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誰もが驚く異色の経歴!?年商10億CEOはこうして生まれた!

化粧品から医薬部外品まで幅広い領域を手がけ、今や年商10億円規模にまで成長した武内製薬株式会社。そのCEO・武内左儒(たけうち さじゅ)が歩んできた道のりとは?

広島の村工場に生まれ、小学校から新聞配達で山を駆け回り、高校を中退し東京へ単身上京。25歳で早稲田大学へ入学、総理大臣を目指し選挙に出馬するも落選。政治家になれずに燃え尽きた武内が、企業に至ったのは妻との出会いがあったから......!?

この異色すぎる経歴を全て聞いてみた!


――本日はよろしくお願いします!

武内:よろしくね。なんか、こうして実際にインタビュー受けるとなると少し変な感じするね。なんとなく緊張するというか、小っ恥ずかしいというか.........(笑)。

――そうかもしれないですね(笑)。でも、ありのままの社長でお話ししてください!

武内:了解!


幼少時代

――じゃあ、まずは社長がどんな子どもだったのか聞かせてもらえますか?

武内:子供の頃かぁ。昔から独立心は強かったと思うよ。というのも、俺の親父も経営者だったんだよ。広島の山奥で村工場を経営してたんだけど......想像つくかな?スクラップの廃車とか鉄屑みたいなものがいっぱい積んであるようなところ。

それに俺の親父はバリバリの仕事人でさ、風邪ひいても骨折っても週6で働くような人だったんだよね。その背中を見て育ったからかもしれないけど、昔からなんでも自分でやろうとはしていたのかも。1ヶ月のお小遣いが100円くらいで何もできなかったから、小学生の頃から新聞配達のアルバイトで山の中駆け回ってたんだ。

――小学生の頃から新聞配達してたんですか!?

武内:そうそう(笑)。普通の小学生はアルバイトできないから、親父から新聞配達屋に頼んでもらってアルバイトとして雇ってもらったんだ。この頃から、自分の欲望は自分の力で叶えるって気持ちがあったのかもしれないね。

――小学生の頃から活動的だったんですね。

武内:行動力はあったのかもね。



高校時代

――その後はどうだったんですか。

武内:そんな生活をずっと続けてて、高校生の時も新聞配達のアルバイトは続けてたよ。そこにプラスして回転寿司屋でのアルバイトも始めたんだ。

お小遣いも結局はほとんど貰えてなかったし、「お金は自分で稼ぐもの」って認識は更に強まってたんじゃないかなぁ。

――アルバイトを掛け持ちしていたんですね。結構ハードだったのではないですか?

武内:確かに、今考えたらだいぶハードだったかもしれないね。新聞配達は毎朝3時に起きて行っていたし、高校もすごく遠くてさ。自転車で1時間くらいかけて山ふたつ越えた先の高校に毎日通ってたからね。放課後は回転寿司屋でアルバイトだから、正直ヘトヘトだったよ......(笑)。

――学校の勉強はどうだったんですか?

武内:もちろん、ちゃんとついていけるように努力していたよ。でも、だんだんと学校で授業を受ける意味がわからなくなってきちゃったんだよね。

お金は自分で稼げていたし、「なんで俺は授業を受けているんだろう。ひとりで生活していけるのに......」って感情が高まっていったことは今でも覚えている。

――そうだったんですか。

武内:そこから、自分で稼いで生きていけば誰にも文句言われないだろうと思って、独立しようと決めたんだ。もちろん両親にも相談して自分の思いを全部ぶつけた。

そうしたら、父親が「卒業認定試験受だけは受けなさい。あとはお前の好きにしたらいい。」って言ってくれたから、即行で高卒認定をとって高校を退学したんだ。そして、アルバイトで貯めた40万円と荷物を抱えてひとりで上京してきたんだ。



東京生活時代

――上京してから何していたんですか?

武内:上京したって言っても、24歳まではただ東京でブラブラしてただけなんだ(笑)。

特にやりたいこともなかったし、絵描き塾に通ったり、ボクシングカメラや、映画にハマったりしながら、好きに生きてたんだよね。

――大学には行かなかったんですか?

武内:そこなんだけどさ、いろいろなことを経験するうちにふと思ったんだ。「俺って青春したことないなぁ」って(笑)。

自分でも笑っちゃうんだけど、大学の中庭で女の子と一緒にランチパック食べたいなって思っちゃったんだよね(笑)。それで、24歳の時に大学に行こうって決めた。

――勉強をしたくて大学の入学を決めたんじゃないんですね(笑)。

武内:くだらないよね......(笑)。それに、大学入試の過去問を見たら「いけるかも......」って思えたのも大きかったかもしれないね。

24歳の4月からコンビニで夜勤のアルバイトをしつつ勉強を始めたんだ。

――ちなみにどこ志望されていたんですか?

武内:第一志望から早稲田大学と決めていたよ。24歳で大学に入学することを考えたときに、どうせなら名門大学を目指した方がいいんじゃないかなと思ってね。

――そして、25歳で早稲田大学の法学部に合格したんですね!

武内:勉強が独学だったし、もしを一回も受けずに合格できたからそのときは「俺ってなんでもできるんじゃないのか?」って気持ちになっちゃってさ(笑)。

何を血迷ったか、「このまま総理大臣になるか!」と思って政治系の「雄弁会」ってサークルに入ったんだ。

――総理大臣を目指してたんですか!?(笑)。

武内:そうなんだよ。しかも、当時は本気でなれると思ってたからね(笑)。無知ってすごいんだよ。

そのままサークル活動を続けてたら、友達から国会議員を紹介してもらう機会があって、秘書のアルバイトを始めたんだ。もちろん、政策立案なんかには関われないし名簿整理とかお茶出しとかしかできなかったけどね。

でも、秘書のアルバイトをしているときにたまたま新宿区議会議員選の地方統一選挙に出馬できる機会が舞い込んできてさ、選挙に出ることにしたんだよ。

――選挙に出る機会なんて早々ないですし、すごいと思います。

武内:ありがとうね。俺は落選するとか全く考えてなくて、「30代で大臣、40代で総理大臣かな!」みたいに軽く考えてたんだよね。

でも結果はあまりにもサクッと落選。周りから見たら「当然じゃん。」ってなるかもしれないけど、当時の俺は落ちると思ってないから衝撃的だったんだ。

それで、燃え尽き症候群みたいになっちゃって、何もやる気が起きなくなってしまった。

あの時は本気で総理大臣になれると思ってたんだけどなぁ......(笑)。



起業時代

――選挙に落選し、燃え尽きてしまってからはどうだったんですか?

武内:1年間くらい選挙活動に専念していたから、落選が意外ときつくてね。そんな抜け殻状態のときに現在の奥さんと出会ったんだ。

――それは、運命的な出会いですね!

武内:そうだったかもね。当時、奥さんは保険代理店で働きながらワックス脱毛を独学で学んでたんだ。

ワックス脱毛ってわかるかな?ベトベトのワックスでムダ毛を絡め取って脱毛することだよ。そのときは「毛なんて抜いてどうするの?」って思ってたんだけど、毎日話を聞かされてると意外と面白いかもなって思ってきたんだよ。

――どんな部分に面白さを感じたのでしょうか?

武内:ワックス脱毛の市場って、海外だと8,000億円くらいあって当時は成長率もかなり高かったんだ。それなのに、当時の日本のワックス市場はほぼないに等しい。

「この差はなんなのだろう......」とか「もしその市場を取れたら強いかもなぁ」なんてことを考えているうちに、奥さんよりも俺の方がワックス脱毛に興味を抱いてしまっていたんだ。

――確かに魅力的な市場かもしれませんね。

武内:そうだよね!それで奥さんと二人で「やってみよう!」ってなったんだ。

俺は大学を、奥さんは保険代理店を辞めて、ワックス脱毛のサロンをオープンすることにした。今でも覚えてるなぁ、2013年の6月17日に会社を立ち上げて、サロンをオープンする準備を始めたんだ。

もちろん、お金が十分にあるわけじゃないから、サロンの内装とか施術用の備品準備も全部自分たちでやって、8月ごろにようやくオープンすることができたんだ。

あの頃は大変だったけど楽しかったなぁ。

――オープンしたら成功する未来が見えていたのでは!?

武内:いや、現実は甘くなかった。

最初のうちは本当にお客さんが来なくてね。お客さんが3日間ゼロとかもザラにあったし、来たとしてもひとり、ふたりとか。それに、サロンは女性専用で営業中に俺は店舗に入れなかったから、駅前でビラ配りとかしてたよ。1日10,000枚ビラ配ったり。あとは、閉店後に店舗の掃除を手伝ったりしてね。

でも、もし店が流行ったときにシェアを取れるようにHPを作ったりSEO対策は徹底していたよ!

――たくさんの工夫をされていたんですね。

武内:本当に大変だったよ(笑)。でも、12月に状況がガラッと変わる出来事があったんだ。

当時放送されていたテレビドラマの主人公の趣味がたまたまワックス脱毛でさ。その影響でワックス脱毛が一気に認知されだして、お客さんが来るようになったんだ!

12月以降は毎日開店から閉店まで忙しくて、別の意味で大変だったよ(笑)。翌年の1月になっても忙しさは変わらなくて、スタッフも雇ってだんだんとお店が大きくなっていくのが感じられたね。

――ドラマの影響だったんですか!何があるかわからないですね!

武内:ホント、何があるかわからないよね。その勢いのまま4月には渋谷店、9月には六本木店って店舗展開もしていけたし、順調に拡大していったんだ。

とにかくこの勢いをそのままに、ワックス市場のシェアを獲っていくつもりでひたすらに頑張ってたよ。

――とても順調だったんですね。大変なことはなかったんですか?

武内:んー、順調に行きすぎて逆に危なかったことはあったなぁ。

――順調に行きすぎて危ない?

武内:そうそう。順調にシェアを拡大して行って、自社で製造した脱毛用ワックスの販売も手がけるようになってきた頃のことなんだけどさ。

工場で製造する製品の増産ペースがすごい勢いで増える中で生産費がどんどんかさんでいくんだけど、その生産した分の売上っていうのはすぐ入ってくるわけではない。生産費を回収できるようになるのは大体4ヶ月後くらいなんだ。

その間は売上よりも生産費が超過してしまってるから、原料の納入業者にお金が払えないような状態になってしまってね。結果的に黒字ではあったんだけど、本当に会社が潰れる寸前だったんだよ。

――その父さんの危機は、どう持ち返したのでしょうか?

武内:そのときは本当に偶然だったんだけど、ある程度大きい契約が決まって。まとまった資金が手に入ってことなきを得たんだ。

この経験から、改めて会社を経営する上で財務管理の重要性を意識するようになったね。


経営者時代

――今は、会社を経営する上でどんなときにやりがいを感じますか?

武内:やりがいかぁ。これは日常のふとした瞬間に感じることなんだけど、「自分のやりたいことに夢中になっている」って気づくときかなぁ。

何かに夢中になって没頭できることがあるっていうのが幸せだと思っているよ。夢中になりすぎて夢の中でも仕事するくらいだからね(笑)。

――夢の中でも仕事しているんですか!

武内:たぶん、24時間仕事のこと考えてるよ。そのくらい夢中になれるんだよね、自分の会社をどうやって大きくしていこうかって考えるの。

もちろん、辛いこととか大変なこととかもたくさんあるんだけど、それをどうやって乗り越えていくかを考えるのも面白いし......よく考えたら面白いことだらけだなぁ(笑)。

――それだけ夢中になれるって素敵ですね!

武内:ありがとう!

――そんな武内製薬を経営していく中で、今後のビジョンが何でしょうか?

武内:今後のビジョンか。うちはワックスというものづくりから始まったから、そのままものづくりを極めたいと考えてる。

自分たちで価値のある商品をどんどん作って、それを世の中の人に広めて、幸せを提供していきたいね。あと、自分たちの培った技術をどんどん発信して、他の人のものづくりをサポートしていきたい。

それで、もっとたくさんの人が素敵なものをいっぱい作っていければ、世界がいいもので溢れるんじゃないかなぁなんてことも考えているよ。

――ものづくりを極めて、その技術を発信していくってことですね!

武内:そうゆうことだね!

――それでは、一緒に働くとしたらどんな人がいいですか?

武内:んー難しいな......(笑)。一緒にキャンプに行ける人がいいかな!。

――キャンプに行ける人!?

武内:もちろん、例えだよ(笑)。

俺は今まで奥さんや友達、後輩とか繋がりがある人と一緒に仕事をしてきたからさ。仕事仲間の以前に人として仲良くなれるような人と働いてきたんだよ。

だから、これから一緒に働く人もお互いに人として仲良くなれるような、それでいてお互いを尊重して行けるような人がいいなって考えている。

まぁ簡単に言ったら、この人となら一緒に仕事をしていきたいって思える人かな!


――それでは、最後に今後エントリーする方へメッセージをお願いします!

武内:わかりました!

私はこの武内製薬を100年続くような会社にしていきたいです。でも、そのためには本当に価値のあるものを作れるようにならないとダメだと思います。

これからエントリーする方は、うちの事業でもカルチャーでも将来像でも、何かに共感して一緒に働いてみたいかもって思ってくれたら嬉しいです。一緒に会社を作っていきましょう!


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