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Takayuki Niwa
Yuichi Sato
1982年生まれ新潟県村上市(旧岩船郡神林村)出身。 将来なりたい職業はないけど、とりあえず夢がある未来をつくろう。高校生の時に決めた。 テレビを見ていたら、「将来なりたい職業」の第3位に「宇宙飛行士」がランクインしていた。小さな男の子が、瞳を輝かせてインタビューに答えている。同一世代で宇宙飛行士になれる人は数人しかいないので、あの子たちのほとんどは夢が叶わないのかと思って、大学では誰でも宇宙に行けるようになるような研究をすることに決めた。 宇宙旅行が身近になるように、熱試験の実験をやり始めた。その時に、実験環境に2つのモードがあることに気付いた。明らかに状態に違いが出るのに、検証ができていないから論文に書けない。世の中では、シミュレーションよりも精緻な”熟練工の勘”というものがあるのに、証明にはかくも労を要するのか。証明されようがされまいが、意味あるものには意味がある。直接検証できないものに対して、データを使って証明することができれば、世界が急速に変わっていくはずだと思って、データマイニングの研究をすることに決めた。 研究は面白くて、周りの先輩や同僚も聡明だった。一方で、ビジネスマンと接する機会が増えて、技術は素晴らしくてもビジネスとしてうまくいかないために世の中が変わらないという状況について知った。なんだ、研究じゃなくてビジネスをうまく伸ばすことが世の中を変えるカギなのか。他の仲間たちが未来に向かって研究を続けられるように、ビジネスコンサルタントになって、産業を立ち上げることに決めた。 コンサルティングの仕事は猛烈に面白くて、BCGの仲間たちもエキサイティングで、毎日熱狂した。仕事が面白かったので、子供のころから仕事をしてみればよかったと思った。入社前から3年たったら会社をつくろう、と思っていたので、なんだか面白そうだから会社を作った。生きていて何に意味があっただろうかと振り返って、人に活かされて、人に喜んで生きてきたと思ったので、人と人とを結びつけることをやっていこうと思った。 人と人とを結び付けようと思って色々試してみたら、縁が重なって、交渉学の研究と教育に携わらせていただくようになった。交渉学はとても好きだし面白いので、子供たちにも広げたいと思っている。 交渉学を進めている延長で、渡邉さんに出会った。世界一になると言っていた。ああ、この人は世界一になるし、私も世界一になるな、と思ったので、一緒に仕事をさせてもらい始めた2013年。
Yamamoto Kengo
プロダクトマネージャー 元々は広告の営業マンだったが、ルーデルでゲームの世界へキャリアチェンジ。 広告の知識を活かしながら、ドラゴンエッグのプロモーションも担当。 最近は会社のMVPを総なめしている。彼のもとで、学べることは多いはず。
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