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西野 照明
学習院大→富士通→ソニー→創業 「体は食べる物でできている」ことを、北米の食文化との触れ合いで気づいた。 日本でも、食に対する人々のリテラシーをもっと上げたい。 それが文化として根付くことで、人々の生活はより健康的になると信じる。 2013年、本格スムージー専門店「FICO & POMUM」を創業。 本格スムージーの国内パイオニアとして、一大ブランドに育てたい。 格闘技 (空手/キックボクシング) 4年。 試合前の減量期間中でも、制限にかからず栄養補給ができる食事として自作スムージーが活躍した。
Eiichi Ito
Mari Iwase
田代 貴巳
飲食店のプロデュースとコンサルタントを行っております。 それまでの経緯を簡単に紹介いたしますと、都内は赤坂にある(あった)アメリカンレストランから、 飲食店のキャリアはスタートします。 その後ホテルや町場の小さなレストラン、大手が手掛けるレストランチェーンなどの勤務を経て、 2015年に独立しました。 初めて勤務した、アメリカ・マイアミから初進出のシーフードレストラン『東京JOE's』では、 サービスの基本と、海外ならではの“表現力”を学びました。 その後務めた、恵比寿ガーデンプレイス内のホテル『westin東京』では、 20~500名規模のパーティーの運営と、その規模をまわす為のチーム作りと統括方法を学びました。 ホテルで日々大きな規模の業務につきつつ、サービスにおいてはいわゆるクラシカルな スタイルで臨んでおりました。 そんな中で、個に対してのサービスを更に突き詰めてみたという思いが芽生え、 吉田照雄氏がオーナーソムリエを務める、銀座のフレンチレストラン『ボン・シャン』に転職しました。 どうせやるなら、洋食文化の発祥地でありその歴史を育んだ街銀座で、またその黎明期を作り上げた方の元で 学びたいと思い、同氏に師事しました。 吉田氏は“日本ソムリエ協会(J.S.A.)”を立ち上げた5名のメンバーの内の1人で、 “世界の名酒事典(講談社)”の初代監修者でもあります。 5卓しかない銀座の小さなフレンチレストランで、同氏にサービスマンとして、またソムリエとして 徹底的に叩き直して頂きました。 その後レストラン事業大手のWDIにお世話になり、そこで経営や店内マネジメント、またプロジェクトの 立ち上げや、果ては営業外回りまで、多岐にわたる経験を積みました。 新規出店と閉店を複数回経験できたことも、大きな強みとなりました。 立て直しも3店舗指揮し、その全てを成功に導きました。 入社2店舗目の配属先となる、ニューヨークから持ってきたイタリアン 『Il Mulino New York(イル・ムリーノ ニューヨーク)』では、約1か月間の現地ニューヨークでの 本店研修も経験しました。 11年の歴史の中で、現地からの歴代最高評価を頂けたことは、その後の外国人対応においても、 大きな自信となりました。 ソムリエ(プレーヤー)としても、支配人(管理職)としても充実した日々でした。 周りから「凄いですね」「本当にありがとう」と言われていましたが、 その時には何の疑問も感じませんでした。 ある時、赤字店舗を立て直した時のことを思い出しました。 売り上げが上がった時、スタッフが本当にうれしそうに「ありがとう」と言ってくれたこと。 スタッフもお客様も、そこに笑顔が溢れていたことを思い出しました。 自分だけが評価され、また配属された店舗だけが売り上げが上がることに、少しだけ虚しさを感じました。 早速店舗間での協力体制や、アライアンス(外部との業務提携)の構築に乗り出しました。 実際に行動してみて、いろいろな疑問が見えてきました。 1. 同じ会社内でも、現場では店舗ごとの業績が優先され、会社全体の利益は二の次であること 2. ノウハウや人材の会社帰属意識が強く、相互扶助の考え自体が弱いこと 3. 新しいやり方や考え方よりも、現状を維持したがること 3. 全体として、他業種よりもだいぶ保守的で時代遅れであること また、会社の枠を出て、個人的に営業活動をしているとき、こんなことも思いました。 会社の中にいる自分は、会社の規模でしか、物事を変えられない。。 逆に個の自分は、自分が歩いた分だけ変えられるという実感。 やりたかったことは『多くの人に喜んでもらいたい』でした。 そこに来ていただくお客様はもちろん、そこで働く従業員も経営者の方も、そしてそれは 下支えしてくれている生産者の方々もです。 独立するにあたり理念としたのは、 『レストランに集う全ての人に、喜びと感動を届ける』です。
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