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絶体絶命大学院生だった私が大手企業を選ばず、ベンチャー企業に入社した理由(ワケ) #3

はじめまして。Enjin入社2年目、クリエイティブ課 映像ディレクターの及川です。

Enjinで制作する映像作品は経営者の生い立ちや企業の取り組みに迫る、
広義のドキュメンタリーが中心です。
私も入社からまだ1年足らずではありますが、日々七転八倒しつつ
こうしたドキュメンタリー作品のディレクションを担当しています。


ちなみに入社前は筑波大学を卒業後、そのまま筑波大学大学院修士課程、それも
一度入学すると人生が終わると言われがちな人文系大学院を修了しています。
※日本の大学生のうち人文系大学院生は僅か4%、就職率は34%と低い(2014年時点)

一体何を思ってそうした破滅の道へ進み、そして映像ディレクターを務めるに至ったか。
私事ではありますが、ご紹介させて頂きます。

ドキュメンタリーの原点

私がドキュメンタリーといわれる作品を初めて制作したのは高校生のときです。
岩手県の県立高校で放送部に所属し、手探り状態でカメラを抱えて走り回ったり
官公庁や地域の方にアポイントを取ってインタビューに伺ったりしていました。

高校1年生の冬だった2011年3月、東日本大震災が発生しました。
幼い頃には沿岸部に住んでいたこともあり、更地になった被災地を前に高校生ながら
「今起きていることを残すことはできないか」と考え、震災に関連した作品を作り始めます。


中でも実際に沿岸の被災地でお話を伺った際、瓦礫も残る街のなかで
「私達も頑張りますから。みなさんもどうか、忘れないで」とぼそっと呟かれたことは
強く印象に残りました。まだ「風化」という言葉すら出始めた頃のことです。

何度も頭を抱えながら徹夜で仕上げたこの時の作品は、
高校3年生の高校総合文化祭(文化部版のインターハイ)で最高位の賞を頂きました。
これに際してインタビューを受けた時、「将来もこういう仕事に就こうと思いますか?」という質問に
「こんなことを仕事にしたら死んでしまいます」と答えていたようです。

「痛み」を記録する意味

作品制作を経て、次第に映像そのものよりも「メディアによるコミュニケーション」に関心が向き、
こうしたトピックが扱えそうだった筑波大学の知識情報・図書館学類に進学。
文理融合だったこの所属先ですが、名前が長いせいで書類を書くたびにウンザリしていました。

何だかんだでこの頃もカメラを抱え、芸術系の学部のプロジェクトを手伝ったり
外部のイベントで映像制作の案件を頂いたりしていました。
この写真は宮城県の神社でプロジェクションマッピングをしたときのものですが、
朝3時の神社の境内で泣きながら編集していたら機材の上に雨が降り出し、人生の無情を感じました。

大学4年だった2016年、卒業研究を進めるなかで改めて自分の問題意識に立ち返ります。
震災から5年を経ていた当時、既に未来に向けた社会的な復興というものは進みつつあったのですが
逆に体験記の出版や記録写真の公開という形で「私の経験を残したい」という
個人が過去を語り直すための活動が東北で見られ始めていました。
なぜ、人は自分の痛みを伴う経験を残そうとするのか。
高校時代に被災地で耳にした「みなさんもどうか、忘れないで」という言葉を思い出しました。

こうしたテーマを突き詰めて研究したいと思い、
災害行動やメディア利用の社会心理を扱う先生がいた筑波大学人文社会科学研究科に
文転しての進学を決めます。

人生の物語

研究では東北に何度も出向き、お住まいの方にインタビュー調査という形で
「なぜ経験を残そうと考えたのか」について繰り返しお話を伺いました。
結構な出費がかさむ調査だったのですが、知り合いづてに映像制作のお仕事を頂き
研究の合間にしいたけ工場から東京都議会まで各地を飛び回りながら
企業VPや記録映像の制作で調査費用を稼いでいました。
友人には「こんなことを続けていたら命が幾つあっても足りない」と話していたようです。

研究を進めるなかで感じたのは、痛みを伴う経験にまつわる語りの多様さです。
どの方も死別や生まれた土地の喪失という大きな痛みを抱えながらも
震災の被害を「悲劇」「復興」といった紋切り型のエピソードにすることなく、
「先祖代々の生家が消えた」「妻と出会った場所が無くなった」という生い立ちの一部と位置付け
自分自身の物語として語ることによって
「両親の教えが自分の信念を形作っていた」「身近な人こそが自分を支えてくれた」といったように
自分たちの人生を見つめ直し、前を向こうとしていました。

それぞれの痛みを記録することによって物語り、未来を見る。
いつしか自分自身もこうした語りを聞くだけでなく、震災に限らず
共に人生の物語を紡ぐ役割を担いたいと思うようになりました。

現実問題

ここまで随分と志の高い話ですが、修士論文の提出と共に現実問題にぶち当たります。
金銭的に博士課程への進学は諦めていたのですが
修了まであと2か月という時期でありながら、調査と映像制作に全ての時間を費やしていたため
ロクに就活もできず内定ゼロ、再来月にはどこに住んでいるかも分からないという絶体絶命ぶりでした。

物語とか言ってる場合じゃねえ!! 求職だ!!! 賃金獲得だ!!!! 生命維持だ!!!!!
そう思いつつ手当り次第に就職先を探していたころ、Wantedlyで見つけたのがEnjinの求人です。

制作する作品は人物フォーカスのドキュメンタリー、
しかもベンチャーゆえに企画構成を一手に引き受けられる。
また面接では当時のクリエイティブ責任者が自分の作品に次々と具体的な改善案を提案して下さり
クリエイターとしてのスキルアップも見込めそう。

当時映像教材系の案件を中心にした制作会社からのスカウトも頂いていたのですが
ここなら「人生の物語を紡ぐ」こと、出来るのでは?
そう思いEnjinへの入社を決めました。

経営者の物語

かくして入社から1年強。
死ぬだの命が足りないだのと恐れていた映像制作の仕事ですが、独自の工数管理制度のお陰で
予期していたよりは遥かにまともな生活を送れています。少なくとも院生時代よりマシです。
そして「人生の物語」にも、日々携わることができていると感じます。

今日までの間に、かれこれ100人以上の経営者にお会いし、その生い立ちを伺ってきました。
一般に「経営者」というと華々しい成功者のイメージが強いかと思いますが、
その人生には必ずと言っていいほど痛みが伴っています

起業/継承の覚悟、事業の不振、社員との確執、顧客からの批判、バブル、リーマン、震災、コロナ…
100人いれば100通りの痛みが語られていきました。
インタビューの現場では、そのとき失った顧客や社員、誇りを涙ながらに語られることすらあります。

それでも僭越ながら、さらに切り返していきます。
「本当にお辛いときだったと思うのですが、それでも…」
こうして過去の語りから、失敗への自省、曲げられなかった信念、掴み取ったチャンスを共に振り返り
現在の仕事への思いや経営理念を作り出したきっかけ、「経営者自身の物語」を紡いでいきます。
そしてその葛藤が、見る人を惹き付け、共感をもたらしていくのです。

このような過去と現在の繋がりを、Enjinの映像チームでは
「『谷』から『山』へ」という表現でよく議論しています。
この物語を紡ぐことこそEnjinのドキュメンタリーにおける哲学であり、
クライアントを唯一無二の存在にするブランディングではないか。そう感じています。
なんと言っても個々人の経験そのものが、唯一無二のものなのですから。

映像ディレクターとして

話が広がりましたが、私は人の生い立ちに関する語りをお伺いするのが大好きですし
大学院時代の映像制作、インタビュー調査、論文執筆といった経験が現在の仕事にも活きています。
自身の信念を確かにもちながら、他人への興味を絶やさない方。
ご一緒できる日を心待ちにしています。

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