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佐々木 耀
元美容師。3.11後に岩手に帰郷し起業するも、2年で挫折、「山人」に拾われます。サービスの現場と経営管理をへて、現在は東京と岩手を往復しながら、会社と従業員の未来作りに奮闘中です。 ◆これまでの経歴 <2008年~2011年 美容師時代> 地元・岩手の商業高校情報システム科と都内の美容専門学校の通信課程をWスクールで同時卒業し、すぐに美容師になります。今思えば、何をそんなに生き急いでいたのでしょう。 首都圏で約3年間、美容師業に従事し、将来に疑問を持ち始めたところで東日本大震災を経験。岩手県西和賀町に帰郷し、実家の美容室を手伝いながら次の道を探し始めます。 <2011年~2013年前半 独立時代> 中学時代から独学で学んでいたWEBの知識と、得意にしていた執筆スキルを活かし、拠点を岩手県盛岡市に移して事業を開始。子供たちへのプログラミング教育と、投稿型読書感想文、学生や教育関係者へのインタビューをまとめたメールマガジンなどによるサブスクリプション型のメディアビジネスを模索していたものの、軌道に乗らず四苦八苦。 <2013年6月 運命の出会い> 再度、実家のある岩手県西和賀町へ拠点を戻します。さて、どうしようか。独立してやっていた事業は失敗しつつあったものの、実家の美容室も含めて、将来的には事業の屋号でもある「YAMODE(やもおど)」を会社にしたい。そう思っていたところ、同じ町内に「山人-yamado-(やまど)」という会社がすでに存在することを知ります。焦りました。法律上、同一地域内に似たような名前の会社を登記することはできないからです。 でも興味津々でした。宿泊業だけど、西和賀にこんなモダンな宿が? しかも、コンセプトがしっかりしている。多数派に迎合していないクールさがいい! ビジネスが上手くいかず、食べていくお金に窮していたこともあり、早速アルバイトとして手伝わせてもらうことに。運命の会社に拾われ、自分の20代の生き方が方向付けられます。 <2013年後半〜2019年 ワーカホリック時代> ひたすら仕事に打ち込みます。ワーク・ライフ・バランス? いえいえ、完全にワーク・ライフ・インテグレーションです。どんなに朝早くても、どんなに夜遅くても、会社にいれば、仕事がないということがありません。なんと幸せなことか、と思いました。振り返ってみれば独立時代は、誰からも必要とされていない仕事に、誰よりも必死になって取り組んでいたのです。ちょっとした頼み事をやってあげるだけでも、それを必要としていて、喜んでくれる人がいるということが、ただ嬉しく、目の前の仕事に夢中で取り組み続けました。いままで経験したことのないチームワークの醍醐味を感じられたことも大きかったです。 アルバイトから社員になり、サービスの現場を対応しながら、片手間に財務経理や広報、WEBマーケティング、労務管理など、中小企業に求められる総務的な業務を一括で担当。社内の基幹システムの内製化も3年がかりで実現したところで、世の中の人手不足問題を、真正面から突きつけられます。会社、従業員、そして地域。3者がともに成長し続けられる未来を描きたいのに、少なくともそれは、今までの事業の延長線上には存在しないようだと、気づかされました。数年前まで6,000人以上いた西和賀町の人口も、5,500人になっていました。 毎月平均して10人前後減っていることは、自分でも記録してわかっていましたが、ちょっと仕事の忙しさにかまけているうちに、そんなに減った? でも、どこかで急激に減ったわけでもないのです。順当に毎月10人ほど減り続けた結果、数年で500人もの住民を失ってしまったのでした。 <2020年〜 東京時代> 単身・東京に進出。新宿に仮の営業所を構え、月の半分は東京、もう半分は岩手、というかたちで心機一転、仕事に打ち込む日々が始まりました。 岩手の山奥にある一温泉旅館が、わざわざ東京に進出して一体何をするつもりなのか、その魂胆をよく聞かれます。何ができるでしょう? インターネットの登場によって、働く場所は関係なくなったと言われて久しいですが、場所や土地が持っている力と可能性を信じるのが、私たちの仕事です。たしかに私たちは、東京でこれをするんだ! というのを公言しているわけではありません。しかし誰の目にも明らかなのは、西和賀には、東京にはない豊かな「ない」があり、東京には、西和賀にはない豊かな「ある」があるということ。だから、両者はお互いに補完し合える。ここで様々な人と出会い、話を聞いて、吸収し、西和賀と山人、そして一緒に働くスタッフたちの未来を、ちゃんとつくってあげることが、東京での活動のビジョンになっています。
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