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【新連載#6】ジューキューソツの初志|どうしてJBAに決めたの?|九州大学 比嘉みなみ

【連載】 ジューキューソツの初志

「どうしてJBAに決めたの?」就職活動を終え、たくさんの企業の中からJBAを選んだ19卒の内定者たちに、こんな質問を投げかけてみる新企画です。その名も、「ジューキューソツの初志」。初志とは、始めに思い立った希望や考え。これから就活を始める後輩たちの、少しでもの道しるべになればと思い、このタイトルをつけました。社会人でもなく、フレッシュな学生でもない彼らは、社会に出る手前で、何を考え、どのような未来を描いているのか。そこでなぜJBAを選んだのか。彼らの熱い想いが詰まっていました。


【プロフィール】比嘉 みなみ/ひが みな
沖縄県出身。九州大学農学部在学中。小中はバスケ部、高校はサッカー部。並行して、水泳、ガールスカウト、ハワイアンフラを習い、多忙な小中高時代を過ごす。大学受験期は塾に通わず、自宅で筋トレをしながら進研ゼミの問題集を解いていた。保育園期を含めると、進研ゼミ歴は15年。いまだにコラショの目覚まし時計で起床している。(知らない人はごめんなさい。)大学では、ヨット部の試乗会に偶然参加し、気づいた時にはほぼ毎日海にいるという、ヨット一色の大学生活に。2018年11月に、全国大会5位の成績で引退。


みなさん、こんにちは。19卒内定者の、比嘉みなみです。

私は小さいころ、過度の人見知り&母親べったりで、父親にさえ(家にいないことが多かったため)なつきませんでした。毎朝、保育園の前で行きたくないと泣き叫び、先生が私を母親から引きはがして室内に入れる、という問題児。園では、友達と遊ばず、絵本を読んでいる時間が多かったようです。

小学校2年生の時に、ずっと一人っ子だった私に、双子の弟・妹ができました。大好きな母が出産・子育てで大変そうな姿を見て、私がしっかりしなければと思ったのがきっかけで、お手伝いや勉強を自主的にやるようになり、学校でも徐々に社交的になっていきました。初めは、お母さんを喜ばせたい一心で頑張った勉強でしたが、学校で良い成績を取れるようになり、頑張った分だけ成果が出ることが次第に楽しくなっていきました。定期テストは、周囲に合わせて嫌がるふりをしつつも、実は少しだけ楽しみなイベント(笑)。毎日22時に寝て、朝6時に起きて進研ゼミを解くことが日課でした。もちろん今は、もっと寝るの遅いですよ!


ー色々器用にこなすけれど、1位にはなれない悔しさ。

中学では、バスケ部に加え、生徒会やガールスカウト、ハワイアンフラなどを経験しました。頑張る自分が好きだったので、多忙な中でも充実していました。しかしバスケ部では、なかなか試合に出してもらえず、苦しい思いもしました。この時は、「自分は部活だけじゃなくて他のことも頑張っているから仕方ない」と悔しさを押し込んでいましたが、だからといって他の活動を辞め、バスケ一本に集中する勇気はなかったです。そこまでバスケに夢中になれていなかったから。また、たとえ専念しても上手くなれなかったらどうしようという気持ちがあったからです。一つに打ち込んで、言い訳がきかなくなった状態で、自分の限界を知ってしまうのが怖かったのだと思います。

高校でバスケをせず、サッカー部に入部したのも、女子サッカーなら高校から始める人が多く、スタートからやり直せるという気持ちがあったからです。サッカーは競技自体もチームも楽しくて、最後の1年はキャプテンに任命されました。しかし、ここでも他の活動を捨てきれず、部活の練習を休むことがありました。高校最後の大会は、県大会の準決勝で前年度優勝校に対して接戦で敗退。周囲からは「無名校なのによくやった!」という評価を受けました。しかし私は、練習からもっとやれることがあった、それをやっていれば勝てたかもしれない、と後悔でいっぱいでした。

中高の苦い思い出から、自分は何か一つにに夢中になって向き合い続ける力が弱いなと感じていました。そんな時に、大学1年生の新歓イベントで、ヨット部に出会いました。「インカレ優勝を目指す」という先輩たちの熱意に感銘を受け、ここなら自分の殻を破れるかもしれないと思い、日本一を目指す環境に飛び込みました。


―熱い仲間に囲まれたことで、ストイックな自分に成長できた。

日本一以前に、まずレギュラーになることが想像以上に厳しいものでした。大学のヨット競技は2人1組で船に乗ってレースを行い、着順を競います。インカレでレギュラーになれるのは2人×6艇の12人です。しかし、九大ヨット部は部員数が全国一多いため、レギュラーになれるのは上位5分の1ほど。また、男女の区別がないため、体格や筋力面で女子は不利だとされていました。日頃の練習やトレーニングは男女全く同じ内容を行うため、初めのうちは置いて行かれないようにするのが精一杯でした。毎週末、朝7時から練習が始まり、ミーティングを終えて帰るときには夜の9時に。疲労でお風呂を忘れ、ソファで死んだように寝てしまうことも度々ありました。長期休暇中はそれが3日続き、1日休みというサイクルを繰り返します。時間の拘束が長い、お金が無い、などの理由で辞める人も多く、1年で同期は半分になりました。しかし、私にとっては、辛さよりも同じ目標に向かって本気で取り組む仲間がいる楽しさの方が大きく、女子というハンデすらモチベーションにつながっていました。
1年生の時はセンスが良いと褒められ、女子でもレギュラー取ってやると意気込んでいましたが、2年生になって徐々にほかの同期に差をつけられていきました。日々の練習レースで最下位が続き、ミスをペアのせいにして喧嘩。レギュラーなど程遠い状態が続きました。その後、冬のペア替えで、ある先輩と組んだことが大きな転機となりました。その先輩に初めに言われた言葉が、「俺たちはすべての面で1番を取る」。その言葉通り、練習の時から勝ちへの執念は凄まじいものでした。ミスも妥協も一切許さず、海上では怒鳴られることもしばしば。陸上でもその姿勢は変わらず、誰よりも早く準備をして海に出る、誰よりも船や道具を大切にする、誰よりもヨットについて考える。その先輩の姿を見て、自分の考えの甘さに気づかされました。それまでの私は、勝てないことを、ペアや環境、女子というハンデのせいにしていました。しかし、それは間違っていた。みんな私以上にヨットに向き合い、努力していた。私が足りなかっただけだ、と。そこからは、部員の誰よりもヨットに時間を費やし、真摯に向き合うと覚悟を決めてやってきました。でも実は一度だけ、本気でやめようと考えたことがありました。一番仲の良かった同期が、留学を機に辞めたからです。前々から私も留学に行きたかったし、留学が理由ならば辞めてもいいのではないかという考えがよぎりました。

でも、ヨットに全力を出せていない自分を放っておくにはいきませんでした。何か一つのことに本気になりたくてヨット部に入ったのだから。また昔のパターンを繰り返したくない。まだ何も成し遂げてない。まだまだやれることが沢山ある。そう感じて、ヨットを続けることを選びました。

4年生で念願のレギュラーとして、全日本インカレに出場しました。そのレースが4年間で1番リラックスして臨めたレースでした。「練習は本番のように、本番は練習のように」という言葉を、チーム全員で共有し続けてきていたからです。それだけ、自分たちが準備してきたことを、ただ100%出し切れば勝てるという自信がありました。また、ペアの子との相性も抜群でした。練習の時から、お互いの考え方や目標を常に共有していたので、勝つためにシビアになりつつも、リラックスしてお互いを信頼できました。大会本番では、「他の大学のチームは、ライバルであって敵やない。俺らと同じ、ヨットを愛する仲間や。そんな彼らとレースができること自体が幸せやな」と話していました。

大会の結果は、全国5位。私たちは日本一になることはできませんでした。レギュラー、サポートの選手、マネージャー、応援してくれた人々、みんなで輪になって優勝の喜びを分かち合うという、4年間ずっと思い描いていた景色の中心にいたのは、他の学校の人たちでした。目標には届かず終わってしまいましたが、同じ目標に向かう仲間との時間は、私を確実に変えてくれました。もし、彼らがいなかったら、自分の弱さに気づくことはできず、全国大会5位という結果さえ成し遂げられなかったでしょう。70人の部員や、他大のライバル、応援してくれる人々が、刺激し合い、熱い想いを共有したことで、各人のポテンシャルをはるかに上回るような成果が出せたのだと思っています。私は、ヨット部での経験を通じて、人同士の関わりのパワーを学びました。「人生は、周りにいる人で決まる」とは、まさにそのこと。自分のダメダメさも、熱い人達が周りにいれば乗り越えられるのです。


ここからは、ヨットから少し離れ、私の地元についてお話させてください。

私は沖縄県で生まれ育ちました。沖縄の環境、文化、人の優しさが好きで、自分が沖縄県民であることに誇りを持っています。しかし県外に出ると、その素晴らしさを実感する一方で、沖縄は小さな世界なのだと思い知らされます。
初めてそれを感じたのは中学生の時でした。生徒会に所属していたので、沖縄県の代表として全国生徒会サミットに参加する機会がありました。その時に、沖縄のことを色々聞かれ、自分の当たり前が沖縄から一歩出るとそうではない、ということを知りました。また、他県の学生がそれぞれの地元や日本をより良くしたい、という思いを持っていることに衝撃を受けました。当時の私の周りでは、人のために行動したり、熱く夢を語ったりすることはダサいという風潮があり、私も考えたことがありませんでした。同じ中学生なのにこんなにも違うのかと、他県の学生の意識の高さに感心しました。そこから次第に、沖縄の代表として外に目を向けなければいけないと思うようになりました。
大学で沖縄を出る選択をしたのも、その経験があったからです。沖縄の進学校と呼ばれる高校に通っていましたが、そこでは卒業生のほとんどが県内で進学・就職をします。県内では(自分で言うのも何ですが)優秀な私も、九州の大学に来た途端、底の方になりました。九大に入って当たり前、むしろ落ちこぼれと考えるような人が多くいましたし、実際話していても頭の回転の速さに敵わないと思うことがありました。そのことで一層、自分このままじゃいけないと思うと同時に、こんな自分が上位にいる沖縄やばいなと思うようになったのです。

沖縄県民自身が外の世界から目を背け、現状維持を望んでいては、いつか大事なものを失うのではないか。漠然としていますが、私はそんな不安を感じています。沖縄に住んでいると、米軍機が飛んでいるのも、道沿いに長いフェンスがあるのも当たり前です。毎日ニュースで基地のことが取り上げられていますが、県民の意識が強く基地に向かっているわけではありません。知事は政府に取り合ってもらえないし、デモが起きても何も変わらない。日本と米国によって、頭越しに物事が決められる状況を、半ばあきらめているのかもしれません。自分たちの住んでいる場所のことなのに、そこに県民の意思が反映されないことを、幼い頃からずっと不思議に思っていました。でもそれは、沖縄県民自身が招いている結果なのだと、次第に気付きました。自分がもっと世界を知り、世界で戦っていけるような力をつけなければならないと思っています。


―JBAは、どこの企業よりも熱い人たちが集まる組織だと思った。

JBAと出会った時、「業界問わない」「大手300社」「最先端の情報」「コンサルティング」というキーワードに惹かれました。しかし、最終的な決め手になったのは、「人」です。JBAは、私が就活で出会ったどの企業よりも、人のために熱くなれる組織だと思いました。面接は毎回1対1で、1時間の予定が2、3時間になりました。ただの一人の学生に「そこまでやるか」と思いました(笑)。でも、熱い人に囲まれることが、成長の最短ルートであると実感していたので、こんなにも真剣に向き合ってくれる人たちと一緒に働きたい!と思うようになりました。日系企業の一流の方々と仕事をして、世界や日本の現状を知りたい。また、仕事に誇りをもっている人たちと働いて、自分個人の実力を最速で磨いていきたい。そうすれば自然と、沖縄のために自分ができることが分かってくると思います。まずは自分が一番成長できる場所はどこなのかを考えた結果が、JBAでした。内定式で、同期になる19卒の内定者たちの熱量に触れ、自分の選択は間違っていなかったという思いが強くなっています。


後輩のみなさんへ。

就活の時期は、自分の人生とちゃんと向き合う良いきっかけです。1年前の私は、売り手市場だし就活なんて楽勝でしょ~という甘い考えのもと、ろくに準備をせず3月に就活をスタートしました。その結果、自分がやりたいことが明確でないまま、手あたり次第に興味を持った企業を受け、面接で志望動機を詰められると言葉が出ない…という状況に。そこからやっと本格的に自己分析を始め、最後の最後まで自分が本当にやりたいことは何か悩み続けました。でも、その過程があったから、今迷いのない状態でいられるのだと思います。だから、後輩のみなさんにも、今のうちに逃げずに自分と向き合って、本当に自分が輝ける場所を探してほしいです。もしあなたが、JBAがその場所だと思ったなら、ぜひお待ちしています。

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