1
/
5

Sign up for free

This page is intended for users in Japan(English). Go to the page for users in United States.

「求められるのは変化に対する適応力」オフィス変遷と共に会社の歴史を振り返る

デジタリフトは、2012年の創業時から現在に至るまで、数々のオフィス移転をしています。
代表の百本と創業メンバーの奥谷の2人に、オフィスの変遷に合わせて、創業から現在まで7年半にわたるデジタリフトの歴史を語ってもらいました!

百本 正博(ひゃくもと まさひろ)
デジタリフト代表取締役。大学卒業後、総合広告代理店にてアカウントエグゼクティブとして10年勤務。
その後、インターネット広告会社のコンサルタント、ITスタートアップのアドバイザーを経て、2012年に
デジタリフトを創業。
奥谷 慧(おくたに けい)
早稲田大学大学院創造理工研究科卒業後、人材紹介のウェブマーケティングチームで勤務。
その後代表の百本と出会い、デジタリフトに1号社員としてジョイン。

【下井草】自宅兼事務所で創業!毎日100件のテレアポ営業

——デジタリフトは2012年11月創業ですが、最初のオフィスはどちらだったんでしょうか?

百本
杉並区の下井草駅付近にある、実家の一角をオフィスとして使っていました。実家が昔、事業をやっていて、当時の事務所が残っていたんです。創業時は一人でしたが、半年後に奥谷がジョインして2人体制になりました。

奥谷
懐かしいですね!百本さんの車で近所にランチを食べに行ってましたよね。バイキングとか。あと、ご実家からおやつを出していただくこともありました。

——アットホームですね。創業当時は大変なことも多かったんじゃないでしょうか?

百本
当然ですがまだ名前も知られていない会社だったので、アポがなかなか取れなかったことですかね。1日100件くらい電話しても、アポが取れるのは1〜2件くらいでした。

最初のころは2人でいろいろな会社に電話をかけていましたが、事務所が狭く2人同時に電話できないので、奥谷が事務所で、私は実家の自分の部屋で電話をかけていました。周りが住宅街で、買い物帰りの親子が大声で歌っている声が電話相手に聞こえてしまって気まずい思いをしたこともあります(笑)。

奥谷
電話がしにくい環境だったので、実は下井草で仕事をすることはそんなに多くなかったんです。知人のオフィス会議室を貸してもらったり、なんとか場所を確保してテレアポを進めていましたね。

【表参道】アドテク系ベンチャーのオフィスを間借り。いい刺激が受けられる環境



▲ 青山オーバルビル officee.jpより引用

——その後は表参道のオフィスを借りたんですね。

百本
はい。アポが少しずつ増えていくにつれ、利便性を考慮した結果、表参道にあるアドテク系企業の一角を間借りし、そこに通うようになりました。

急成長中のベンチャー企業で、彼らの事業を間近で見られたことで、今後の自分たちの事業の方向性を決める際にも参考になりました。業界のトレンドや最新情報をいち早く知ることができたので、すごくいい環境でしたね。

奥谷
会社としては百本さんと2人でしたが、間借りしている会社には同年代の人がたくさんいて、仲良くしてもらったのもいい思い出です。刺激をたくさん受けられる環境でしたね。

百本
その会社の当時のメンバーは転職している人も多いのですが、今でもお付き合いがあります。当社と取引をしていただいたり、情報交換がてらたまに会うこともあります。

【六本木】事業拡大期。膨大な仕事量を数名でこなし、週2〜3日はオフィスで寝泊り



▲ 六本木デュープレックスエムズ

——2014年にオフィスを構えたのは、どのような理由からですか?

百本
事業拡大とともに来客対応も増えていき、間借りのオフィスではなかなか対応しきれない状況になりました。お客様からの見え方という点でも、そろそろきちんとオフィスを構えたほうが良いと考えたからです。

奥谷
案件増加とともに、内勤社員が増えたのも理由の一つでした。それで、2014年4月に、六本木のデュープレックスエムズにオフィスを構えました。

百本
フロアごとにロビースペースがついていたので、採用面接や来客対応をそこでできるようになりました。

このころから、現在取締役を務めている鹿熊が度々手伝いに来てくれるようになりました。鹿熊は学生時代からデジタリフト含め複数社のITベンチャーに参画していて、大学卒業後にデジタリフトに入社。実際に当社に入社したのは次のオフィスに移転したあとですが、このころからクライアントへの提案業務も行っていましたね。

——この時点で、社員数はどのくらいだったんでしょうか。

百本
5人ほどでした。この時期は売り上げが徐々に伸び始めた時期でしたが、キャッシュポジションをしっかり整えてから社員を増員したかったので、しばらくは社員を増やさずにいたんです。奥谷にとっては、かなりキツい時期だったかもしれません。

奥谷
振り返ってみると、この時期が一番忙しかったかもしれませんね。オフィスで寝泊りすることが多かったですし、翌日の朝、クライアントに持っていく予定の提案資料を前日の夜から作成することもありました。SOHO用マンションだったので、シャワーがついていたのがありがたかったですね。

百本
私も週2〜3日はオフィスに泊まっていました。出先での仕事を終えて、終電がないからオフィスで寝るか……と思って戻ったら、奥谷がソファーで寝ていて、自分は会議テーブルの上で寝る、なんてことが日常的にあった時代です。

——今では考えられませんが、ベンチャー感満載のエピソードですね。

百本
そうですね。当時は、人数が少なく、一人ひとりの負担が大きかった時期でした。業務をこなすスピードもですが、変化が大きい業界ということもあり、新しい知識を高速で吸収していくことが求められる環境でした。

今は残業時間を業界平均より抑え、全社的に20時間程度を実現していますが、吸収スピードや効率的に業務を進めていく姿勢は、現在でも当社が大事にしているポイントです。

【西麻布三丁目】売上進捗率200%超で会社が急成長


——事業の成長とともに、2015年12月に次のオフィスに引っ越したんですよね。こちらはどんなオフィスだったんですか?

百本
西麻布三丁目のソニックビルに、約40坪の広さのオフィスを構えました。移転当初は社員が5人ほどしかいなくて。「こんなに広いオフィスを借りてどうするんですか?」と社員に聞かれて、「君がこの会社を大きくしていくんでしょ?」なんて話をしたのを覚えています。

奥谷
最終的には社員が20名以上になって、人が入りきらなくなって2年以内に次のオフィスに移転したので、まさに百本の言うとおりになりましたね。

百本
売り上げの進捗率が200〜300%と、かなり急成長した時期ですね。キャッシュポジションがかなり安定したのを機に、メンバーを一気に増員しました。取締役の鹿熊はじめ、現在マネージャーやリーダー、スペシャリスト職を務める中核メンバーが入社してきたのは、このタイミングです。

——メンバーが増え組織化が進む中、教育やマネジメントの面で大変なだったことはなんですか?

奥谷
最初のうちは、今まで自分一人でやっていた仕事を、新しく入ったメンバーに引き継ぐのに苦労しました。自分でやったほうが早いけれど、任せなければいつまで経ってもメンバーが成長しない……という葛藤がありました。

百本
当時はよく、「奥谷にとっては当たり前の事でも、入社したばかりのメンバーにとっては当たり前じゃないから指導方法を工夫しよう」と話をしてましたね。

奥谷
百本からのアドバイスもあって「さまざまな伝え方を試してみる」、「0から10まで全部指示しないである程度任せる」、「こまめにMTGをして進捗を確認する」など、徐々にやり方を変えていきました。

特に「任せる」は一番重視したところです。自分自身が、一人あたりの仕事量がかなり多くて聞ける相手もいない……という状況で相当鍛えられたので、メンバーにも自己解決力を磨いてほしいと考えていました。

——今は、「den-Know(デンノウ)」など、社内でナレッジを共有する仕組みがありますが、当時はありませんでしたもんね。

百本
そうですね。ただ、幅広い業界のクライアントに対し、最適な施策を提案するという当社の性質上、前例のないケースに対応しなければいけないことが多々あります。未知の問題を解決していく力は、引き続き求められる能力ですね。

【西麻布四丁目①】組織化が進み、個の力からチームの力へ

▲ 西麻布六本木通ビル officee.jpより引用

——社員増にともなって2017年9月に移転した先が、西麻布四丁目の六本木通りビルですよね。

百本
会社のルールや決まりなど、内部構造がしっかりできあがったのがこの時期です。

管理部門の人数が増えて、AE Divも複数のチームができ、部署ごとに業務をまわせるようになっていきました。

奥谷
仕事をチームでまわせるようになったことで、泊まり込みで働くこともなくなりました。
オフィス環境としても、仕切られた会議室ができたり、入室の際にセキュリティカードが必要になったりと、いよいよ会社らしくなってきたな、という印象でしたね。


百本
ただ、組織化が進んだことで、従来のやり方だとうまくいかないことも増えてきました。たとえば、備品購入の際に以前は口頭で許可を取っていたものを、申請方式に変えるなど、段々とシステマティックに整えていきました。
システム化し、ルールを明文化することで、新しく入社するメンバーにとっても仕事を進めやすい環境を作る狙いもありました。

——システム化されていくことに対して、戸惑いの声もあったのではないでしょうか?

奥谷
そういった声もゼロではありませんでした。ただ、会社の規模が変わるにつれ、ルールが変わっていくのは自然なことだと思っています。今後も事業規模はどんどん拡大し、会社は変化し続けるので、「変化に対応できる自分でいること」を大事にしてほしいですね。

百本
もっと大局的なことを言えば、デジタルマーケティングの市場そのものが変化し続けているので、市場の変化に伴って会社も柔軟に姿を変えていく必要があるんです。会社としても社員一人ひとりの意識としても、変化に順応する姿勢は持っておくべきだと考えています。

【西麻布四丁目②】「CdMO」の方針を打ち出し、更なる事業成長を目指す

——2019年9月に現在のオフィス・興和西麻布ビルに移転しました。半年ほど過ごしてみて感想を教えてください。

奥谷
会議室が2部屋から6部屋に増えたので、MTGの調整にかかる労力がぐっと減りました。前のオフィスでは、部屋がないからMTGができないこともよくあったんです。今は気軽に社内MTGできるようになって、メンバーとのコミュニケーションも取りやすくなったと感じます。

百本
一番最初の下井草のオフィスと比べてみてどうですか?

奥谷
2人でずっとテレアポしていた時のオフィスと比べたら、何もかも違いすぎて……!
当時の自分に「今はこんなに会社が大きくなっているんだよ!」と言っても、信じられないんじゃないかなと。
大変な時期もありましたが、創業間もない時期から参画して、会社が成長する過程を間近で見られたのは、かなり貴重な体験だったなと改めて感じますね。

——オフィス移転と同時期に、「CdMO(チーフ・デジタル・マーケティング・オフィサー)を目指す」という方針を打ち出しましたね。

百本
そうですね。コンサルティングをより重視していくため、目指すべき姿として「CdMO=企業のCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)をデジタルマーケティングの側面から支える存在」という方針を打ち出しました。
ただ、ソニックビルにいた時期から、取引につながる前段階でクライアントからの相談に応じていて、大きな案件につながる流れはあったんです。

——新しい方針を打ち出したというより、元々やっていたことを明文化したんですね。

百本
これまで属人的にやっていたことをプロセス化し、社員全員ができるようにしていきたいと考えて、改めて「CdMO」という方針を打ち出しました。


——オフィスの今後の展望を教えてください!

百本
机に向かって1日を過ごすことが多い業態なので、社員の健康維持のため、ジムを作りたいと思っています。仕事にしっかり向き合うには、やはり健康第一ですから。

また、一人が使えるスペースを広く取り、仕事に集中できる環境を整えていきたいですね。
現在の東京オフィスは、収容人数が約100人のフロアになっています。今後社員が増えても、余裕を持たせた空間作りは継続したいと思っています。

創業時と比べれば、事業規模や社員数は右肩上がりで伸びていますが、「まだまだここから!」という思いは強いです。
オフィス含め、社員が働きやすい環境をしっかり整えて、今後も成長し続けていきたいと考えています。

株式会社デジタリフト's job postings
30 Likes
30 Likes

Weekly ranking

Show other rankings
If this story triggered your interest, go ahead and visit them to learn more