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学生と社会人の違い【広宣社編】~外圧を受けているか、受けていないか~

類グループに入社し、広宣社営業部の配属となって約1ヶ月半。
今は、現業である営業に加えて、事業部課題を任されています。

社会人になってから、「ココが学生とは違う!!」といった感覚を持ったことはほとんどありませんが、強いて言うなら、

「受ける外圧の大きさが違う!」です。


そもそも、学生が外圧を受けることはほとんどありません。

大卒でいえば、およそ22年間は学校や家庭に守られて生き、23年目にして初めて社会に出ることで、外圧に触れ、あらゆる責任を負うことになります。

学生時代から社会という外圧に向かっていれば、社会人になったとしても、大きな違いがあるように感じないと思います。

少なくとも、僕はそうでした。

自分の学生時代を振り返ると、学外で活動することが多く、「地元を盛り上げたい!」という思いから、地元の公民館の行事を手伝ったり、同世代が企画したイベントの広報で困っていた時に、動画やデザインを独自で学んで、広報に使えるものを作ったり、結果的にそれがお金の発生する仕事につながったり。

同世代の学生や外圧に向かっていく学生に力を貸してくれる社会人の方々、地域住民の方々からの期待圧力や、仕事を受けた際の期限圧力など、それなりに外圧には触れていたつもりでした。

ただ、「すべて表層的だなあ」とも思っていて。

そこで初めて、外圧を掴みに行こうとしたのですが、頭で考えすぎて身動きが取れない状態になりました。

言い換えれば、本当の外圧を掴みに行く!となったときに、外圧から「逃げる」という選択を取ったということ。

それが可能だったのは、自らが「学生」という枠の中でしか生きてこなかったから

頭ではわかっていたつもりでしたが、社会人になって実感と共に気づいたのは、

「“学生”や“社会人”といった肩書は、あくまで作られた枠に過ぎない」ことです。

すでに書いた通り、両者の違いがあるとすれば、外圧の有無ももちろんですが、何よりその大きさ、加えてそれゆえの深さだと思います。

さらに、社会人は外圧から逃れられることはできません。

違いがあるといえばあるとは思うのですが、言ってしまえば、

元々そこにあるけれど触れられなかったもの(=外圧)が、(守られることがなくなって)向こう(=外圧)からやってくるようになる(守られることがなくなったから)というだけです。

それがとてつもなく大きい。

そういった現実にとことん向き合い、事実を追求することで外圧を掴むことが、生きていくうえで不可欠な力だなあと、類に入ってから1か月たった今、改めて思います。

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