STORY.jp『無職だった当時の僕に、無理やり、彼女が七夕の短冊を書かせた結果、1年後、あまりに信じられないことが起きた〜あの七夕が僕に、なりたい姿の描き方を教えてくれた。そして、人生の快進撃が始まった話〜』
嫌がる僕に、彼女は無理やり・・・「いやだよ!ぜってー、イヤ!!」「お願い!書くのは、タダでしょ。好きなこと書いていいんだから、書きなよ〜」「イヤ!! 俺は、絶対に、書かないぞ!!!!!!!」もうすぐ、7月7日の七夕近くの、ある日、彼女と僕は、短冊に願い事を書くか、どうかで、言いあっていた。ただ、、、短冊に“夢”を書くだけなのに・・・でも、僕には、短冊に夢を書けない理由があった。僕の人生を変える七夕になるとは、この時点の僕は気づかず、この時点の僕、上場会社をクビになってから、人生に何年も迷い続け、友人の家を転々としていた、無職な人。人生、終わっている僕が、夢など書けるわけがない。とにかく、、、、僕は、短冊を書きたくなかったのだ。 ー ー ー ー無職な僕が、彼女と出会い七夕の奇跡から、「なりたい姿の描き方」を知って、その子と結婚をして、代官山に住むまでの話です。短冊に、夢など書きたくない。そりゃ、そうだ。当時の僕は、無職。手伝い程度に先輩のビジネスを手伝っていたが、報酬は、事務所兼マンションのオフィスに、泊めてもらえるという、現物保証の仕事しかしてなかったので、ほぼ、給料はゼロの状態。ほとんどの生活費を、彼女に甘えながら生活している状態。やる気はあるつもりだけど、何をやってもうまくいかない。というか、何もやってない。人生、終わっているようなときに、僕はその彼女と出逢った。そんな落ちぶれた僕でも、一応、誇れる過去はあるつもりだ。 過去の栄光・・・それまでの僕は、、、群馬県群馬郡群馬町という、トリプル“群馬”が住所に付くほどの田舎で育ち、超スパルタ教育の両親に耐えられず、一度は反抗するも、ちょっとした事件がきっかけで、カリスマ予備校講師だったおじさんの元に預けられ、偏差値38から高校受験の時には、群馬県でナンバーワンと言われる偏差値72を超える超進学校に合格。そこから、現役で六大学に進学し、あこがれの東京に出てきて、大学生活は、テキトーに遊びながらも、要領良く、上場企業で平均年収が1,600万円!という超ミラクル優良企業に就職する。30,000人近く試験を受けて、超狭き関門を突破して、平均年収1,600万円の超優良企業に入社した瞬間・・・こそが、僕の前半戦の人生のピークだった。そこから、人生が壊れていくのに、3年もかからなかった・・・入社したことに満足をした僕は、稼いだ給料をどう使うか?と、金曜日の夜から月曜日の朝礼ギリギリまで、どう遊ぶかしか考えない日々。どんなに成績が悪くても、日本国において、上場企業が、就労規定において、社員をクビにすることは、100%ないと、完全に、ナメていた。そんな僕が、結局、自分から辞職。半分クビのような形で・・・しかし、少なからず、成績が悪いとはいえ、世間一般的な20代がもらう給与の2倍近くもらっていた僕は、給与を低くする転職を考えることができず、超、、、安易な発想で、、、、ホストになった。上場企業を辞めた翌日から夜の世界に入った。今考えたら、あり得ない職務経歴。しかし、上場企業の夢の切符を無くしてまで挑んだはずのホストでも、一発逆転どころか、史上最低に稼げないまま逃げた。ホストであった2年間の客は、たったひとり!という、伝説のダメホストだった。結局、ホストも続かず、25歳を過ぎて、親に仕送りを催促したり、友達の家を転々と生活をしていた。完全に、ドン底ってこういう生活をしている人を言うんだろうね。地元群馬の進学校を出て、東京の六大学に現役で合格して、超優良上場企業に就職。そんな僕が、、、地べたを這いつくばって、生きている・・・普通なら、努力するだろう。普通なら、過去の成功体験から自分を信じて何かをやるだろう。普通なら、せめて生活費くらいは日雇いやコンビニのバイトなどでなんとかするだろう。しかし・・・当時の僕は・・・・完全に、諦めてしまっていた。身体が動かないのだ。「こんな生活、いやだーーーーー!!!!」と、夜、酒の力で、涙を流しながら、弄んぶほど有り余るエネルギーを全開にして張り裂けんばかりに叫んだりはするものの。。。。翌日は、笑っていいともが終わっても布団の中。夕方くらいに、モソモソと起きだし、パソコンも携帯も持っていなかったので暇つぶしは、クーラーの効いた図書館。自己啓発書に出逢うお金もなく、友達の家を転々としていた僕は、せめて、アルバイトや日雇いをすればいいのに、“大卒”“元上場企業の社員”という、こういうときだけ、過去の栄光を引っ張りだして、「そんな男が、コンビニのバイトなんてしたら、男が廃る」と、、、、結局、、、プライドが邪魔して何も出来ないだけ。だから、時間だけは有り余っていた。お金もないので、自然と、毎日、図書館に通っていた。読む本は、完全に、小説。しかも、殺人や、主人公がどんどん不幸になっていく暗い系の小説。夢があるような本や、幸せそうな主人公が登場する本は、なんか、腹立たしくて読めなかった。そんなとき、”自己啓発”なる本の存在を知った。僕は、テレビはダメ、ファミコンは週に2時間と厳格に管理されていた超スパルタな教育家庭に育ったために、唯一、心を紛らわせられることこそが、読書だった。なので、幼い頃から、圧倒的な読書量もあり、本に対しては、まったくアレルギーがなかったけど、初めて、自己啓発というジャンルの本を知った。僕は、面白そうなタイトルの本を開き、パラパラと、ページをめくった。 夢は叶う! 目標は明確にすれば、誰でも達成できる! 思考は現実化する!僕は、開いた口が塞がらなかった・・・「バカな・・・完全に、ウソだ。」僕は、全く、信じきれなかった。だって、僕の人生は、『努力』で人生を切り開いてきたのだ。県下一の進学校に合格したのだって、目標にしてなかった。ただ、目の前の問題集を解き、与えられた範囲の勉強を何度も繰り返してやった成果。大学受験だって、上場会社の内定だって、壁に、学校名や企業名を貼ったこともないし、ただ、繰り返し勉強や、自己分析や、面接対策をやり続けたから得た成果。夢を壁に貼れば叶う???思ったことは紙に書いたら実現する???だから、特に、こういう系の本については、全く、懐疑的だった。無職で、すべてを諦めていた当時の僕は、藁をもつかむ思いであったはずなのに、最初から、これ系の本は、完全否定していた。 ー ー ー ーそんな僕が、ホストを辞めて、図書館通いの日々から、先輩に拾われて、先輩がオフィスとして使っていたマンションに、その仕事を手伝う見返りに、寝泊まりとパソコン一台を与えられていた時代、ひょんなことから、出逢った彼女。彼女は、無職の僕を受け入れてくれた。 というか、、、僕が完全に甘えてしまった。サラリーマンでも、、、ホストでも、、、依存のせいで、失敗したのに、また、依存してしまった。今度は、会社でも、ホストという世界でもなく、1人の女性に依存をしてしまった。彼女の口癖は、「あなたは、絶対にできる。」「あなたは、本来は大きな人なので、自分を信じてあげて。」彼女は、無職の僕に、アルバイトを勧めることも、就職を促すことも、ましてや、日雇いの仕事でもして日銭を稼ぐことを要求するでもなく、とにかく、僕を、褒めてくれ、励ましてくれた。僕も、悪い気はしなかった。しかし・・・七夕の短冊だけは、別だった。「いやだよ!ぜってー、イヤ!!」「お願い!書くのは、タダでしょ。好きなこと書いていいんだから、書きなよ〜」「イヤ!! 俺は、絶対に、書かないぞ!!!!!!!」絶対に嫌だった。僕の中では、もし、短冊に・・・ “彼女を幸せにします。”と、書くとしたら、僕が彼女だったら・・・「そんなこと口にするなら、まずは、働けよ。」そう、無言の声が、僕には聞こえてくるのだ。絶対に、絶対に、絶対に、書きたくない!!しかし、彼女もしつこかった。そりゃ、わざわざ、笹を買って来て、折り紙から短冊を手作りして、穴をあけて、コヨリまで通した状態まで作りこんだ、本気の短冊仕様。そして、僕は、彼女の想いに負けた・・・僕短冊、書くけど笑うなよ。。。彼女やった! もちろん!! やった〜。僕・・・・・・とにかく、書くのが恥ずかしかった。無職。努力もしてない。具体的に動いてもない。なのに・・・何を書けばいいんだ。彼女欲しい物、書いてみたら。僕おー、それなら書けるわ!僕は、短冊を1枚手に取って、ペンを走らせた。“車に乗るなら、ハマーかベンツかセルシオじゃないとイヤ!”これって、、、願い事と言うのか?1枚、書き終えて、ジーーーっと、我欲に満たされた短冊を眺めている僕に、、、彼女うんうん、いいね! 私も乗りたーい! 絶対に、最初の助手席は私だよ〜。これによって、気持ちよくなった僕は、とにかく、書きまくった。“住むなら、六本木!”“年収は、最低でも月に◯◯万円ないとダメ!”“革のロングコートが欲しい!”“露天風呂付き高級温泉に泊まる!”“パソコンは最新のノートパソコンで仕事をする!”今、考えたら、、、なんと、稚拙で、我欲にまみれ、、自分本位な願い事か・・・◯◯が、叶いますよ~に。などという、謙虚さすらない。そして、当時の僕は、一切、気づいてなかったけど、絶対にあり得ないのは・・・隣の彼女についての願い事が、何一つ、ないのだそれでも、彼女は、ニコニコと、笑って、僕が描き上げるたびに、コヨリで笹に短冊を結びつけ続けた。結びつけるたびに、いちいち、、、僕の願い事を声を出して読み上げるのだ。最初は、頭から火が出るくらい、恥ずかしかった。しかし・・・どんな願い事にも、「これは、アナタなら絶対に叶えられるよ〜」「うわ〜。これ、すぐにできるでしょ。」「こんなの、余裕、余裕!」「アナタは、絶対にできる!」願い事に対して、いちいち、付けてくれる彼女のコメントを聞けば聞くほど、不思議と、なんでも出来る気になってくるから、不思議だった。「俺でも、できるかな?」「当たり前でしょ!!だって、すでにスゴイこと、いっぱいしてきたじゃん!!!」僕の中で、何かが弾けた瞬間だった。「あ、俺、ずっと逃げてきただけだわ」身体中に、電流が走るような感覚に襲われた。 ー ー ー ーそして、1年が過ぎた。僕は、約1年間くらい、お世話になった寝泊まりをさせてもらっていた、先輩の事務所を出るために、引っ越しの準備をしていた。本当に、お世話になった部屋だった。今でも、首都高速にのり、箱崎インターチェンジを超えた先に見える築40年以上のボロアパート。そこを車で通過するごとに、当時の記憶が過る。結局、僕なりに一生懸命、努力したけど、先輩の仕事を軌道に乗せることは出来なかった。しかし、先輩は、僕の働きっぷりを評価してくれて、ビジネスがうまく行かず撤退を余儀なくされたときも、その事務所マンションを解約せずに、僕に無償でゆずってくれた。僕は、先輩の仕事を手伝いながら、必死にパソコンを勉強し、WEBを勉強し、ホームページ制作におけるHTML構造を勉強した。努力が実ったのか、しばらくして、先輩からゆずってもらったその事務所マンションの家賃を自分で支払えるようになっていた。そして、仲間も増え、自宅兼オフィスが手詰まりになったことをきっかけに、レンタルオフィスを借りて、そのレンタルオフィスの近くについに引っ越すことになり、約1年半くらい、お世話になった想い出のマンションから引っ越すための荷造りをしていた。ほぼ、間借りだったようなものだったので、荷物は少なかった。本当に、先輩が優しく、テレビもソファーなども置いていってくれたが、今回の引っ越しと同時に処分することになり、新居に持っていくものはほとんどなかった。押入れの奥から・・・持っていくモノは、数台のパソコンと、クライアントの資料や見積書などで、あとは、洋服などの私物。引越し屋さんを頼むまでもなかった。そして、押入れの中を整理していると、見慣れない箱が1個。見たことないけど、なんだ?以前居た、先輩が置いていったのだろうか?と、思った。見たこともない、箱だった。引っ越しの手を止め、思わず、箱のフタを空けた。中身は、輪ゴムでまかれた、折り紙のような紙の束だった。あれ?これって・・・輪ゴムを取り外して、細長い紙の束は、バラバラになった。すごく、懐かしい感じがした。「あれ、これって、去年の七夕の時に書いた短冊じゃん」最初は、彼女に怒られながらも、無理くり書き始め、短冊を書きなぐっていくうちに、彼女の言葉に励まされいつしか、気持ちよくなって、彼女が作った短冊をすべて書き尽くした短冊が今、1年の時を経て、目の前の箱の中にあった。懐かしいな〜そんな想いで、パラパラと、1枚、1枚、1年前の自分の気持ちを思い出しながら、見ていたら・・・驚愕した。真剣に、1枚、1枚、食い入るように読み上げた。完全に、引っ越しの作業中ということを忘れて、短冊に書かれた言葉を1枚、1枚読み上げ僕は、、、、涙が、止まらなかった。どんどん、涙が溢れ出てきて、僕は、短冊を握りしめて、号泣した。「全部、叶っている」僕は、あまりに信じられず、何度も、何度も同じ短冊を読みなおした。すべて、叶っている・・・僕は、当時、彼女に言われなかったら、絶対に書いてないだろう短冊を見つめた。当時、本当に、書くのがいやで・・・当時、なにもしていない自分を認めたくなくて・・・当時、彼女に苦労ばかりかけておきながら、夢とか書くのが情けなくて・・・当時の僕の短冊を書きなぐっていた時の感情が鮮明に想い出し、涙が止まらなかった。引っ越し屋さんに頼むわけでもないくらいの荷物だったので自分の車で、運ぼうかと。実は、数カ月前に、新車を買っていたのだ。車は、ハマーだった。WEB制作が、当時のクライアントに評判になってくれて先輩もたくさんのお客さんを紹介してくれてデザイナーさんたちを雇うことになり、IT業界って言えば、やっぱ、六本木でしょ!と、引越し先は、六本木だった。年収は、とにかく、すべてを犠牲にしてでも、目の前の仕事をすべてやる!と決めて、かたっぱしから仕事を受注して気づいたら、半年たらずで、サラリーマン時代の年収を超えていた。短冊に書いた年収と同額だった。あまりに、怖すぎた。あまりに、ドンピシャで、叶っていて、信じられなかった。短冊を書いたことすら忘れ、毎日の忙しさに忙殺されて、書いた内容すら覚えてなかったのに・・・でも、思い返せば、堕落しまくって、ドン底まで落ちて、這いつくばっていたとき、きっかけであり、一番の勇気であり、自分を信じる理由こそが、1年前の七夕の短冊を、彼女と一緒に書いたことなんじゃないだろうか。彼女は、無我夢中で、短冊に夢を書きまくる僕を、とにかく、笑顔で受け止めてくれた。「絶対に、その夢、叶うよ。絶対に。」あれから、10年。思い返せば、ずっと、彼女は、僕を応援してくれている。今は、僕の奥さんとなって、彼女は隣で、常に言ってくれている。「絶対に、あなたの夢、叶うよ。絶対に。」あれから、僕は、每年、必ず、七夕の短冊を書いている。もちろん、今年の七夕の時も、隣には彼女が居た。おっと、実は、、、新しいメンバーとして、新しく息子もいて、彼もいっちょまえに短冊を書いていたかな。10年前の当時の彼女は、今の奥さん。起業をきっかけに、六本木に引っ越し、今は、代官山に住んでます。実は、代官山という場所は、彼女の一番好きで、一番憧れの街。僕は、数年前から、七夕の短冊には、“代官山に住む!”と、書き続け、3年前に叶った。「紙に夢を書いたら、叶うと思いますか?」もし、僕に、誰かが・・・ 「目標って、紙に書いたら、達成できると思いますか?」 「夢って、思い続ければ、叶うと思いますか?」そんな質問をされたら、僕は、こう答えるだろう。「君は、紙に書いたことあるかい? そして、 その紙に書いた夢を一緒に叶える仲間や、パートナーっているかい?」って。七夕の短冊に書いたことが、叶った。これは、僕にとって、紛れも無い事実でした。しかし、僕は、この事実が、大事かどうかよりも、、、自分の中に、“ 自 分 を 信 じ る チ カ ラ ”“ 必 ず 、 手 に 入 れ る と 決 め る 覚 悟 ”が、あるか、どうかのほうが、大事だと思います。紙に書くから、目標や夢が達成されるんじゃなく、紙に書くほど、強く思い、紙に書くほど、大事だと自覚して、紙に書くほど、力強く見つめられるということは、自分の中にある、エネルギーであり、自分の中にある、絶対的な覚悟を、呼び起こすことにつながるから、結果、叶う確率が増えることにつながるかと。叶う確率が、増えて、叶うまで動き続ければ、結果、、、叶う。これって、俗に言う『諦めなければ、夢は実現する』ということと一緒だと思います。人は、どれほど、強く思っても、諦めちゃうし、どれほど、深く念じても、途中で疑ってしまう。そして、いつしか手を止め、歩む足を止め、なかったことにしてしまう。僕は、10年前に出逢った彼女であり、今の嫁からすごく大事なことを気づかせてもらいました。『人は、心から応援されると測り知れないエネルギーを生む』『人は、ひとりでは無力かもしれないけど、誰かと一緒だと強い』そして、最近は・・・『人は、自分のためよりも、“誰か”のためのほうがより頑張れる』僕は、心から言えます。夢は、書いたら叶う。目標は、具体的に明記したら達成できる。あとは、どれだけ、自分で自分を信じて、どれだけの人が、自分を信じてくれて、そして、そのことを当たり前と思わず、感謝をしてその人達のためにも、努力を止めない限り、人は、測り知れない能力を開花すると。大事なことは、たくさん、嫁から教わった。僕は、一生を賭けて、恩返しをしたい。そして、夢や目標を書くきっかけになった、10年前の短冊と、隣にいた彼女の応援の声は、一生、忘れないで生きたい!