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「イントレプレナー思考」のエンジニア求む!~営業会社から「テックカンパニー」へ〜#1

リクルートのトップ営業がつくった、イノベーションという会社の成功と挫折

こんにちは。イノベーション代表の富田です。

今、私たちは“優秀なリードエンジニアの方”を求めています。
その背景と詳細を「4回の連載」で紹介します。

イノベーションという会社は、2000年12月に設立した、いわば中堅どころの企業です。2016年にマザーズに上場をしましたが、その後紆余曲折を経て、今まさに「第二の創業期」を迎えています。

イノベーションの第二創業期は、まさに"創業"と呼ぶにふさわしいものになると思います。
そんな"創業"の苦しみも喜びも一緒に乗り越え、共に戦ってくれる仲間を募集しています。

私がどんな人間で、どんな想いで起業したのか。
今までイノベーションがどのような道のりを辿ってきたのか。
そして、これからイノベーションという会社がどこを目指しているのか。

できる限りのことをお伝えしたいと思っています。

まずこの回では、富田という人間や創業の想いを中心に、イノベーションの歩みやそして直面した課題、そんなことを中心にご紹介します。

当たり前のように家業を継ぐと思っていた子供時代

私の生い立ちが起業に大きく関わってるので、まずは生い立ちから話しますね。

私は静岡にある電気工事屋の長男として生まれたんです。小さい頃から、休みという休みはずっと父親の仕事を手伝っていて、夏休みや冬休みは、父親に連れられ新築住宅の電気工事をする毎日。それこそ長期休みの思い出は、父親の仕事を手伝った記憶がほとんどでした。今考えると、ものすごく親孝行な子供ですよね。

そんな環境だったから大学も当たり前のように電気工学科に進学したし、父親の仕事を継ぐんだと思って生きていました。

ただ、家業を継ぐ前に一度くらいは社会を経験しておいたほうが後々のためにも良いだろうって考えて、就職活動をはじめました。とは言っても就職してもいつかは辞めることがみえていたので、自分が一番短期間で成長できる場所を選ぼうと。それでリクルートに就職を決めたんです。


イノベーションという会社の立ち上げに影響を与えた原体験

リクルートに入ると、人事に「絶対営業はやりたくない」って言っていたにも関わらず、営業に配属されました。入社した私を待っていたのは1ヶ月間の名刺獲得レース。新人30人くらいでポイントを競うんですよ。社長は10点、部長5点、みたいな。ノルマや結果をグラフにして毎日貼り出されて。

私はぜんぜんダメで、他のメンバーが1日で200枚獲得している中で自分は2枚、みたいな日もありました。そんな毎日が1ヶ月も続き、キャンペーンが終わる頃には鬱になるんじゃないかっていうくらい身も心も疲弊していました。ホントに辛い毎日でしたね。

このままだとさすがにまずいと思って、人事に「営業はムリです」って掛け合ったんですよね。そしたら「そうだよな、お前営業いやだって言ってたもんな」って。それでその後すぐに人事部門に異動になりました。そんなあっさり異動OKなんだったら最初から営業に配属なんかしないでよって、あの時は本気で思いましたね。笑

営業から無事離れることができた私は、一生懸命採用業務に取り組みました。学生に電話して、来てもらって、リクルートの良さを説明してわかってもらって、口説いて・・・。

そんなことを続けているうちにふと思ったんです。これってまさに営業そのものだって。

知らない人に、自分が知っていることを「こんなものがあるんだよ」って伝えて、そして理解・共感してもらって、価値を提供する。恥ずかしながら、そのときにはじめて営業の本質を理解したんですよね。営業ってなんておもしろい仕事なんだろうって。あんなに営業がいやだって言ってたのに、現金な話ですよね。営業のおもしろさに気付いた私は、また人事に掛け合って、営業に戻してもらいました。


ひかれていたレールが消えた
リクルートトップ営業の絶頂期、35歳での決断

営業に戻ってからは、トップ営業を目指して頑張る日々。営業という仕事に魅力を感じながらも、それでもいつかは父親の仕事を継ぐんだという気持ちは持ち続けていました。ただ、30歳を過ぎた頃に父親から連絡があったんです。「会社をたたむことにした」と。

小さい頃から当たり前のように思っていた『家業を継ぐ』という道が無くなった。でも、ずっと家業を継いで社長になると思ってたからなのか、それともDNAなのか。『独立をしよう』という思いはどんどん強くなっていきました。あとは、独立したリクルートの同期や先輩たちの影響もあったと思います。独立して頑張ったり活躍している彼らが、とてもかっこよく見えたんですよね。

それで、35歳の節目に退職を決意しました。

個人的な話にはなりますけど、もういい歳だったということもあり、同じタイミングで結婚も決めました。退職の日にみんなの前で「寿退社します」って宣言して、結婚と独立を報告しました。

結婚を決めたのは、遊んでる場合じゃないなっていう気持ちが強かったからなんですよね。バブル世代の私は、それはもう遊んでいました。なんかもう、いつかどこかでけじめをつけないと一生遊び続けるなって。自覚もあったので、脇を締める意味も込めての決断です。


「自ら機会を創り出し機会によって自らを変えた」起業

退職をしてから、創業に向けてどんな会社を作るかを考えました。考えた末に出てきた軸が以下の4つ。

・得意なこと
・好きなこと
・一番が取れる可能性があること
・成長分野であること

当時のBtoB領域、特にインターネット周りは、やっとWebサイトを作る企業が増えてきたくらいの時期でこれから伸びるっていう感覚があったし、それに営業が好きだったということもあり、事業ドメインをBtoBの営業領域に決めました。

その後自分なりに事業計画を作って、尊敬している先輩経営者に相談にいったんです。事業についてあれこれアドバイスがもらえると思っていた私に先輩が言ったのは、「おまえは何がしたいのか?」という言葉でした。話している中で、何度も何度も問いかけられましたが、私はその問いにこたえることができませんでした。明確に「何をしたいのか」までは考えられていなかったんですよね。

本当にこの時気付かせてもらえたことに感謝しかないです。
それで、改めて自分が何をしたいのか、どんな会社にしたいのか、会社の存在意義はいったいどこにあるのか、真剣に向き合いました。その結果生まれたのが、イノベーションの最初の理念「売れない会社が売れるように 売れる会社をもっと売れるように」です。

良いサービスを持っているけど、営業力がなくて世の中に知られていない会社は世の中に溢れている。私はそんな会社の成長を支援したいと。今でこそ理念は変わってしまっていますが、この想いは今でも変わらず持ち続けていますし、私がイノベーションを経営する上での原動力です。


試行錯誤で進んでいった、創業期

↑創業当初のオフィス写真


いざ創業してからは、まさに試行錯誤の連続。いろいろなことにチャレンジしながら、会社の形を模索していきました。まずは代理業。メール広告サービス、日経の純広告、新設法人データ、リクルート時代に立ち上げたキーマンズネット・・・本当にいろいろなサービスの代理店にトライしました。

その中でも特に伸びたのが、リスティング広告でした。2002年にGoogleとOverture(現Yahoo!広告)のサービスが日本で始まった当初から代理店をはじめ、その他にもルックスマートやgooなど、いろいろな媒体を扱っていました。最近の人はルックスマートなんて知らないですよね?当時はGoogleやOvertureと同じくらいの売上があったサービスです。

あとは、自社のサービスもあった方が良いと考え、私が得意だったテレアポ代行をサービスとして作りました。今でも鮮明に覚えていますが、一番初めに発注してくれたのは三菱銀行系列の企業。テレアポから納品用のレポートやデータ作りなども全て、私ひとりでおこなっていました。

そのうち300万〜500万規模の発注をいくつもいただけるようになり、事業が軌道に乗ってくると、さすがに自分でコールしていては回らない。。。そこで、パートナーを探したり社員の採用を進めたりと、会社の規模も徐々に大きくなっていきました。おかげさまで、創業から1年が経った頃にはオフィスがいっぱいになり、移転するまでに。

その後も広告代理店事業とテレマーケティング事業を軸にして会社は成長していき、創業から6年が経ったころには、売上が10億を超えるまでになりました。


「ピンチはチャンス」
リーマンショックを乗り越え、自社プロダクトへの事業シフト

広告代理事業もテレマーケティング事業も順調に伸びてはいたのですが、課題もありました。

リスティング広告はあくまで代理店事業なので利益率が低く、それに加えて当時は今のように運用を自動化するようなツールもほとんどなかったので、それなりに人員も必要でした。

また、テレマーケティングもコールスタッフを抱える必要があるので、その分が固定費として常に発生しする。発注がないと人件費が利益を圧迫するし、長期的に発注いただけるPJが多くなかったので、常に営業をし続けなければいけない。結果、なかなか売上や利益が安定しませんでした。

特に大変だったのが2008年のリーマンショックです。何日もコールセンターが稼働しない日が続き、「このままではまずい」と本気で思いました。大きな経営判断を迫られるなど、今振り返っても本当に大変でした。この時の経験も、事業軸をピボットする判断の後押しになりました。


会社を安定させるためには、サブスクモデルの事業が必要だと感じ、新しい自社サービス創りを模索しはじめました。その時に大切にしていたのは、『お客さまに対して価値がわかりやすい(明確に価値がある)』こと。ニーズがあり価値が明確に伝われば、受け入れてもらえますからね。

現場からでてきた事業アイディアも積極的にチャレンジしましたし、私が発案した事業も合わせれば、4〜5年の間で20近くのサービスやツールをリリースしていたと思います。そうしたチャレンジの中で生まれたのが、今のメイン事業となっているITトレンドとList Finderです。

 ※ ITトレンド → IT製品の比較メディア
 ※ List Finder → マーケティングオートメーションツール


「良いものが作れない」「要望に応えられない」
営業会社であるがゆえに感じた限界

ITトレンドやList Finderといった新しいサービスが軌道に乗ってくるにつれて感じたのが、サービス開発・改善の限界でした。

営業しかいなければ、人のサービスを売るしかない。もちろんそれで成長している会社も多く存在するけど、私は、『私たちにしか創れない価値』を世の中に提供したかったんです。営業力を活かしながらサービスも創り出せる会社。それが私の目指す理想の姿でした。

サービスを創るエンジニアは社内にいないし、エンジニアを採用して働いてもらう体制もノウハウも全くない。初めはパートナー企業と一緒にサービス開発を行っていましたが、同じ方向性を向いて同じコミット感で、かつスピード感をもってサービスを改善・グロースしていくことに、限界を感じはじめたんです。

そこで、エンジニアを採用して内製化する方向に舵をきる決断をしました。


知識も理解度も低い営業会社が
エンジニア組織を内製化する難しさを痛感

内製化を決めたからには、即行動。とは言っても、エンジニアを社内に抱えた経験も技術に関する知識もまったくなかったので、どんな方がいいかなんて全然わからないというのが正直なところでした。

なので、できれば既にイノベーションのサービス開発に関わってくれている人であれば、『これくらいの開発は対応してもらえる』という実績があるので、開発について無知な私たちでも安心して採用できるなぁと思っていました。あとは、イノベーションの理念に共感してくれることも、重要なポイントでした。その2つを満たしている方に、ぜひにとお願いしてみました。

もちろんすぐにOKをもらえたわけではありませんが、半年くらい何度もお互いの目指していることを話していき、結果として入社を決断してくれました。イノベーションの記念すべきエンジニア第一号です。

その方の入社によってようやく内製化の第一歩を踏み出した私たちは、エンジニア志向の新卒採用をおこなったりベトナムにオフショア拠点を立ち上げたりと、エンジニア組織を拡大するための施策をおこないました。しかし、その先に待っている現実はそう甘くはありませんでした。


↑ベトナムオフィスでの写真  右上の3人以外は現地で採用したエンジニアです


「オフショア拠点がうまく立ち上がれば、コストを抑えて開発できる体制が整えられる」

そんな甘い考えをもっていましたが、実際はどれもうまく行きませんでした。それもそうですよね。イノベーションにいたのは、エンジニアや開発のことを理解していない営業会社の経営者たちと、たった1人のエンジニア。知識も人も、圧倒的に足りなかったんです。

このような第一の失敗から5年、エンジニア組織は過渡期を迎えるのですが、その話はまた別の回で。



次話はこちら↓
#2 SalesGrowthの限界 ~営業は大事だけど営業だけがすべてじゃなかった~
#3 たったひとりから始まったエンジニア組織の設立と拡大、そして再構築
#4 理想のエンジニア組織への挑戦 ~本当のテックカンパニーを目指して~

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