々仕事に取り組んでいます。 自分のテーマ 何事も挑戦 迷ったらやれ 趣味 ゴルフ 筋トレ
Yusuke Matsui
大学在学時、22という自分の英語の偏差値に絶望し、英語からの逃亡を決意。 他の外国語にどれも興味は湧かなかったが、仕方なく鉛筆を転がしてフランス語を選択。 フランス語への激しい熱量が教授から認められ、フランスへ1ヶ月間留学することに。 他キャンパスとの合同留学であったため、顔合わせに行くとそこには18人の女子に対し男子はたったの1人と、絶体絶命のピンチに陥る。 留学中、生活の要となるホームステイ先を決めるためのアンケート要望欄に「I don,t like animal」と記載したが、ドアを開けると人より先に猫が出てきて絶望。 数々の苦難、女子からの猛攻にも耐え、1ヶ月間のフランス留学を経て大学に戻るとキャンパス内では英雄として讃えられた。 大学卒業後、「そうだフランスに行こう」と決意し、新卒きっぷを捨てて1年半の渡仏。 帰国後は、大学在学時に取得した日本語教師の資格を利用し、大阪で外国人に日本語を教える日本語学校に専任教師として就職。 両手で数えられるレベルの賃金の低さに絶望し、やりがいだけでは仕事ができないと初めて気づく。 その後、「そうだフランスに行こう」と決意し、ワーキングホリデーにて1年間の渡仏。 帰国前、大学時代の友人からの誘いを受け、株式会社アシタクリエイトに入社。 フランス語が猛威を振ることは1ミリもなかったが、入社後は代表の右腕として数々の無茶振りを受けながらも全てをこなし、不可能な要望以外には答えられるサイボーグに進化。 コスト削減などのコンサルティング業務、助成金、補助金申請の補助など数々の業務を請け負ってきたが、時代の流れとともにWEBディレクターに転身。 WEBディレクターとしても数々の案件を捌いてきたが、現在はプロデューサーとして、無数の案件をこなし、お客様とのやりとりからエンジニアへの指示など全てを任さている。 尚、フランス語が活かされるような経験は、2021年2月現在で一度も起きていない。
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