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Masahiro Yamaguchi
バイタリティが鳴り止まない!そんな人間です。 どうやったら人を楽しませることができるか?何をすれば記憶に残せてもらえるか?そのための違いはなんだろう?そんなことを常日頃考えて生きてます。 WEBサイトの企画制作15年。 マネージメント経験8年。 経営幹部経験4年。 1993年 高校を卒業し、専門学校へ進むも目標を持てず中退。 フリーターとして、数多くのアルバイトを経験。 フラフラしていた20歳前後。 1996年 初めての就職。某大手教材メーカーの代理店にて一般家庭への訪問販売営業職に就く。 1日200件電話してのアポ取りに、40万円以上の教材を1日2〜3件は受注しなければならないハードな環境で、入社当初はビギナーズラックで順調に売上を伸ばすも、1ヶ月で売れない営業マンに。そんな自分への叱咤激励をする先輩たちに感謝しながら働くも、社内の様々なスキャンダルを知り、誰も信じられなくなって退職。 1997年 フランチャイズ宅配ピザ屋の店長職に就く。 当時、宅配ピザ市場が下火に加え、競合店舗が増えていたなか、ちょっとだけ戦略的要素を店舗経営に取り入れたり、コスト削減案も導入することで、健全経営を保つ。 1999年 バンタンJカレッジに、店長を続けながら1年通学。 「やりたいことを見つけて、そのためのステップを考えろ!」と、当時の彼女にケツを叩かれたため。 サッカーがとにかく好きで、サッカー雑誌の編集部で働くという目標を定めて編集コースを受講。そこでWEBデザインを学ぶ。 2000年 株式会社コンテンツにWEBデザイナーとして入社。 クライアントは、中小企業から大手ITコンサル企業まで幅広く担当。 入社2年後に、当時日本代表エース格の小野伸二や稲本潤一の公式サイトを担当。また、NIKEFOOTBALLの仕事も担当し、やりたかったサッカーの仕事ができた。 2003年 ディレクターに転身。広告クリエイティブに特化したWEBサイト企画制作チームを社内に立ち上げる。 個人としても、WEBクリエイティブ発信ブログ「Ylog」を公開。2年間毎日更新を続けたことで少し有名なブログに。その結果のひとつとして、excite広告チャンネルの立ち上げにもライターとして参加。 仕事においても、国内や海外の広告賞を受賞する。 マネージャー昇格後も、売上目標の達成やヒューマンマネージメントに従事。 特に若手育成に関しては、スキルだけではなく、マインドを鍛えることで優秀な人材を作れたと自負。退職したメンバーのほとんどが、総合広告代理店や有名プロダクションに転職したり、会社を作って成果を出していることから、彼らのキャリアアップのベースをつくることができた。 2010年 今後の目標として、経営面でのスキルアップか広告クリエイターのスキルアップかに悩むが、後者を選択。 外資広告代理店からのお誘いもあり、株式会社コンテンツを退職。 しかしその会社の経営方針が変わり、転職が無くなる。懇意にしていたクライアントから業務委託の相談を複数いただき、フリーとしての活動を模索するなか、京都本社のWEBプロダクション「1-10design」代表の澤邊さんと出会う。1-10が目指すことに共感し、参加を決意。プロデューサー、ディレクターとして1,000万円規模の案件を5件以上担当した。 2011年 前職の株式会社コンテンツが株式会社プロテラスに商号変更し、制作部門だけを独立させた100%完全子会社・株式会社コンテンツを新たに設立。それを知り、「株式会社コンテンツの社長にしてください」とプロテラス社長へ直談判。事業部長として復帰する事が決まる。 2012年 既存の制作事業だけではなく、新規事業としてSNSゲームのオリジナルタイトルを2つと、キュレーションメディアを1つリリースした。事業拡大のため、札幌と京都に支社を新設。 2014年 学生の創造力・企画力を磨くコンテスト「百発一中」を在籍していたインターンとともに実施。全国から数十組の学生が参加した。 2015年 新規事業が成果を出せず撤退。既存事業の業績は安定しており、ほぼ部下に任せることができていたので安泰した立場ではあったが、一線から退いてる自分に不満。 成長過程にあったRFA digital brains(旧RFAクリエイティブワークス)と出会い、共に「新たな挑戦ができる」「自身を成長させられる」ことから転職を決意。 2017年5月 「死ぬまで成長」「永遠にドキドキワクワク」のため起業。 株式会社KIMEWAZAを設立し、満ちることのない自己成長欲と、世界を変えたい気持ちを大解放したい。 2018年8月 自社メディア「BIKKURI JAPAN」公開 http://www.bikkurijapan.jp/
Miku Suto
大学では舞台美術デザインを勉強! 同大学で助手として働いた後に! 本場ブロードウェイで舞台に触れたくてアメリカ留学! 帰ってきてなぜかWEB業界で働き始め! 今に至ります!
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