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『万が一、他の企業に就職して『STORY』が失敗したら、『自分がいれば、何とかなったかもしれないのに』ときっと一生後悔するだろうな、と思ったからです。』
「夢中になって我を忘れるぐらい没頭するのが好きですし、得意です。むしろそういう時間を持つことが自分にとって自然のように思えます。」
マサカツ「まずは、簡単に自己紹介をお願い致します。」
ヌル「社内では『ヌル』と呼ばれています。エンジニアの世界でのnull(データが何も存在しないことを表現している)ではなく、本来の名前が温子(アツコ)で、『温』という字の読み方を変えて、『ヌル』『ヌルさん』と呼ばれています。」
マサカツ「ありがとうございます。ヌルの管轄している領域あるいは業務についてもお願い致します。」
ヌル「はい。ディレクターということでサービスが正しく運営され、発展していく為に必要なプロダクト周りのこと全てに対して責任を負っています。トップであるマサカツさんとプロダクトそのものの戦略や機能に関することを擦り合わせた上で、推進していく立場になります。勿論、自分でもデザイン周りを中心に手を動かしたり、ユーザーからの教務関連の学習相談に答えたりもしています。」
マサカツ「ありがとうございます。では、前身である個別指導塾STORYに出会うまでについて、お話して頂けますか。特に、一緒に働いていても思いますが、『過集中』と『モノづくり』の傾向は、昔からも存在したのではないかと思いますが。」
ヌル「はい。夢中になって我を忘れるぐらい没頭するのが好きですし、得意です。むしろそういう時間を持つことが自分にとって自然のように思えます。」
マサカツ「そう言うのは、自然にできるものなのでしょうか?それとも、『さあ、過集中モードに入るぞ』と言うものなのでしょうか?」
ヌル「前者ですね。でも、年齢を重ねるに従って、体が健康でないとそう言うモードに入りにくくなって来ているので、心身の健康にはかなり気をつけるようになりました。」
マサカツ「なるほど。それはよく理解できます。続けてください。」
ヌル「はい、そういった過集中の エピソードとしては、小学校の時に手芸・刺繍にはまって筆箱とか本カバーとか作り始めて、やりはじめたら周りが見えなくなって徹夜しかけたりして、目が悪くなるからと母に止められてた経験があります。」
「論理的なことを理解し活用できるが、真理の追求まではできない、しかしそれを現実社会の人間の価値に落とし込むことが好きで得意なのではないか、と感じました。」
マサカツ「それも、ある種のモノづくりでもありますね。」
ヌル「確かにそうですね。他には、高校生の時、SSH(スーパーサイエンスハイスクール)の研究として何日も徹夜することがありました。結果、大阪で表彰されることになりました。」
マサカツ「具体的に、どんな研究をされたのでしょうか?」
ヌル「夕陽のスペクトル(色の構成)の研究でした。気象条件による違いや朝陽と夕陽の違いのデータを取った上で、より赤く見える条件を研究していました。個人的には赤が多い方がドラマチックに思えるので、そのような夕陽が見える条件を探り当てたいと考えていました。」
マサカツ「ちなみに、そのまま科学者、少なくとも理系専門職を目指そうとか思わなかったのでしょうか?」
ヌル「はい、実はSSHの経験によって、ただ真理を追いかける、発見していく科学よりも、創作していく方が向いているなと気づくことが在りました。改めて自分でも『モノづくり』が向いているんだな、と今再確認しています。」
マサカツ「具体的にどう言うことがあって、科学者よりも創作者の方が向いているな、と思ったのでしょうか?」
ヌル「私は、そのデータは人間にとってどんな価値をうむのか?をという方向性で思考する癖があると気づいたからです。
例えば、なぜかわからないし、確率70%だけど、赤い夕陽が見れる条件Aというのが判明した場合、科学ではそれは理由を突き止めるまで地道な研究を繰り返すでしょう。私はその結果で満足してしまって次の条件Bを探したくなったり、条件Aが満たされる日を予測する方法を探したくなってしまう、といった具合です。
それを痛感したのは、物理オリンピックに出場するため課題研究をthe 理系男子の方々と一緒に進めているときです。彼らは完全に科学の真理の僕で、人間の解釈を寸分とも入れされない矜持を感じました。逆に私はそのチームの中では、抽象的に展開されている話を現実の制約の中で実現する方法の提案を行うことで価値を出していました。
私は、論理的なことを理解し活用できるが、真理の追求まではできない、しかしそれを現実社会の人間の価値に落とし込むことが好きで得意なのではないか、と感じました。」
「いつも対等であると同時に、平等に扱ってくれるところと『ほどほどで良い』『この辺りで手を打とう』と言う姿勢が無かったことが良かったです。」
マサカツ「では他に、熱量×モノづくりの経験はありますか?」
ヌル「現在のwebサービスの前身の個別指導塾STORYでの『Skill/Stance分析』ですね。」
マサカツ「懐かしい、良い思い出ですね。私から説明しますね。個別指導塾STORYでは子どもが事柄に向かっていく中で必要な壁を超えていくスキル・スタンスを細かく11×4段階に分類して、評価して、その上でどうやって補助者(個別指導の担い手)が学びと言う壁を通じて、子どもたちにそれらのスキル・スタンスを獲得させていくか、を考えたものを創りました。ヌルはどう言う立ち位置で関わってくれていたのでしたか?」
ヌル「当時、関西に拠点があって、関西中の優秀な大学生がインターンとして在籍して日夜指導を行っていました。また、多くのインターン生は単に指導だけに留まらず、それぞれがPJTに所属しているという状況でした。PJTには、採用や社内企画、経理などの分かりやすいものから、子どもたちの発達を司るものまでありました。そんな中で、マサカツさんと京大の女子数名で子どもたちのより内面のスキルを評価し、発達させることを考えていくプロジェクトが発足し、その中にジョインさせて頂いたのが始まりです。」
マサカツ「はい。私は指導の引き出し、沢山の子どものストックが記憶になりましたので、議論を一定リードできる立場にありましたが、それでも一人だけの感覚だと偏りが生じることもあり、PJTと言うことで形にしていくことになりました。本当に普段そこまで使わない部分の頭を使ったなと思います。」
ヌル「はい。あの時代にマサカツさんが持っている多くの子どもたちのペルソナを含めて頭に入れることができたので、後々コベツバでディレクションを行っている時や、教育相談に乗っている時も、全く何の違和感もなく入っていけたのだと思います。それに、スキル・スタンスの分類が社内に浸透していたこともあって、子ども×学びの壁の状態を表す共通言語が社内に既に存在していたことも大きかったかと思います。」
マサカツ「ありがとうございます。さて、話を戻してそういったモノづくりは楽しかったですか?」
ヌル「楽しかったですね。これまでは本気で体重を乗せた時に熱量が高すぎて、周囲に引かれてしまうことが多かったのですが、ここSTORYでは全くそんなことはなく、いつも対等であると同時に、平等に扱ってくれるところが良かったです。『ほどほどで良い』『この辺りで手を打とう』と言う姿勢が無かったことが良かったです。また、頭をギリギリ限界まで使っている感覚も覚えました。どこかで周囲を気にしたり、相手を気遣ったりして、手加減をすることが多かったので、全力で行っても届くか届かないかと言うことに、非常に面白さを覚えました。」
マサカツ「過去に、他人に配慮して熱量を制限したことがあると言うことでしょうか?」
ヌル「今から思えば、コミュニティの中で、どちらかというと日本的な『ただ仲良くやる』と言うことが苦手というか、むしろ『頑張っても出来ない』のだと思います。これまで育ってきた中でも吹奏楽や、茶道など、そこまで成果を強く求めていないコミュニティでは、成果が出ることよりも、みんなと仲良くすることが言及されているかどうかは別として結果として求められることが多いので、その部分でどうしてもフィットしなかったのだと思います。」
マサカツ「やるからには、成果にこだわりたいし、その中で思い切りやりたい、という訳ですね?」
「1日16時間勉強するぐらいコミットした結果、京都大学の総合人間学部に首席で入学」
マサカツ「一方で、個人競技においては『学習すること』が驚異的に得意だと思いますが。」
ヌル「はい。初めて本格的に学習したのは小6で中学受験を考えた時に希学園に入って一気にクラスが上がっていきました。志望校が最難関ではなかったのですが、学習してできるようになっていく過程は非常に楽しかったです。また、その6年後の大学受験では、自分を学ぶ機械のように仕立てて1日16時間勉強するぐらいコミットした結果、京都大学の総合人間学部に首席で入学することが出来ました。」
マサカツ「凄まじいですね。いわゆるオルタナティブの学び(SSHの研究)も、既存の学び(受験)も両方とも出来るので学習のオールラウンダーだなと思います。自分ではどう言うふうに感じていますか?」
ヌル「はい。どちらかと言うと、好きなのはオルタナティブ、問題も答えも決まっていない学びの方が好きで没頭できます。脳の幅広い部分を使っている感覚があります。運動で言うと全身運動のような健康的な感じです。一方で受験の学びは狭い学び。受験勉強をやり込めばやりこむほど、単位時間あたりで効率良く正解を見出していくことに特化した方が高得点が取れるようになるのですが、そこに必要のない脳の新しい関連づけや知的探求を封印することになるので自分の脳が退化しているような印象を持ちました。
極論ですが、ドイツのナチス政権が人間を効率的に虐殺する方法を考え出した時、その計画を立てていた人は、いかに時間・費用観点で効率的に処理できるかしか考えていなかったので罪悪感を感じなかったという話があります。
普通の精神で考えたらあり得ないんですが、1つの尺度において自分の脳の使い方を最適化させすぎることの弊害を自分の体験を通して感じたので、正解や成果指標が固定化している競技(国内最高峰まで行けば別ですが)を人生の中で続けていくべきではないと感じました。
ただし、正解のある学びも苦手ではないというか人並み以上に得意だとはおもいます。」
マサカツ「実際にコベツバでも、デザインやエンジニアリングを初めて学習してかなり短期間で自分のものにしていましたよね?」
ヌル「はい、ディレクターは本当に何でも屋ですので。デザインも2週間でHTML/CSSを身につけて書いていましたし、エンジニアとコードの話をする為にJavascriptやphpの講座はすぐに学習しました。学習すること自体はもはや習慣になっていて、全然別ですが昨年は水泳を1から習ってバタフライまで綺麗に泳げるようになりました。」
マサカツ「新しいことを取り入れて使えるようになっていくという観点では、何でも同じなのですね?」
ヌル「はい、その通りです。あと、必要性だけではなく、出来るようになった新しい感覚を身につけると言うのもまた喜びになっていると思います。」
「自分がメガベンチャーに就職して、何年か後にコベツバが失敗していたことを聞いたら、きっと後悔するな。また、逆に成功していてもやはり後悔するな、と思った。」
マサカツ「ありがとうございます。では、そんなある種のエリートであったと思いますが、就職のタイミングで、なぜまだまだ馬の骨とも分からないコベツバを選択されたのでしょうか?」
ヌル「はい、まず就職活動は外資系のコンサルティング会社とメガベンチャー企業に内定を頂きました。ただ、これまでの経歴から分かるように一緒に働く相手や企業が古いドメスティックな企業だと恐らく合わないと思っていましたので、コンサルティング会社の線は消しました。コンサルティング会社のクライアントの多くは重厚長大企業がメインですから。その上で、メガベンチャーでも少人数のチームに入れられれば、機嫌よく仕事できたのかもしれませんが、それでも結局は『誰の下で働いていくか』はどこまでも分からない訳です。でも、コベツバなら、マサカツさんとエネスと言う結局一緒にPJTをしていた仲間であり、自分の本気をぶつけていける相手であることが分かっていたので、明確に選ぶ理由があった訳です。」
マサカツ「なるほど。それでも不安はなかったですか?当時、個別指導塾STORYの中の新規事業として発足したばかりだったかと思いますが。」
ヌル「不安はありました。でも、それはむしろ逆で。自分がメガベンチャーに就職して、何年か後に失敗していたことを聞いたら、後悔するな。また、逆に成功していても後悔するな、と思ったのですね。」
マサカツ「後者は分かります。自分も選んで勝ち馬に乗っておけば良かったと言うことですよね。では、前者はどう言う意味なのでしょうか?」
ヌル「それは、もう、過信だと言われるかもしれませんが笑。自分がいない時に失敗したと聞いて感じるのは、きっと『自分がその場にいれば、何とかなったかもしれないのにと言う後悔』だろうなと。だから、このチームに、コベツバに、私がいるべきだな、と思った訳です。」
マサカツ「そんな話があったのですね。改めて聞いて非常に嬉しいです。ちなみに、なぜそこまで思い入れを持つことができたのでしょうか?」
ヌル「自分の120%の力に自信があるからだと思います。人生のそれぞれの場面でそれまでも成果を出して来た訳です。その120%の力を打ち合える人間が複数いるチームがそう簡単に失敗する訳はないし、失敗させるべきでもない、とも思ったからです。」
マサカツ「ありがとうございます。その上で、実際にコベツバの立ち上げからここまで、本当に色々なことがありましたが。」
ヌル「マサカツさんとエネスと5年前、あるアクセラレータに出場して色んな人に否定され続けた時から考えるとかなり遠くまで来ました。でも、まだ1号目です。これから先、多くの仲間も入ってきて、追加の機能、他のドメイン、あるいは国外へも展開していく未来を見据えています。私もコベツバも、今の状態に満足することなく、育てていきたいなと思います。」
ヌル「ありがとうございました。」