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【森の国住人インタビュー】SELVAGGIO、ピッツァ職人の海さんにインタビューしました!

都心の飲食店で10年近く修行を積んできた海さんは、一度飲食店が嫌になって離れたという。それでもピッツァが好きで、料理人としていきたいという想いは捨て切れず、純粋にピッツァを楽しめる環境を求めてここ森の国にやってきた。

最近住民票も移し完全移住をはじめたうみさんに、インタビューしました!

森の国へやってきたきっかけはなんですか?

SELVAGGIOの監修をされている岩澤さんのご紹介でした。もともと岩澤さんのお店と同じ練馬区内のピッツェリアで4年くらい修行していました。そこは、女一人しかいなくて、周りみんな男で結構厳しい環境だったんですよね。

そこを辞めた後、抑鬱病みたいになってしまい、飲食から離れて、派遣でテレアポをしていました。

そうしているうちにまた飲食やりたいな、と思ってはいたのですが、ピッツェリア業界にはまだ戻ることができなくて。一度ピッツァではない都内のレストランで働き始めました。そして2020年にコロナでお店が休業してしまい、その間父親と岩澤さんのピッツェリアのフィリッポに行ったんです。

岩澤さんは、当時私がピッツァを嫌いになって避けてきていたことも知っていたので、その時私に「そんな都会のしがらみを気にしないところで、ここで、ピッツァを好きに楽しめばいい。今までやってきたことも、才能も、こっちで活かせばいい。」と言ってくれて、その時にこっちに来ようと決めました。

実はそれまでも何度かお声掛けいただいていたのですが、もうピッツァはやりたくないと言って、ずっと断っていたんです。



最初は3ヶ月だけの予定だったんですよね?

そうなんです。最初は3ヶ月だけ働きます、ということで2020年の7月に来ました。でも段々とこっちでやりたい想いが強くなって、3ヶ月を延長して、今はここに残ることに決め、住所も松野町に移しました。

思い切りましたね。

中途半端な働き方をするのが嫌で。ここで働きたいと思っているのに、松野町に税金を入れないのは矛盾しているな、と思って。

コロナがなかったら、前職のレストランも閉店していないし、フィリッポにいくこともなかっただろうし。いろいろなことが重なってやって来て、ここでやりたいと思ったのなら、迷わずにここにいようと思いました。

岩澤さんとのお話で何が刺さったのですか?

愛媛の田舎町だから、ピッツァ業界のしがらみは全くないから、好きに楽しめばいい、と仰ってくれて、あぁ、そっかと思いました。都内で探すから辛いんだと思って。

岩澤さんがプロデュースをしていることもあって、中途半端なナポリピッツァ屋さんではないこともわかっていたし、本気で学んで取り組めるのだという信頼感もありました。

ピッツァ業界に入ったきっかけは?

実は新卒では全く違う業界にいたんです。幼稚園の体育の先生になりたくて、専門の学校に通っていたのですが、1年で辞めたんです。理由が、幼稚園の体育の先生のイメージは、跳び箱やマット運動の補助をすることをイメージしていたんですが、女性は、新体操やバレエの先生にしかなれないことを実習で知って。
自分からも聞いてみたのですが、跳び箱やマット運動は男性がほとんどだから、女性は全員そっちをやるしかない、と言われ、「やりたいことと違う」と思って辞めました。その後やりたいことを実現させるために、学童保育の先生になり、その傍ら飲食店でバイトをしていました。

ピッツァ業界に足を踏み入れたのはそんな時期、父親が声をかけてくれたことがきっかけです。

うちの父親は少し変わっていて、ものづくりが好きな人なんです。まず買うよりも先に作ることを考える人で。ピッツァの窯を作ったからお前が焼いてくれないか、勉強してくれないかと声をかけてくれたんです。男兄弟もいるのですが、その中でも私が一番向いていると思うからと言って。

ピッツァのことを色々勉強しながら、土日にピッツァの窯を軽トラに積んでいろいろなところで出店をするようになったんです。父親が作った窯で私がピッツァを伸ばして、父が焼いて、母がレジをやって、兄が客引きをして、と家族5人でやっていました。出店が終わると、そのまま夜家族で美味しいもの食べに行って、これが楽しくて。

当時は家族みんなバラバラに住んでいたんですけど、土日のそのイベントがあるときは各地からみんな地元の茨城に集まって出店することを続けているうちに、子供と関わる仕事をするという夢があったけどそれは叶ったし、次はピッツァを本気でやろうと決めました。



その後はイタリアに修行に行かれたのですね?

イタリアでピッツァの日本人用スクールがあるのですが、そこには大御所の日本人ピッツァ職人もたくさん集まるんです。まずイタリアに行ってスクールを受ければ、東京での修行先が見つかるかもと思い、父親に勧められて一人で行きました。22歳の時でした。

実際にスクールを受けに行ったら、周りはみんな自分の店を持っているような人しかいなくて、私みたいな20代前半のペーペーは一人だけ。手作りの窯で一枚焼きをしていた自分とは比べ物にならないくらい周りのレベルが高く、5〜6枚焼きの世界。イタリア語もわからない。歳はみんな上。技術も追いついていない。正直本当にきつかったです。
朝の4時頃から集合して、バスで粉の会社や窯などを見て回って、夕方ナポリに戻り、仕込みを始めて夜中2時まで営業、という生活でした。8日間の研修だったのですが、レベルが違うところに来ちゃったな・・・とできない自分が悔しくて夜一人で泣いていましたね。

でも今となっては行って良かったです。当時の仲間とは今でもつながっていて、みんなまだ20代前半みたいな感じで私のことを可愛がってくれています。笑



ここにきて半年過ぎましたが、どうですか?

仕事に関しては最初は3ヶ月だけの予定で、どこまでやればいいか、複雑な想いがありました。数ヶ月しかいないのに、周りもどこまで教えればいいのかもわからなかったと思うんですよね。
自分の中でも変に農家さんと関わらないほうがいいなと思っていたし。でもやっぱり関わりたいという気持ちも、食材もちゃんと理解してから使いたいという思いもあったので、残るって決めて、本腰を入れてからが充実しています。

純粋にピッツァが楽しいって思える環境があったのと、もっとこっちで勉強したいって思えたので、残るという決断を下すことができました。

ピッツァが楽しいと思う瞬間はどんな時ですか?

SELVAGGIOで去年の夏くらいから、ギャラリーをつけてお客さんにもピザ窯の前でピッツァを作っている様子を見てもらう、ということを始めたんです。自分は子供相手にお仕事をしていたこともあったし、人と話すことも好きだったので、お客さんとゆっくりと話せるこの環境がすごく楽しくて。

直接お客さんとコミュニケーションを取ることができて、生産者の顔も知っていることがすごく良くて。都内では感じたことのなかった感情でした。

料理をする原点に戻ると、自分の作ったものが食べてもらえる、美味しいと思ってもらえることが幸せで、それが感じられたのが良かったんだと思います。たくさん焼くのもプロとして素晴らしいことだけど、大事に一枚ずつ、一枚に想いを込めて焼くっていうほうが、自分には合っているのかなと思っています。まずはここにきて、もう一度ピッツァを、飲食を好きになろうと思えたんですよね。



移住する上で怖さや不安などはありませんでしたか?

怖さとかはなくて、楽しみだなという気持ちが大きかったです。全員が初めましてで、ここが出会いの場になったんですが、今までの自分を知らないほうが素で関われるし。新学期とかってワクワクするじゃないですか。それを久々に味わったなっていう感覚ですね。松野の人は知らない人でも受け入れてくれるので、自己紹介したらそこからもううみちゃんって呼んでくれるし。

あと、ここでだから仲良くなった出会いもあります。
同い年なのですが、対照的な性格のきしもっちゃん(彼女についてはこちらの記事で紹介中!)とは、きっと学校で同じクラスだったら仲良くなっていないよね、とよく話しています。笑
ここに残るために色々と相談に乗ってくれて、そういう彼女の存在も大きかったと思います。

お休みの日は何をしているのですか?

四季が楽しめるのが田舎の良いところなので、写真を撮りに行ったり、料理をしたり。近所のおじちゃんおばちゃん家に行ってご飯ご馳走になったり。最初は毎週お休みの日にはどこかに行っていましたね。四国を回ったり、大三島とか、比嘉田島とか、九州とかにも。
拘束時間は都内に比べても長くはないし、週に2日お休みをいただいているので、スローライフを送りながら楽しんでいます。

これからどんなことをしていきたいですか?

キッチンカーで移動販売をするのが夢です。全然先の先の先の話かもしれないですし、夢でおわっちゃうかもしれないですけど、キッチンカーで売りたいっていうのはこっちにきて強く思うようになりました。おじいちゃんおばあちゃんとか、レストランまで来れない人たちの元へ、自分が行ってその土地の食材を使いながら、ピッツァを焼いてあげたい。

小学校や養護施設でピッツァ教室を開いて、こうやって作るんだよ、って教えられたらいいな。片親の子とか施設に入ってる子ってちゃんとしたナポリピッツァ食べれないんだろうな、とも思って。そういう子たちにも美味しいナポリピッツァを食べてもらいたいな。



自分が落ち込んでようがイライラしてようが、美味しいもの食べたときって絶対美味しいじゃないですか。どんな感情であろうと、うわ美味しいって思うじゃないですか。それを自分のピッツァを食べて思ってくれたら、やりがいがあるし、やっていて良かったなって思います。

車一台と窯と生地と身体があればピッツァは焼けるんで。まずは四国、全国も色々周りたいですね。

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