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「宇宙から地球の不動産市場を変えたい!」 衛星データとAIを使って不動産市場の変革を目指すスタートアップ企業、ペネトレータ社の Founder&CEO阿久津岳生さん(以下、阿久津さん)が、スポーツ界のトップランナー、男子柔道金メダリスト・井上康生さん(以下、井上さん)と、「最強かつ最高のチーム作り」について本音で語り合いました。
(※対談の内容を6回に分けてお届けします)
対談③ 最強かつ最高のチームの作り方
―――スタートアップ企業を率いる阿久津さんは、今、切実な悩みがあるそうですが…
(阿久津)
僕は今、スタートアップというビジネスをしているんですが、スタートアップは一般企業と違って短期間で投資家からお金を集めて、最初は赤字でもいいから深く掘って、で、一気にはねるという、いわゆる「Jカーブ」の形で急成長する事が求められている…。5年とか長くても10年以内に結果を出さなくちゃいけないんですね。
オリンピックチームも短期間でチームを作って金メダルを目指すと思うんですけど…、『短期間でチームを成長させる秘訣』をお聞きできればと。
短期間でチームを成長させる3ステップ ①『ミッション』 ②『ビジョン』 ③『バリュー』
(井上)
短期間と言っても、我々の場合はオリンピックだと4年間のプランで考えるんですよね。で、監督に就任して1年目、2年目、3年目…で、4年目がオリンピックっていう形なんですけど。
一番最初にやるべきなのは、『我々が進む方向性をしっかりと形として示す事』。
示す方向性というのは、まず大枠のミッションとしては『最強かつ最高』(※内容は対談②をご覧ください)。
次にビジョンとして、『具体的な目標』を、『オリンピックを目指していこう』『金メダル全員取りに行こう』『毎年の世界選手権では結果を出していこう』という形で示していく。
で、最後にバリューとして、『具体的な行動指針』を設定する。目標を達成するために何をやるかを選手と一緒に考えて、やってみた結果、必ず失敗もあれば成功もあるので、毎年状況をしっかりと見直して、指針を改善しながら進めていきました。
もう一つ大事なのは『情報を共有する事』。一つの目標に向かって、それぞれが力を発揮しながら一体化して進めるチームにするために、選手や関係者と何度も全体ミーティングや個別ミーティングを重ねてきました。
(阿久津)
やっぱりその『最強かつ最高』ということから、具体的な指針まで、チームでとにかく共有していくという事なんですね。
情報発信が未来のチームを作る
(井上)
さらに言うと、『我々が進む方向性』というのは、決して全日本だけの選手に向けたものではなくて、そこを目指している柔道界全体に発信していた部分もあったんですよ。「我々はこういう風なものを掲げてるんです」と。「だから強化選手や代表で入ってくる人達は、その意識の下で戦っていこうね」という前提として。
(阿久津)
ああ!なるほど!「最強かつ最高」というメッセージは、選手のチームだけではなくて、将来チームに入る人も含めて、全体発信して…その上で、チームができてくるわけですね。
(井上)
はい、ですから、皆さんがこの言葉をよく色々な所でも知っていらっしゃるというのは、対外的にも発信してたから、そういう風なものを感じ取ってもらえた、というのもあります。
『主体的な組織』がチームを成長させる
(井上)
あともう一つ、私自身が理想として求めたのは『主体的な組織』を作る事です。組織としてまとまる事も大事なんですが、『どうしたら組織や個人が、より一層成長できるか』という事を1人1人が考えていけるようなチームにしたいなと思って…。
ですから、上から指示するだけのトップダウンだけじゃなく、個人の意見を反映させるボトムアップも大切にして、みんなで一緒に成長できるような組織を目指しましたね。
例えば試合が終わった時に、先生が「お前これダメだったよね。あれダメだったよね。次こうした方がいいよね」ってなると、返ってくる答えが全て「はい」とか「そうだと思います」で終わるんですよね。
じゃなくて、私がやっていたのは、「今日の私はどうだった?」「こういう状況って何か考えてたの?」っていうような感じで、選手が自分自身で課題を洗い出して、次に繋げていけるようなアプローチをしながら、主体性を磨いていけるように心掛けた部分はありました。
(阿久津)
声がけ一つにしても。なるほど。
主体性を伸ばすには トップダウンとボトムアップのバランスが大事
―――主体性を伸ばすポイントは?
(井上)
主体性を伸ばすには、ただ自由にやらせればいいのではなく、トップダウンとボトムアップのバランスが大事だと思っていて…時には「こういう風な形がいいかもしれないよね」みたいに導いてあげながら、『自分で気付ける環境』を作ったり、時には「行くぞ!」っていう風に言ってあげることも大事な部分だと思います。
そのバランスは1人1人違っていて、例えば、ベテラン組と、出だしの若手組ではやっぱり全然能力違うんですよ。若手はもう本当にモチベーションから何から色々なものがみなぎっていて、もう1分1秒たりとも休まずガンガンいけるみたい人もいて。ベテランは、そうはいかない部分もありますが、逆に、考える能力や、洞察力、考察力などを持っている。そういうものを活かしながら、使い分けていましたね。
(阿久津)
なるほど、個人の性格とか、そういうのも見ながら、意見を聞いたり、リーダーとしての声かけしたりする…。
(井上)
でも、それが全部成功したかというと、そんなことです。「あの時、失敗したな」「もっと自分が成長しとけばよかった」と思う事もいっぱいあります。
(阿久津)
そうなんですね…。
選手に“単独での海外遠征”を命じたワケとは
―――「自ら考えられる選手になって欲しい」と、選手をたった1人で海外遠征に出すこともあったそうですが…
(井上)
はい。ある選手は、それこそ真冬の酷寒の地、モンゴルに1~2ヶ月くらい長期的に行ってこいと。でも、モンゴルの選手たちは、真冬の雪がバンバン降っている山道を、普通にガンガン走ってたりするわけですよね。たくましいんですよ。だから最初は選手たちも「こんな感じです」「やばいです」みたいに連絡してくるんですけど…だんだん、そういうのが当たり前というか平気になってくるし。
「かわいい子ほど旅をさせろ」じゃないですけど、自分自身で色々な事を考えたり、見つめたりしていきながら、物事に取り組んでいく。そういう時間も私は必要じゃないかなと思うところもあるので、ほぼ強制的に「行ってこい!」と(笑)。
だけど“練習命令”とか…、我々は一切関与しないと。中身は自分たちで考えて、休みたい時は休みめばいいし、練習したい時は練習すればいいし、ただ『何をしたら自分がこの遠征で有意義な時間を過ごせるかという事を 考えた上で、取り組もう』という目的の下でやりました。みんな、明らかに、たくましくなって帰ってきましたね。
(阿久津)
なるほど。その選手が帰ってきて、変わってるわけですね。
チームの仲間を集めるポイントは… 『高い志』と『自分に無い能力』を持っている人
―――『同じ理念を目指す仲間』は、どうやって集めていますか?
(阿久津)
僕も理念やビジョンを明確に示して、共感する人に来て欲しいと思っているんですが、できたばかりのチームでもあるので、やっぱりなかなか集まらないっていうのは正直なところありますね。
井上さんは…、選手に関しては結果で選ばれてくるからセレクトできないとしても、選手を分析したりサポートしたりするスタッフは、多分ご自身で引っ張って来られたと思うんですけど、そういう方々はどうやって集めたんですか?
(井上)
本当におっしゃる通りで、我々のチームってそう数が多いワケではなく、また常時入れ替えがあるワケはないので、集め方としては、『より志が高く、柔道界というものに対して、熱い思いを持って取り組んでくれる方』を集めて一緒に戦わせてもらったというところがあったかな。そういう面ではま、まとめやすい部分もあったのかなと思うんですけど。
そして、もう一つ、集める時の条件として私が心がけたのが、『自分自身にない能力をいかに持っている人を集めるか』っていうところでした。自分が持っている能力の部分なんて、別に自分がやればいいだけの話ですけど、そうじゃない人たちをどう集めていくか。でもそうやって集めると、やっぱり個性的な人がいっぱいいるんですよ。だから、それをまとめていく事が、次に重要になってくるんで…。
だからこそ、ミーティングを通して対話やコミュニケーションをできるだけ多く行う。全体的にも個人的にも…コミュニケーションをとる中で、お互いの考え方や、チームとしての考え方を話し合ったり、相手が何を考えているかを引き出したりしながら、形づくりをしていきましたね。
チームをまとめる時の『孤独との葛藤』
―――個性的な仲間をまとめる時の苦労は?
(井上)
全日本の選手は、同じメンバーもいれば、入れ替わるメンバーもいるんですよね。『入れ替わり』イコール、その選手たちに付いている『所属』というものがあって、それぞれの大学や企業の監督さんたちとも付き合っていかなきゃいけないんですよね。
で、皆さんそれぞれ文化を持っていて、全ての人が同じ考え方やベクトルを持っているワケではないので。そこをうまくマッチさせながら一緒に歩んでいく所に苦労したり、工夫したりがあったかなと思います。
(阿久津)
やっぱり違うものなんですか?
(井上)
違います!全然違います。やっぱりライバル同士なので、簡単に言うなら、大学ごとに派閥が生まれるわけです。で、私はずっと東海大学で育っているので、私が監督になったときに、やっぱり「東海大学の関係の人でしょ? 我々の大学には、ちょっと敵対しているんでしょ?」みたいな目で見られるわけですよね。
だけど監督になった時には、やっぱりそんな目線というのを一切持ってはいけないので、大学のさまざまな役職も外してもらったりした経緯もあったんですけど。今度は大学からも「なんでお前、ちゃんと仕事しないんだ」という風になるワケですよね。だから『孤独との葛藤』というのはすごくあったなと、今振り返ると思いますけどね。
『対話』で切り拓いた代表チーム革命
―――孤独の中、どうやってチームをまとめていったのでしょう…?
(井上)
世界と戦うためには、派閥がどうのなどと言っていられない。これはもう、日本チーム全体で戦っていかなければ、世界の荒波に全部飲み込まれてやられてしまう、というところもあったんで、最初の段階は、失礼だったかもしれませんけど…言わば『土足で人の家に入る』みたいに、いろんな方々に連絡して、「練習行っていいですか? 色々ちょっと話をさせてもらいたいんですけど」というアプローチをガンガンやりました。
(阿久津)
どんどん相手の文化に入っていくワケですね。
(井上)
もう、いろんな所に行きましたね。代表になりそうな選手や、強化選手に入っていく選手たちの道場に足を運んで、練習を見せてもらったり、いろんなコミュニケーションを図りながら、まとめていったという経緯はありました。
でも『そこまでしなければ、まとめていけなかった』という事もあったので。ですから、全日本の監督業って、どっちかというと『マネージメント能力』がすごく必要で…。『どうしたら組織をまとめていけるか』という要素は、監督をさせてもらう中で、すごく学ばせてもらったものだったなって思いますね。
次回は、お2人の「人生のターニングポイント」「母の死が教えてくれた事」」についての対談内容をお伝えします。