インドで日本のパンを製造販売するNagomi consulting Pvt.Ltd.社『Iroha』(以後Iroha)の日本人シェフ大森栄さん。常にチャレンジを求め続けてきた人生でたどり着いたインドで、10年目の今もチャレンジは続いています。
発展を続けるインド大都市でのビジネスは、チャレンジの連続
インドの首都デリーの南西、ハリヤナ州に属するグルガオン。近年急速な発展を見せるビジネス都市で、日本人の居住地としても人気を集めています。市内には30以上のショッピングモールができ、中間層や富裕層を中心に多くの買い物客で賑わっています。
12年前Irohaがオープンした当時は、AerocityもCyberhabも無く、大きなショッピングモールではなくて、ローカルマーケットが当たり前でした。
2011年創業のIrohaに2013年からシェフとして赴任した大森さんは、この10数年間のデリー、グルガオンの変化を目の当たりにしてきました。
グルガオンの発展も著しく、そのエリアが拡大していく中、2022年9月、今後さらなる発展にともない、日本人のお客さまが南下していくことが見込まれるセクター65の新築モール内に、Irohaは移転、新規オープンしました。
黒沢明監督『生きる』が導いたインドへの道
大森さんが、Irohaの創業者であり代表の柳さんと出会ったのは2012年でした。当時柳さんは、Iroha創業時のパティシエが退職してしまい、後任となるシェフを探していました。
大森さんは、東京の製菓学校でパン科を卒業後、数々のベーカリーで修行を積み、パンやケーキの製造に関わってきました。その中で、伊藤忠食品子会社の新規工場立ち上げや、セブンイレブンなど向けのスイーツ製造管理、新規事業拡大にともなう工場管理システムの構築など、大森さんはいつでも新たなチャレンジを求めて転職をしてきたと言います。
周りから、それは無理だとか、無謀だと言われることほど、よし、やってやろう!という気持ちになります。それに、安定したところに居続けるよりも、新しいことにチャレンジするほうが面白いですから。
しかし、柳さんからIrohaのシェフのオファーをもらったとき、当時の仕事を辞めてインドに行こうと、すぐには思えなかったと言います。
ただ、人生で一度は海外で仕事をしてみたいという思いはありました。英語が話せなくても通じるのか。また、私は大事なのは言葉ではなく心だと信じているので、それを実践してみたいという思いもありました。
そんな中、インド行きの決め手となったのは、黒沢明監督の映画「生きる」でした。1952年のその作品では、30年間無遅刻無欠勤で市役所に勤めてきた市民課長が癌を患い、余命3ヶ月を宣告されます。
その男性はこれまでの人生を振り返り、波風を立てることなく淡々と職務をこなしてきた自分の人生を後悔し、残りの人生をどう生きるかを問うていく、そんな内容でした。当時の自分も、仕事に対する情熱を失っていて、決して生き生きと生きているとは言えなかった。そんな自分とこの映画の主人公が重なって見えました。
同時に、60年も前の映画が、監督が死してもなお人の心を動かすことができる。その素晴らしを思った時に、私もインドに行って日本のパンを広めたい。私の教え子たちが、次の世代へと引き継ぎ、60年後のインドの人たちを感動させられるかもしれない。そう思ってインド行きを決心しました。
毎日がトラブルの連続。店舗移転までの長い道のりと、いまだ解決しない課題
インドでは物事が計画通りに進まないのは基本前提とも言えます。今回の新店舗移転にあたっても、予期せぬトラブルの連続で、その度に大幅な変更や調整を繰り返し、当初予定していた7月よりも2ヶ月遅れて9月のオープンに至りました。
当初同じモールにオープンする予定だった映画館、食品スーパー、隣接マンションの建設もすべて遅れていて、いまだにオープンしていません。モールにやってくるお客さまや近隣住民の方々の集客を見込んでの移転でしたが、このような外的要因によって、売上にも影響がでています。
材料についても、納期予定日に届くことはほぼありません。以前、輸入品を扱うベンダーにベルギー産チョコレートをオーダーした際、納期日に電話をかけると『今、向かっているよ』との返事があったものの、夕方になっても届かず、連絡もつかないまま翌日をむかえました。翌日連絡をすると、何事もなかったかのように『明日持っていくね』と言われ、最終的に入荷したのは1週間後でした。
しかも、入荷されたチョコレートはベルギー産ではなく“ Made in India”。違うじゃないかと文句を言うと『味は変わらないよ』と言いはり、挙げ句の果ては、同じようなクオリティのものを安く買えたのだから感謝しろと言われて、さすがに堪忍袋の緒が切れて、全部持って帰らせました。
その他にも、箱が破れて泥だらけになっていたり、賞味期限切れの商品が届いたり、材料の仕入れひとつとっても、毎回慎重な確認が必要となり気が抜けません。
機材の修理についても同様で、約束通りの日に来ない。来ても直らない。機材を分解してみたものの部品がないと言って分解したまま帰ってしまい、数日やって来ない。直したと思ったらまた壊れる。そんなことの繰り返しでした。
また、新店舗の施行中に雨漏りが発覚し、防水加工を見直してもらうも、次の雨の日にはまた雨漏りがして再度確認。もう大丈夫と言われて内天井をはって、いよいよ新規オープン当日という日に雨が降り、またしても雨漏り。バケツを並べながらの新店舗オープンとなりました。
スタッフのマネージメントがインドビジネスの鍵
現在、大森さんの下には18名のスタッフを抱えています。製造チーフのナレンダラ・シン(Narendra Sighn)さんは、途中サウジアラビアに出稼ぎに行った時期を除いても計10年間Irohaで勤務しています。
インドで店舗を構える上での一番のハードルは、インド人スタッフのマネージメントだと大森さんは言います。
文化の違いもありますが、日本人的な感覚からしたらルーズで、仕事もいい加減です。仕事よりも家族が優先なので、家族の体調が悪い日、妊娠した奥さんの検診日などは欠勤ですし、数日間にわたっておこなわれる冠婚葬祭のたびに長期休暇をとります。そのため、日本の1.5倍ぐらいの人材を抱えざるをえないのが現状です。
スタッフの採用については、知人の紹介や人材紹介所を通しての採用がほとんどだと言います。
知り合いの紹介だからと言って、履歴書に記載してある内容を真に受けてはいけません。先日面接に来た24歳の製造スタッフ希望者は、自分はケーキの製造もパンの製造もすべてできて、スタッフのマネジメントにも自信があると言っていました。よくよく聞くと、YouTubeで見たことがあるというだけでできると言い張っていたのです。
インドは基本的に離職率が高く、また日本とは文化や習慣が大きく異なるインドでのスタッフマネージメントは、大中小問わず、多くの日系企業が苦労している点でもあります。
それでもインドに残り続ける理由
10年経った今でも日々トラブルに直面するインドに大森さんが残り続ける理由。そのひとつは、家族のように慕ってくれるスタッフの存在だと言います。
18歳から8年以上働いてくれている女性スタッフのマヤは、先日出産した際に、すぐに電話で報告してくれました。まるで娘から出産報告を受けたような喜びがありました。
また、前述した製造チーフのナレンダラさんは今年結婚をして、その結婚式会場でその日誕生日だった大森さんの誕生日も一緒にお祝いしてくれました。
彼はとても勉強熱心な子で、普段からYouTubeをみて勉強しています。7月には1週間ほど東京に送り込んで、私がセレクトした一流のパン屋、ケーキ屋をまわって食べ歩いてもらいました。
大森さんは、東京滞在中のナレンダラさんにあるミッションを課していました。それは帰国後、インド人にうける、インド人向けの商品開発のためのリサーチです。
現在は、お客さまの75~80%が日本人のお客さまです。続いて韓国人が約15%で、地元であるインド人のお客さまはたった5%程度です。日本の味をそのままおしつけるのではなく、日本の技術や経験を使ってインド人が喜ぶ商品を作っていくことも大事なのではないかと、最近は考えています。
強い味を引き出すスパイス文化のインドで広く展開していくためには、日本食レストランも、イタリアンも、ファーストフードも、ある程度インド人の嗜好に味や素材を寄せてローカライズしていくことが、必要不可欠なのかもしれません。
“今日の凄い”は“明日の当たり前”。変化し続けるインドでは柔軟な対応が必要
インドでビジネスをするのは決して甘くありません。まずはそれを理解した上で覚悟を決めてきてください。
もちろん事前の下調べは必要ですが、どこでどの様な人をターゲットにするのかなど戦略を決めたら、後は細かい計画などはじっくり立てたりせずに行動に移すべきだと思います。
高度成長期のインドにおいては、“今日の凄い”が“明日の当たり前”になると大森さんは言います。
『知覚動考』とは、知って→覚えたら→行動しながら→考える、ですが、最近では『ともかく動こう』とも言うらしいです。インドではこの言葉が一番しっくりきます。
時代の変化に応じて考えを変えて、時代に合わせた方針で柔軟に進んで行く必要があると思っています。インドでは予定通り事が運びません。そのたびに計画を立て直していたら、時間だけが経過していき、人件費も土地の値段も原材料価格も高騰していって、ますます難しくなっていきます。トラブルが起きたとき、柔軟に対応していかないとどんどん遅れてしまいます。
それでも私は、これからのインドで共に戦う勇士が増えることを期待しています。
大森さんがインドに居続けるもうひとつの理由。それは、一度自分で決めた目標を達成すること。それまでは日本には帰れないという強い思いがあります。
私が日本に帰る日は、自分がいなくてもIrohaが同じようにまわるようになったときです。私が毎日声を上げて怒鳴らなくてもいい日がきたときですね。毎日毎日、チキショー、コノヤローと思いながら10年間やってきました。でも、そのチキショー、コノヤローが自分を突き動かす原動力になっているのかもしれないと思います。
Irohaの店頭に並ぶパンやスイーツは、日本のパン屋さんに立ち寄った気持ちにさせてくれます。そして今、インド人の舌を楽しませる新たな商品開発にチャレンジする大森さんとスタッフの方々。インド発の新たなパンがどのような形に仕上がっていくのか、とても楽しみです。
インドでのビジネスは難しさもありますが、日本にはない面白さ、日本ではできなチャレンジができるのもインドです。私も、そんなインドでチャレンジをする人、企業が増えていくことを期待しています。
ココカラはインドでチャレンジする人、企業を応援しています。
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