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#2「わからなさ」をめぐる対話

わからないことは、わからないと言う。Smappa!Groupの行動指針の一節です。
歳を重ねるごとに「わからないと言う」ことは難しくなる気がします。(いや、ある程度経験を重ねると上手い聞き方を覚えて折り返せる説もありますかね)

なぜ難しいか。なんとなく言ってはいけない雰囲気だったり、恥をかくんじゃないだろうかとか、あるいは相手を傷つけてしまうのではないだろうかとか...。でもいざわからないことを聞いてみると初めて知ることだけじゃなくて、思わぬ出会いや気づき、新しい思考や関心がぐんぐん芽生えたり。

充分な養分に包まれて、エネルギーをぐぐっと溜め込んだ種のような存在が「わからなさ」なのではと思います。

そんなことをビシビシ感じる「わからなさ」をめぐる対話#2 前回に引き続きアーティスト渡辺志桜里さんとCLUB OPUST 青山礼満の対話です。

#1の内容はこちらから💁‍♀️

渡辺志桜里(以下 渡辺):たしかに。私も普段、アート周りと、アートにそんなに関心ない人たちの間にちょっと隔たりを感じています。
これ、逆に私はすごく反省していて。置いていかれちゃう鑑賞者がいるという事自体、忘れかけている瞬間が結構あるんです。もうほんとこの辺は麻痺してしまっていて、人に聞くしかないので、レマンさんにその一工夫を教えて欲しいです!

だからせめて会場にいて説明する…くらいしかできないんですけど、顔見て話せばなんかこの辺にフックありそうだな…とかわかるんですけどね。
私が会場にいないと訳がわからないな人もいるだろうなと…今回ハンドアウトをコキュレーターの卯城さんがすごく丁寧に書いたのもそう言った理由があると思います。

新宿歌舞伎町能舞台エントランス


レマンさんが「ちゃんと理解しないと消費することになる」っておっしゃってたのがちょっと気になって。というのも自分の気持ちや心情その瞬間に自分が感じた事を素直に考えるだけでなんかすごくないですか。これって全然消費って感じしなくて、アートの正しい理解は正直ないと思ってます(笑)
ミスリードからくる批評みたいなものだって世の中にはあるし、作者の意図と作品への理解は必ずしも一致しないですよね。

そういえば宗教の話をこの前ふったと思うんですけど、確かに今めちゃめちゃ自己責任の時代ですよね。なんか展示を機会に歌舞伎町に毎日どっぷり浸かってると、夜なんかお祭りかと思うくらい毎日人が多くて驚かされます。

活気があるなーと思う反面、そういった自己責任論から逃れてきたのかなと思うような、漂泊する若い子達がトー横とかで1日をやり過ごしてますよね。何かしらの救いを求めている感じはなんとなくわかります。無意識レベルで歌舞伎町という街に集まるというのがゾッとして面白い。
しかも共同体めいたものを形成してて、なんかここにこそ神がいそうな感じがありますよね。
すごくいつも、ワクワクしてしまうんです。

「This is not self-replication」小宮りさ麻吏奈(2022)
サイトスペシフィックインスタレーション2の作品の一部。目の前のラブホテル「HOTEL Dwave」のピンクに光る一室では会期中作家自身の細胞を培養し続けており、窓に貼られているQRを読み取ることで細胞のリアルタイム映像を見ることができる。細胞の映像は歌舞伎町の街頭ビジョンでも会期中定期的に放映されて、不特定多数のイメージへと公共化されている。


ちなみに私は家がクリスチャンなのですが、神がいた事によって救われたことは正直一度もなかったです。むしろキリスト教って信じないものは救われないなんて心が狭い!とすら思ってました(笑)

まぁそれは置いておいて、救いってなんでしょうね。なんかもっと些細なことで話を聞いてくれるだけでホッとしたりしますよね。気楽に話せないことを話せるってある種の秘密の共有をして、そうするとその間に強い結束が生まれるらしいです。それをホストクラブというところはやってるわけですね。確かに宗教っぽい気がします。

――商業的に考えた時にホストを強く頼ってくれるお客様や、逆に自分が強く頼ったお客様に大金を使って頂けるというケースが多く見受けられます。

ここ、もう少し詳しく聞いてみたいです!

「来夏世 kunatsuyu」ザ・ルートビアジャーニー
高田ユウが薬草の根などのハーブを調合して作るノンアルコール飲料、ルートビアをDIYで作り続けるブランド。本作は沖縄に根付くアメリカのファストフード店や、出身地石垣島に伝わる来訪神文化の影響が色濃い。本展のために渡辺と高田は「翁の発生」に関わる石垣島の豊年祭の1つであるアカマタクロマタ秘祭などを現地でリサーチ。「根の国」から訪れるとされる神々に「まれびと」の在り方をみた。「クナツユ」とは来年の豊穣を願う島の言葉である。不透明な社会や今年親族に訪れたコロナ禍の不幸などを背景にその名を命名。秘祭が行われる部落から収穫したハーブを使用したルートビアは柱にあるビールタップから飲むことができる。撮影:竹久直樹


青山礼満(以下 レマン):絶対に出来ないと思いますが、やっぱり会場で直接一人一人作品を説明してもらいながら見て回るのが1番わかりやすいですよね。僕としては今回のハンドアウト要点を捉えていて、かなりわかりやすかったです。それでもやはり、作品の深みは人と話して聞いた方が分かりやすいです。

メールより電話の方が伝わるし、それ以上に目と目を合わせて会話した方が誤解も少なければ分かり合える事も多い。
「100回のLINEより1回の電話。10回の電話より1回会うこと。」
これはホストの世界でもよく言われることです。

実際に志桜里さんとお話しした前後だと捉え方はかなり変わったり逆に変わらなかったり...小さい展示の良さってそういったところなのでしょうか?
例えばデカメロンの展示は、店主のきよちゃんが熱心に教えてくれるんですよ。
嫌味なく、本当に作品を愛してる気持ちが素人の僕にも伝わってくるんです。作家とキュレーターの関係性って凄く大切なんですね。結局人の心を動かすのって愛や情熱だなって思います。

石牟礼道子の資料(2016) 一部芥川仁撮影
直筆の原稿、電気釜、新作能『不知火』資料、他 水俣病と徹底的に寄り添い、近代を宇宙的自然観の中で疑い続けた著作を多く遺した石牟礼道子の資料。熊本市の寺院にある遺品を保管する資料室から一部渡辺が選定したものたちであり、今回が初めての県外持ち出しとなる。「火」(15)のために石牟礼が食について考察していたものや、沖縄の奇祭「イザイホー」についての直筆原稿、石工であった父親の影響が見られる「魂石」と書かれたかまぼこ板に加え、会期中、会場内で一部が催される石牟礼作の新作能「不知火」にまつわる様々なものなどが展示されている。撮影:竹久直樹


今回の展示に対する志桜里さんの愛情が少しづつ伝わってきて、腑に落ち始めました。

「アートを消費する」という表現を使ったのは、自分勝手にアートを利用してるのではないかと、自分自身に感じたからです。作品を理解したり作品の生い立ちを理解するよりも、自分の好きな様にオカズにして自慰行為してるというか。

難しい事を解ろうとしてる自分が好きだし、そういう場所に足を運ぶ自分も好き。でもそれってアートが好きなんじゃなくて、アートに触れてる自分が好きなんじゃん。って。アートをアクセサリー感覚で身に付けてる自分がまだ心のどこかにいます。
逆に作家の立場からみると、アートの表面にかかっているベールの部分ばかりを見ている自分みたいなヤツは少し嫌かもなって。

ただ、動機が不純でも僕がアートに触れたことは事実で、あの時に自分が思った事や感じた事に嘘はなくて、またひとつアートの楽しみは胸の中に増えていて。

だからそういう部分も少し分からなくなっちゃったんですよね(笑) 正解だけで正解じゃないみたいな。
今回の展示は正解を求めるようなテーマじゃないと思うので、それぞれの解釈でいいんだなって今は思っています。

冷凍庫 (1998– )
飴屋法水が東中野で経営していたアニマルストア「動物堂」(1995~2003)の遺物である冷凍庫。閉店以後、常に作家の家に置かれており、今回が初めての持ち出しである。中には、南米から店に到着直後に出産した親が育児放棄し、人工保育に切り替えたものの死亡したナマケモノ。東南アジアから密輸され、空港で没収された後に、獣医に依頼され、生命維持に取り組んだが死亡したセンザンコウ。アフリカから空
輸後、感染症にて全滅した鳥類の便から店内感染し、死亡したアフリカオオコノハズク、以上の3体が今も保存されている。「作品」から「活動」へと芸術のフォームをシフトさせた動物堂は、価値観の転換がパラダイム・シフトとして迫られる人新世の時代にこそ、その意義が美術的にもエコロジー的にも議論されるべき重要な特異点である。更にアーカイブが記録ではなく生の状態で保存されていたその意味は、生態系とアートを捉え直す本展にとっての肝であるとともに、美術館という除菌された空間での展示がベースとなる美術の歴史化そのものを問い直している。


宗教について、歌舞伎町について、の話ですが、ゾッとすると言えば第二会場の雰囲気はずっとどよめいてゾッとする雰囲気がありましたよね。
第二会場は歌舞伎町の闇の深淵とかなり似ている雰囲気がありました。

歌舞伎町って僕が思うにめちゃくちゃめんどくさい街なんです。
ギラギラしてるけどハリボテで、めんどくさい奴らがめんどくさい事してめんどくさい生き方して。
マジでみんなめんどくせーなってめちゃくちゃ思うんですよ(笑)

でもね、そのめんどくさいのがなんかいいんですよね。
自分自身がめんどくさい奴なのも分かっていて、その上で生きてる感じするし最早生かされてるのかな?って思う時もあるし。光が眩しくて、その分闇は濃い。そんな歌舞伎町の魅力があります。

三原山噴火テレフォンサービス音源(1986) 録音:白井嘉則
伊豆大島の島民にとって三原山の噴火は、災害ながら人生に1–3度訪れるという祝祭のハプニングであった。悲壮感よりもイベント感が強かったことから、86年の噴火当初は地域おこしの様相を呈したという。これは当時NTTに勤めていた白井が、観光客呼び込みのために爆発音を全国に向けたテレフォンサービスとしてリリースすべく、立ち入り禁止地区に入り込み、傘を集音マイク代わりにラジカセで録音した音源である。その後ただちにテレフォンサービスとして流されたが、噴火拡大による全島民避難にあたって新聞などで批判が上がり、撤去。白井自身はこの音源を「地球の鳴動」と名づけ、その由来を「胎動のように蠢いていた」からだと語るが、一方で著作権フリーへのこだわりから作家性自体は否定している。


みんな誰かに寄りかかりたいじゃないですか。逆に誰かの頼りになりたいし。
でもみんなにとっての神様ってそんな遠くに居ないんじゃないかなって。実はありがたみをもたらしてくれる全てのことに神様が宿っているんじゃないの?って。

お客様はこんなに時間使ってくれたしとか、辛い時に支えてくれたしとか、楽しい時間をありがとうって決して安くはないお金を支払って下さいます。
僕達からしたら神様ですよ。
でもお客様もありがとうって思ってくれていて、もしかして自分たちの行いもお客様たちからすると神様みたいな瞬間があるのかもなって。

〈第2会場全体〉「ソシアルビルのためのインスタレーション」飴屋法水たち (2022)
全体は、9階「CLUB ACE」の店内からビル屋上へと至る。構成要素は、第一会場から連なる足音と映像、防風林としての松、今も保存され続ける「動物堂」の遺物、閉店した銭湯に眠っていた銭湯画、そして渡辺がキュレーションした三原山噴火の音源など。


少し話が変わりますが、「Two」という作品もすごく良かったです。
同性のカブトムシが重なり合ってて真正面から見ると1つに見えるんですよね。
同性愛って、まだ完全に社会の理解が追い付ききれていないテーマだと思うのですが、真正面から見ると1つに見えるんです。横から見るとちゃんと重なってるのに。

この作品を見て、自分という存在は1人なんだけど、その中には2人居るような、二面性を持って生きているということを考えました。
同性愛という性的指向をもつ人たちの中で、そういう自分を隠している感じ、正面から見ると隠れているというか、自分の全部は見せないよっていう気持ちというか。
そういう二面性って僕にもあります。
みんなに見せてない自分というか。でもそれって自分が望んだ事じゃないし、それこそ神様の悪戯と捉えるのか、神様からの贈り物と捉えるのか。見え方によっては良くも悪くも見えて、自分自身の精神状況で見え方が変わっていくという点で生きづらさと美しさを感じました。

「Two」ミセスユキ (2020)
作家名自体が男性ユニットであることへの懐疑に基づくミセスユキによる、同性同士の交尾を造形するシリーズ


渡辺:そうなんですよね。ぱっと見でわかる作品だけじゃないから話す相手の反応見ながら、あ、この辺にフックがあるのか〜とか思って話広げるのは結構好きなんですよね。私も知らない事知れたりするし…でも、反面自分も疲れちゃうしそもそも体は1つだしなんですよね。
なんかいい方法ないかなーっていつも思ってます。と言うかレマンさんにまだ会って話してないですよね。

消費の話、ホストをやってて繋がる部分ってあったりしますか?
あー今日消費されたわーみたいな。
みんな究極的には自分勝手だという前提はあると思うんです。自分勝手に生きて欲しいし。その上で何が消費で何が消費にならないかって知りたくて。そもそも消費は良くないことなのかって言うのもありますよね。なんか時間のスケールがめっちゃ短かったらアリな気もするし、でももっと長い目で見て欲しいと思った時に消費されるだけだと供給が追いつかないから継続できなくて無くなっちゃうってだけの話なのかなと。

「This is not self-replication」小宮りさ麻吏奈 (2022)  
サイトスペシフィックインスタレーション生殖などをクィアの観点から考察してきた小宮による新作プロジェクト。会場内では一般細胞などの他者の細胞を用いて描いた小宮のポートレート図像を展示し、目の前のラブホテル「HOTEL Dwave」の一室では会期中作家自身の細胞を培養し続ける。会場とホテルの2つの空間は同じピンクの照明によってリンクされ、「自己」と「他者」の細胞が展覧会内でオーバーラップする。生殖と切り離された性行為が頻発するラブホテルで大量に死滅する精子、個人から切り離されたように世界中で増殖される細胞。細胞と生命の境界線や個人の輪郭が限りなく曖昧になるバイオロジカルな世界を舞台にした、「生」の倫理を追求するパフォーマンスとなる。撮影:竹久直樹


例えばなんですけど、私は昔わりといろんなところに行ったりして、まぁ旅行ってやつですよね。
そうするとやっぱり世界の見た方が良いとされる場所は必ず行くわけですよ。スタンプラリーみたいに。でもなんか、だからなんだったんだろ??みたくなって。じゃあまぁもうちょい現地にいたりしようかなとか思って狩猟とか山の生活をしてみるんですよね。スタンプラリー状態よりは色々なことが理解できたし、交流も生まれたし、知識も増えた。でもそれもお客さん的な感じの居心地の悪さが否めず、東京に戻って来たんです。で、循環の作品とか作ったり、谷中の墓地とかで野草取って食べてみたり、なんかそっちの方が楽でしっくりきたんです。消費しないというのは、こういうことなのかなと。

なんか話ずれちゃったかもすみません。

「水」 渡辺志桜里 (2022)
東京電力福島第一原発の汚染水から、超細密濾過器やフィルター、イオン交換樹脂などを使って放射線物質を除去した処理水。


歌舞伎町を歩いてるとサイネージに「何億を稼ぐ男!!!」バーン!みたいな宣伝が乱立してて見ててうおおお!ってなります!あれなんか上がりますよね(笑)私結構好きなんですよ。
で、ホストってある意味商品なのかーって思うわけです。だから消費をされるレマンさんがホストを続けられてる理由に何が供給されてるんだろうって聞いてみたくなったんですよね。

ここ数日、歌舞伎町にホストクラブが集中してるのって必然的なように思えて来ました。なんか自分の展示に寄せちゃって申し訳ないんですが、今回扱ってる「翁」という概念はあっちとこっちを行き来する存在として扱われてます。だから折口信夫は『翁の”発生”』って本のタイトルにしたんですよね。
主体的とも客体的ともいい難いめっちゃいい言葉だなって思います。
ちょうど私も子供がお腹にいて、妊娠するとはじめになんか空間ができるんですよ。発生したなってそんな感じです。

新宿区四谷 旧蓬莱湯(2014年9月30日廃業)女湯銭湯画
「翁」が火山や温泉などこの土地の古層から噴出するよう現れる神に関するものならば、日常生活のレベルで眺められてきた火山である富士山と松からなる銭湯画は、大衆的な風景画である。自然の姿に戻る原初的な場である一方で、絵画を眺める近世・近代による文化的な場でもあった銭湯。その捻れた状況から取り出した朽ちた富士山を歌舞伎町を一望する風景に溶け合わせる。提供: 四谷蓬莱湯


翁ってかつて神事だったものが、現代においては芸能みたいなところに引き継がれています。レマンさんと今回話してて、宗教や神様みたいなものがなんでこんなにちらつくんだろと不思議に思っていました。

歌舞伎町は水が多いし、何より総鎮守として芸能を司る花園神社があって、土地的にそう言うものを担ってるんでしょうね。ホストってコールしたりお酒飲んだり、めちゃめちゃ、ディオニソス的な文化だなと。
翁の源流にあたる石垣島の秘祭のリサーチを元に展示ではザ・ルートビアジャーニーさんがルートビアを作ってくれたんですが、その秘祭も含めて、翁はディオニソス的と言われています。お酒も飲むし、BPM高い音もある。狂乱的な所に身を置くことで合理性から逃れて自由になれるんだと思います。それができる数少ない場所なのかと思いました。前話した自己責任の話ともつながりそうですよね。

「The Host and the Cloud」ピエール・ユイグ(2009–2010)
パリとニューヨークを拠点に活動。自身がキュレーションするグループ展を生態系と呼ぶその考え方や、能やアニメーションなどを引用し、動物やバーチャルキャラクターなどをモチーフとする現実とフィクションの交差方法には、逸脱したエコロジー観が見てとれる。本作は、パリの廃墟となった元民族学博物館で1年間かけて撮影された、断片的なシーンが交錯する映画である。撮影はハロウィーン、バレンタインデー、メーデーの3日間に行われた。状況が設定されたのみで、脚本も演出も一切ない。その内容は、過激派グループが訴追された実際の裁判の再現、有名モデルによるキャットウォーク、催眠療法を受ける患者と医師との会話、など様々である。これらが「離別の儀式」として、博物館職員に扮した役者たちや裸の男女などによる行為と、撮影時の観客の存在が生み出す偶然の出来事なども併せて記録された。加えて、映像作品には、主体の不在を象徴するアバターのうさぎが、すべての試みに見えない影響を与える存在として出現している。 公益財団法人石川文化振興財団蔵 協力 : TARO NASU


___まだまだ対話は続きそうですが、今回はここまで。この対話を読んでくださったみなさまにも、新しいわからなさの種が芽生えていると嬉しいです。


この展覧会を企画・キュレーションし、当企画も快くお引き受けいただいた渡辺志桜里さんに心より感謝いたします。(お腹の中で伴走してくれた新しい命にも!)

写真を提供してくださった竹久直樹さん、刻々と変わる展示を晴れの日も雨の日も見守り記録してくれた森山景さんのご協力、また卯城竜太さんの読み物としても見応えのある丁寧な文章構成のハンドアウトを引用させていただきました。この場を借りてお礼申し上げます。

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