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井田洋平
はじめまして! 株式会社G.Oホールディングスでは「人事」「企画」「販売」などを担当しています。 これまでの経験をほんの少し… 行きたい大学もなく、やりたい仕事もなく、大きな目標も持たず迎えた高校3年生の春。美術に多少の才があったのとモノづくりに興味があったため、芸大に進学することを決意。 目標とする大学の関門をくぐるにはデッサンのスキルを身につけることがマストだったため週6日、休まず画塾に通い、デッサンとはロジカルな知識の上に技術が伴って初めて成立するということを学ぶ。 画塾の先生たちの指導に恵まれたこともあり、無事に第一志望の大学に推薦入試で合格することができたが、その後は紆余曲折…。 高3の春にはどれだけイメージを膨らませても絶対に想像もできないような道のりでここまで歩んできたが、現在は理想とする環境で尊敬できる人たちに囲まれながら日々を過ごすことができているので、現在の環境に妥協することなく事上磨練していきたい。
Yuto Kawamoto
株式会社G.Oホールディングス システム・エンジニアリング担当 TL;DR やりたいことずっとやってたら、Webエンジニアになってました。 ■ プログラミングとの出会い 小学4年生の時、父親にお下がりのノートパソコンをもらいプログラミングを始めます。 といっても当時は英語がわかるほどできた子ではなかったので、日本語プログラミング言語「なでしこ」でWin32アプリを作って遊んでました。 ■ バンドとの出会い ある程度月日が流れ、高校生になるとベースに出会います。 最初はちょっとモテたいぐらいで始めたのですが、気づいたらどハマりし、勉強もせずにバンド活動に明け暮れる日々になります。 この頃もパソコンは大好きで、近所の音楽スタジオのホームページとか作ったりしていました。 ■ バンドマンとしての生活 高校を卒業すると、バンドマンとしての生活が始まります。 最初は飲食店や古本屋で働いていたのですが、バイトってしんどい割りにお金が残らないなぁと思い、せめて楽しいことをしようとWebデザインやプログラミングのバイトを始めました。 「せっかくクリエイティブな仕事をするのに、既存の枠組みの中で作業をするだけなら他のバイトと変わらない」 なんとなくそんな風に考えていたので、これからWebを始めようという企業の様々な案件に携っていきました。 一方、バンドの方はといえば、この間にシングルを2つとミニアルバムを1つ制作しています。 これもレーベルに所属していたとかではなく、自費で作って自分たちのライブで売るといった自給自足な活動です。 これらの経験はとても有意義で、 「常識にとらわれず、自分たちのいいと思ったものを徹底的に研究し、作品にしていく」 といった、クリエイティブな仕事をする際のマインドセットを与えてくれました。 ■ フリーのWebエンジニアとしての生活 そんな感じでバンドマンとしての生活を4年ぐらい続けていると、 ・自分の「音楽の才能」と「エンジニアリングの才能」を比べると 同じ努力の量に対してエンジニアリングの方が圧倒的に結果を出している ・そして、自分がなりたいものはメジャーアーティストでもアルファギークでもなく ”想像したものが何でも作れる”存在である ということにふと気がつきました。 自らの途方もない願望と音楽への未練で小一時間ぐらいは悩みましたが、やれるだけやってみようと思いバンドを解散して、フリーのエンジニアになりました。 そこから2年近くフリーランスとして、更に多種多様な案件に携わるようになります。 この頃になると、企業の社内システムや専用のCMSをフルスクラッチで開発をしたり、Webシステムと連携した業務フローのコンサルティングをしたりとバイトでやっていた頃より少しスケールアップした幅広い業務に携われるようになりました。 ■ G.Oとの出会い 2年近くフリーランスで仕事を続けていると、その働き方に成長といった面での2つの限界があることに気づきました。 ひとつは外注として業務に携わるフリーランスはクライアントの予算以上の仕事ができないということ、もうひとつは1人でできることしかできないということです。 つまり、いくらひとりでモノを作り続けても”想像したものが何でも作れる”ようにはならないということに気がついたのです。 そこでチームで何かを作っていくという活動をやろうと、就職活動をした結果、今の株式会社G.Oホールディングスで働くことになりました。
Takanori Fukuda
3歳からサッカーを始め、 学生時代のほとんどをスポーツに費やしてきました。 中学、高校をインターナショナルスクールで過ごし、もちろん勉強もしたと思います。少しは。 サッカー、アイスホッケー、 そして最近オリンピック競技にもなったスケートボード。 高校1年〜3年生までアイスホッケー冬季国体に3度出場。 スケートボードではDVDや雑誌にも掲載されました。 しかし、学生時代の僕はプロスポーツ選手になりたいというぼんやりした夢はあったものの一般的な"仕事"というものにはあまり関心がありませんでした。 仕事は生きていくために仕方なく 大人がしてるもの… そんな感じで考えていたような気もします。 そして、23歳の時に初めて就職した企業でも、それは変わることがなく、何となく流れるように毎日をただ過ごしていました。 世の中でいう"出世"も少し経験しましたが、 それでも"仕事"の魅力が理解出来ない自分がいました。 そんな中、僕が27歳の時に代表の川下が当時スタートさせたばかりの企業に入社することになります。 当時彼は22歳、僕は27歳。 彼とはもともと、同じお店で働くバーテンダーとして出会い、その職を離れてからは、特に何の接点もなかったのですが、きっかけというものは突然に現れるもので、そこからすぐに入社するまでにいたります。 今、考えるとそこが僕にとって、1つの転換期だったのだと思います。 当時はスタートしたばかりの企業だったため、何かを "0"から作っていくことがほとんどでした。 それは誰でもなく、自分が作っていくもの。 誰からも何も言われない代わりに時に多くのプレッシャーを背負うこともあります。 しかし、僕にとってそれはとても居心地の良い空間でした。 常にチャレンジと失敗を繰り返しながら、前に進んで成長していく"企業"と共に自分の成長も手に取るようにわかる毎日を過ごすことが今もできています。 いつのまにか、僕にとって"仕事"は"仕事ではなく"スポーツ"や"遊び"のような楽しさと苦しさが同居するとても魅力的な場所になりました。 代表の川下、一緒に働いている仲間、そしてG.Oホールディングスという多くの人と出会える仕事に感謝して、今日も"遊ぶように"働いています。
Kanaho Mizuno
1993年9月28日にこの世に生まれました。 ◆仕事 接客業のアルバイトが多かったこともあり、 23歳の時に某携帯ショップの社員になりました。 1から10まで理解しないと気持ちが悪くなる性格と それとは裏腹に人より乏しい記憶力とが日々戦っていました。 当たり前ですが、接客中はメモをとることができないので バックヤードでメモをとっていたのですが、それが追いつかなくなり いつのまにか、接客ではなくメモを取ることが仕事になっていました。 残念ながら戦いに負けて辞めてしまいましたが、 自分の得意不得意と、できることできないことを見つめるいい機会になりました。 しばらくして、G.Oホールディングスに出会いました。 G.Oホールディングスはすべての仕事をタスクとして残します。 これが、携帯ショップの仕事とは相反していました。 なんとなくフリーターの時にとっていたEXCELの資格も生きました。 現在は、防災ブランドのブランドマネージャーをしています。 防災という性質上、人の気持ちをじっくり考える必要があるので いろいろと難しいところもありますが、とても楽しくしております。 ◆スポーツ 中学1年生〜23歳くらいまで、ずっとソフトボールをしていました。 姉、母、叔母、祖母全員がソフトボールをしていて、完全に影響で始めたのですが、 中学ではキャプテンに選ばれたり、社会人では全国大会に3回行ったりと メンバー、監督、顧問、家族の応援に恵まれてとても充実していました。 ◆趣味 ゲームが好きで、土日は家に引きこもることが多いです。 ハマったゲームを、Youtubeに投稿したりしていました。 ただプレイしてるだけの動画なんですけど、 万再生が100本以上だせたのはちょっと自慢です。(当時投稿者も少なかった) それと、ゲームをはじめると、饒舌になるそうです(笑) 一人映画や一人カラオケも好きです。 お酒はビールかハイボールばかりですけど大好きです。
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